絵画のような美味しいクッキー

2019.03.28
絵画のような美味しいクッキー

クッキーの上に自在に装飾を施すアイシングで作品をつくる塚越菜月さん。美味しく食べるだけではなく、見た人が温かな気持ちになったり、負を抜け落とせたりするような作品を生み出しています。SNSを通じて塚越さんの作品は多くの人をひきつけ、作家活動からわずか4年でさまざまな展示、ワークショップなどの展開につながっています。

どこかに表現への想いがあった

塚越さんには5歳上のお兄さんがいます。絵がとてもうまく、現在は映像クリエイターであるお兄さんの影響を幼いころから大きく受けていたという塚越さん。高校卒業後、お兄さんと同じように美大で学びデザインの道に進む選択肢もありましたが、唯一、お兄さんの影響を受けず、自分から好きになったお菓子づくりの道を選んだそうです。

製菓専門学校に進んだ塚越さんは、卒業後、石垣島のホテルでパティシエとしてはたらき始めます。好きなお菓子づくりをしごとにでき、充実感を持ってはたらく一方で、進学のときに選ばなかったデザインの道にも心残りがありました。そして、デザインをもっと学んでみたい、しごとにできるよう挑戦してみたい、という想いは日に日に大きくなっていったのです。塚越さんのどこかに、表現への想いがあったからでしょう。幼少よりさまざまなジャンルの芸術に触れる機会が多かった塚越さんは、“食”と“アート”をそれまでにない形で表現したい、表現できるのでは、と常に考えていたのです。

石垣島で3年間はたらいたあと東京に戻り、デザイン会社でエディトリアルデザイナーとしてはたらき始めました。デザイン会社でのしごとはやりがいが大きく、結果も出てきていましたが、予想もしていなかった事態が発生します。長時間のデスクワークが首に大きな負担となり、ドクターストップが出てしまったのです。泣く泣くデザイン会社を辞め、再びパティシエとして知人の店を手伝うようになりました。

「人生の岐路には、必ずお兄ちゃんの存在がある!」と笑って話す塚越さん。尊敬するお兄さんと一緒にしごとをすることが大きな目標です。
「人生の岐路には、必ずお兄ちゃんの存在がある!」と笑って話す塚越さん。尊敬するお兄さんと一緒にしごとをすることが大きな目標です。

食とアートの新しい可能性をみつける

再びパティシエとして活動を始めたころ、偶然アイシングクッキーづくりを依頼されました。

アイシングクッキーとは、クッキーの上に粉砂糖と卵白を混ぜて作ったクリームで装飾したもの。18世紀ごろイギリス王室のお菓子として作られたのが発祥といわれ、アイス(氷)のようにキラキラと輝き、彩色・細工が自由にできるデザイン性の高いお菓子としてヨーロッパやアメリカなどへ広まり、日本では2011年ごろから知られるようになっています。

アイシングクッキーをつくったことがなかった塚越さんは、そのしごとに苦戦します。しかし、材料や道具、実際のアイシングクッキーの画像などいろいろ調べていくうちに、「表現手段として自分に合っている」と感じたそうです。それまでも、依頼があればイラストを描いたりデザインしたりといった活動をしてきた塚越さんには、アイシングクッキーが、お菓子をつくる技術を生かしつつ、芸術性も表現できる素材になりうるという直感があったのです。

「当時は、私がやりたいと思っていることをアイシングクッキーでやっている人はいなくて。それまでの私は、音楽を聞くのは好きだけどプレーヤーではなかったし、デザインを見るのは好きだけどデザイナーになるまでははたらけなかった。表現をしたいけれど、その手段が見えていなかった私にとって、アイシングクッキーでの作品づくりは食とアートの新しい表現になりそう!という想いがいきなりあふれ出た感じです」と塚越さんは振り返ります。

ひらめきを得た塚越さんは、早速制作を開始しました。練習用につくった作品をSNSにアップしたところ、すぐにお兄さんから反応があったそうです。「『これクッキーなの?これは続けたら絶対にアートになるから、頑張って続けてほしい』と言われて。尊敬するお兄ちゃんから言われたことが本当にうれしくて、いつかお兄ちゃんとしごとをする!という目標を掲げたんです」と笑って教えてくれました。このときのお兄さんの言葉が、制作の原動力でもあるようです。

“安心”というテーマでつくられた作品。イラストとアイシングクッキーが一体となって独自の世界観をまとう塚越さんの作品。
“安心”というテーマでつくられた作品。イラストとアイシングクッキーが一体となって独自の世界観をまとう塚越さんの作品。

人の心の中を描く

塚越さんは、アイシングクッキー屋になることを目指したのではありません。作品として、アイシングクッキーでどう表現するかを最初から志向していました。つくり方や彩色などはほぼ独学で習得し、SNSで作品をアップすることから始めました。制作を始めた5年前は、今ほどアイシングクッキーが一般的ではありませんでしたが、塚越さん独自の世界観をまとった作品は、一種の衝撃として支持されていったのです。

塚越さんは、もともと誰かのためにお菓子をつくるパティシエだったことが、作品づくりにおいても自身の芯になっているといいます。だから、自分の内なる声や想いを作品に込めるというよりも、誰かの気持ちのためにつくりたいと思っています。そのため、「見る人の心が温かくなったり、心の中の負の部分をすっと抜け落とせたりする」ことを作品のコンセプトにして、あえて余白を持たせ、表現しすぎない作品に仕上げています。

「これはこういうことかな?」「こんなことを思い出すな…」。見る人なりに感じ、うれしい気持ち、懐しい気持ち、切ない気持ちなど、その人なりの気持ちを抱いてもらえることが最大の喜びだといいます。

