そばではたらく
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馬を愛でる木彫り人の魂

生涯を通して添い遂げたいと想える存在があったとき、その実現のためならば、私たちは自分なりの道を見つけながら前向きに歩み続けられるのではないでしょうか? そんなことを教えてくれたのは、今回の主役である山田亜紀さん。これは、現在、東京藝術大学大学院の研究室で仏像修復に携わる彼女の成長の物語。

牧場で育まれたもの

1歳半から18歳までを長野県で過ごしていた山田さん。父親のしごとが牧場の管理運営ということもあり、自然に囲まれた環境で暮らし、ある時期には牧場の敷地内に借りた家に家族4人で暮らしていたこともあったそうです。

幼少の頃から思春期までの遊び相手といえば、もっぱら馬。牧場の手伝いのご褒美で許される乗馬がなによりの楽しみだったとか。馬の個性に合わせて、手や足の位置、体重移動など全身を使って馬に指示を出す乗馬は、いわば言葉を使わないコミュニケーションの連続。心を通わせながら馬とともに成長していきました。

「楽しいときも苦しいときも、馬はいつもそばにいてくれて。自然と将来は馬と関わることをして生きていくのだなとこの頃から思っていましたね」

幼い頃に周りの人からつけられたあだ名は「野生児」だったと振り返る山田さん。

高校は県内の進学校へ進み、2年の後半から美術部に入部して学校下のアトリエに通いつつも、家に帰っては相変わらず馬にばかり乗る日々。そんな青春時代を過ごしながら、山田さんはこの頃から自身の未来について考え始めていました。

「馬に関わるしごとをしたかったんですけど、父がはたらく姿を見ていると、様々な人と深く関わりながら馬を通じて人を成長させる仕事内容や、牧場自体の管理をしていかなくてはいけない牧場運営はとても難しそうで、私には向いていないなと思っていました。じゃあ、自分なりの馬との向き合い方ってなんだろう? “そうか、馬をつくればいいんだ”って」

なぜそう思ったのか、今でも言葉には表しづらいと話すこのときの発想。けれど、これが山田さんのその後の人生の舵をきる出来事でした。
 
時期としてはすでに3年の夏にさしかかる頃。彫刻を学ぶ必要に迫られた山田さんは、夏期講習から本格的に美術・芸術大学を目指すための予備校に通い始めるのでした。

長野県蓼科高原での生活。馬の世話やお客様の乗る馬の準備、引き馬を手伝うこともあったそう。

馬を彫り続けた大学生活

彫刻をするために定めた目標は、日本の芸術の最高学府である東京藝術大学。その狭き門を通過することは決して簡単な道のりではありません。2浪、3浪当たり前と言われる東京藝術大学。山田さんも3浪の末、合格を果たしました。

大学在学中はそれまでに蓄積した表現欲求が堰を切ったように溢れ出し、4年間ずっと馬を作り続けたという山田さん。塑造、石彫、木彫、金属の実技実習を行い、様々な素材で馬を制作したそうですが、あるタイミングからはひとつの素材に絞り、自身の表現を高めていったそうです。

「やっぱり牧場で木に囲まれて暮らしていたせいか、木のぬくもりが手になじんだんですよね。馬の細い脚で支えなくてはいけないという構造的にも、木は丈夫で最適だったんです」 

木彫は大きな木の塊から削っていくという、体力も要する過酷な作業。それでも、「木の中から少しずつ馬の輪郭が現れてくると興奮するんです」と話すその言葉から、木彫との相性の良さがにじみ出ています。

卒業制作では実物大の馬を制作。高校在学中に藝術大学を目指してから数えること8年。山田さんの馬への想いがひとつのカタチに結実した瞬間でした。

山田さんにとって、現段階では最初で最後の傑作だとか。素材はクスノキ。

彫刻を生業とするために

大学卒業後はさらに彫刻と向き合うために修士過程へと進んだ山田さん。選んだ道は文化財保存学というコースでした。彫刻の分野で言う文化財保存学とは、仏像修復のこと。なぜ山田さんはこのような道へと進んだのでしょうか?

「4年間、彫りたかった馬をひたすら彫れてとても幸せでしたし、自分なりの彫り方も掴めた気がしたのですが、それと同時に、これは作品として人に見せたいというわけではなく自己満足だったんだなと気付いてしまったんです。だから、これは人生のライフワークとして続けていこう。今は私がするべきことをしようと思ったんです」

このときの山田さんにとって“するべきこと”。それは、これからの人生の中で彫刻をしごとにしていくための行動でした。

「初めは馬を彫りたいという衝動だけで、勢いと意地で彫刻の世界に足を踏み入れてしまったのですが、せっかく身につけたこの技術を、どうにかしてしごととして活かしたかったんです」

“現状維持をしてつくられた当初の部分を優先する”ということが基本理念の文化財保存学。同じ“彫る”という作業でもこれまでとは全く異なる作業ばかりで戸惑うことも多かったそうですが、日本の彫刻についてもう一度学びながら自身の技術を社会で活かしていくための修士課程の2年間は、馬と彫刻に向き合い続けた山田さんにとって、大きな意味があったと振り返ります。

受託した仏像は一年スパンで仕上げる。人手不足につき一度に二体担当していたことも。

生まれ始めた想いと共に

修士過程修了後は修復技術をさらに学ぶため、同研究室にて修理担当の研究協力者を一年間経験。2017年4月からは技術職員として本格的に仏像修復をしごととしてスタートを切り、さらには同年11月から教育研究助手としてより責任のある立場を任されることになった山田さん。ここ1、2年間で環境と心境の変化が訪れています。

「父親の背中を見ながら、不器用な私には一番向いていないと思っていた内容のしごとが、これも運命なのでしょうか、ここにきてまわってきたなと(笑)。でも、ずっとものづくりだけをしてきた人生だったので、私にとってしごとらしいしごとって、これが初めてなんですよ」

だからこそ、期待してくれている人のために成果を出していきたいという想いと共に、「国の文化財を知ることは、日本人としての誇りを育んでいることと思うようになった」と話す山田さんの瞳には、文化財保存への使命感も宿りつつあるようです。

現在は週5日間、研究室で学生の指導や、仏像修復の業務に取り組んでいます。

今はしごとが忙しく、馬と向きあうことと言えば小さな作品を制作することが精一杯。それでも、いつかは長野に自分のアトリエを構えて、仏像の修復のしごとと自身の表現活動を並行して続けていきたいと話す山田さん。彫刻を始めて10余年、最近になって芽生え始めたひとつの想いを抱きながら、その道の先を見据えます。

「アニミズムって言うんですかね。この世の全てのものには魂が宿っているという考えなんですけど。毎日仏像と接していると、なんだかそういうものを感じる気がします。でも、よく考えれば、当時は深く考えていなかっただけで馬と接していた頃から感じていたことなんですよね、きっと。だから今、この想いを自覚しながら馬を彫ったら、数年前とはまた違うものが彫れるかもしれないなって思うんです。まだまだ、これからですね」

かつて、長野の牧場で馬を愛でていた少女は、馬と添い遂げる方法として選んだ彫刻にいつしか打ち込むようになり、そして現在は仏像と向き合いながら、彫刻の本質を紐解きはじめています。これまでも、そしてこれからも人生をひたむきに彫り続ける山田さんの横顔は、生命への賛辞にあふれた輪郭で形作られていました。(加藤)

小さな馬の作品は、“生活になじむ”ことを大切にしたオブジェ。知り合いのオーダーメイド家具のお店HAYhutteで取り扱ってもらうこともあるそう。

プロフィール

山田亜紀

1988年生まれ。幼少期から高校卒業までの約18年間を長野県で過ごす。東京藝術大学大学院美術研究科卒。現在は同大学の文化財保存学専攻の保存修復彫刻研究室において、教育研究助手として仏像修復に携わる日々を送る。

東京藝術大学 大学院美術研究科
文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室
http://tokyogeidai-hozon.com/index.html

HAYhutte
http://hayhutte-onlinestore.com/?mode=cate&cbid=1035542&csid=0&sort=n