「人の心の中を描けたらいいな、と思ってつくっています。誰かの気持ちのためにつくりたい」――まるで絵画のように繊細で、グラデーションの効いた塚越さんの作品は、見る人の感情を揺さぶる力を持っています。

イラストにアイシングクッキーやドライフラワーをあしらって完成となる作品。「アイシングクッキーをたくさん売るよりも、1枚絵を任せます、と言われたいです」
イラストにアイシングクッキーやドライフラワーをあしらって完成となる作品。「アイシングクッキーをたくさん売るよりも、1枚絵を任せます、と言われたいです」
平面だけでは表現できない、人の気持ちがこもったあたたかみのあるペットのポートレート作品。箱を開けた瞬間、亡くなったペットとの思い出がよみがえって涙が止まらなかった…といわれたこともあるそう。
平面だけでは表現できない、人の気持ちがこもったあたたかみのあるペットのポートレート作品。箱を開けた瞬間、亡くなったペットとの思い出がよみがえって涙が止まらなかった…といわれたこともあるそう。
フォトグラファーに撮影してもらった写真にクッキーを重ねて全体をデザインした作品。クッキーの色や形、大きさなど、写真との絶妙なバランスが塚越さんの作品の特徴ともいえる。
フォトグラファーに撮影してもらった写真にクッキーを重ねて全体をデザインした作品。クッキーの色や形、大きさなど、写真との絶妙なバランスが塚越さんの作品の特徴ともいえる。

食べられる作品、可愛いだけでは終わらない

作品づくりでいちばん時間がかかるのが「何をつくるか」を決めること。塚越さんは、どんなに忙しくても外に出て、新しいアイデアをインプットすることをとても大切にしています。一方で、ほかの人がつくったアイシングクッキーは「すでに世の中に存在しているもの」なので、見ないようにしているそうです。塚越さん自身が見たことのない世界をつくり上げてみたいし、作品を見にきてくれる人にも、常に違う世界を見せたいと思っているからです。

「ゼロから1をつくりだすのは本当に苦しいときもあります。違うジャンルの展示会に行ったり、旅に出たり、ライブを見たり……インスピレーションを得られそうなことはとにかく何でもするようにしています。そうしなければ進化していけないし」と、表現者としての信念を貫いています。

制作過程でも毎回新しい挑戦をしているので、「つくりきれるかどうか想像がつかないことが結構あって怖い」といいます。展示の予定が決まっているときは、間に合うかどうかヒヤヒヤすることもあるそうですが、妥協はしません。作品を生み出す苦しみや怖さを乗り越え、最終的には楽しみながらつくることを忘れないようにしたい、と話してくれました。

実は塚越さんの作品は、「食べても美味しい!」といわれています。パティシエでもある塚越さん、アイシングクッキー作品は食べられるお菓子としてのクオリティーを保つことも大切にしています。「作品を見てくれた人の気持ちに届けば良いので、食べても満足してもらえるよう、味も考えてつくっていますよ」。

SNSでつながっていたイラストレーターの藤井奏さんがロンドンで展示をすることを知り、お祝いの気持ちを込めたアイシングクッキーを贈ったことが縁で実現した、物語とイラストとアイシングクッキーによる絵本作品。「好きな気持ちは相手に伝えていくことを大事にしています」という塚越さん、そうすることで思いがけない形で作品に発展していくことも。
SNSでつながっていたイラストレーターの藤井奏さんがロンドンで展示をすることを知り、お祝いの気持ちを込めたアイシングクッキーを贈ったことが縁で実現した、物語とイラストとアイシングクッキーによる絵本作品。「好きな気持ちは相手に伝えていくことを大事にしています」という塚越さん、そうすることで思いがけない形で作品に発展していくことも。
展示会は「やる」と決めてしまうことが大切だそう。クッキーを焼いたり、アイシングしたりする時間のメドが立ち、いちばん大切な「何をつくるか」を決める部分に時間をかけられるから。アイシングの作業は素早く行わないと固まってしまうので、衝動的に手を動かすことが多い。
展示会は「やる」と決めてしまうことが大切だそう。クッキーを焼いたり、アイシングしたりする時間のメドが立ち、いちばん大切な「何をつくるか」を決める部分に時間をかけられるから。アイシングの作業は素早く行わないと固まってしまうので、衝動的に手を動かすことが多い。

表現者として進化し続ける

「続ければ必ずアートになる」というお兄さんからのアドバイスを大切に、塚越さんは1日1日、制作を積み重ねる毎日を過ごしてきました。そして今や塚越さんの活動は、国内にとどまらず海外でも展示会を開催したり、絵本の一部をアイシングクッキーで見せるというユニークな作品を発表したりと広がりをみせています。

「作品づくりを始めたとき、10年は続けようと心に決めたんです。今、そのときから5年が経って、新しいことにも関心が向いています」という塚越さん、なんと英語を猛勉強しているところです。2018年にロンドンで展示を行ったこともきっかけの一つです。言葉を必要としない作品なので、いろいろな人に見てもらいたいという気持ちや、もっと海外の人の役に立ちたいという純粋な気持ちなど、さまざまな気持ちが混ざり合っての挑戦だそうです。

アイシングクッキーで食とアートの新しい世界を切り拓いた塚越さん。創造力の翼でどこまで羽ばたいていくのか、これからの展開にも期待が高まります。(大垣)

プロフィール

塚越菜月

アイシングクッキー作家として2014年4月からオリジナル作品を発表。さまざまな場所で展示会やワークショップを行う。2018年は年間5本の展示会を開催した。個展、イラストレーターとの2人展、海外での展示など、常に異なるスタイル、新たなテーマに挑戦し続けている。

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