そばではたらく
通勤時間010

母親らしさを求めた先に

子どもを持つママが、しごとと家庭をどのように両立させるか。大きな社会課題ともなっている、このテーマ。この課題に対する切り口のひとつとして挙げられるのが、家のすぐ近くではたらく“職住近接”です。近年、出産や育児などを理由に会社を辞めた女性が、特技や趣味を活かして開業するケースが増えています。今回お話を聞いた、ベーグル店店主の相原万里さんもそのひとり。どのようにして、お店をオープンさせたのでしょうか。

オープンは昼間だけ。行列のできるベーグル店

西武柳沢は、準急と各駅停車しか停まらない、西武新宿線の小さな駅の、小さな商店街が続く駅前には、ショッピングセンターも大型スーパーも見当たりません。その駅から歩いて2分とかからない場所に、この春M’s ovenという小さなベーグル屋さんがオープンしました。相原万里さんのイニシャルを冠したこちらのお店は、平日の開店時間が12時と、ゆったりのスタート。夕方も6時にはお店を閉め、営業日は週に4日と、無理はしません。オープン当初は欠かさずに焼いていたバナナケーキなどの焼き菓子も、ベーグルとのバランスをとってお休みすることもあります。

「家族と過ごす時間も考えて、このペースで続けることにしました。朝は家族を送り出した後の8時頃から準備を始め、夜はお店を閉めたら子どもを迎えに保育園までダッシュ。平日の店休日は、ベーグルの仕込みなどをしています。スタッフは私も入れて全部で3名。1人は立川でお菓子教室を開いていて、こちらの店頭にもクッキーなどを置いています。多摩周辺って、実は焼き菓子の激戦区。この辺りにも美味しいお店が結構多いので、お店にケーキがない日は、近くのお店をおすすめすることもあるんです。そのほうが、みんながハッピーになれるような気がして」

開店時間を迎える頃には、大きな窓から降り注ぐ陽の光が気持ちのいい店内に、香ばしくて甘い、生地の焼ける匂いが広がります。そして外にはベーグルの焼きあがりを待ちわびる、お客さんの列が。「最近は、少し落ち着いてきましたけどね」と、相原さんは謙遜するものの、オープンから1時間で棚の上のベーグルが、すっかりなくなってしまうこともあるというから驚きです。

子どもも食べられるパンが欲しかった

ところが相原さん、学生時代にレストランでパンを焼くアルバイトをしていたものの、当時はパン職人になることも、ましてや自分でお店を開くことなど、考えもしていませんでした。大学を卒業してすぐコーヒーショップではたらき、その後は銀行に勤めます。

「それから結婚して、最初の子が生まれて。育児休業中、子どもが寝ている時間に何かできないかなあと思っていた時に、学生の頃をふと思い出したんです。『あ、そういえば、わたし小麦粉いじりが好きだった!』って。それから、ケーキやパンを焼くようになりました」

しかしそれはあくまでも趣味の範囲。お子さんが1歳になると、再び会社勤めを始めます。
それから数年後、今度は下のお子さんが生まれたのですが、そこでベーグルづくりとの出会いが。食物アレルギーにより、市販のパンが食べられないことが分かったのです。

「小麦粉は問題ないので、卵や牛乳を使わないパンがつくれないかなと思って。ネットで“パン 卵、牛乳不使用”って検索しました」

そこで見つけたのが、“30分でできるベーグル”というレシピ。さっそくチャレンジするものの、30分では完成できなかったうえ、ひと口食べた時、頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになったといいます。

「正解がわからなかったんですよね。『これは、おいしいのか?』と。でも子どもには、安心できるおいしいものを食べさせてあげたいし…。それからというもの、ベーグル探究の世界にどっぷりとハマりました」

お店で1度に仕込む生地の量は、およそ4キロ。機械を使わずに手で捏ねます。

母親らしさを求めたが故の落とし穴

相原さんはまちでベーグルを見つけては試食をし、そして何度も試作を重ねながら、おいしいベーグルの在り方を模索し続けました。会社勤めをしつつ、週末の夜にベーグルづくりに勤しんでいた相原さん。最初は「自分のつくったものを、子どもたちがおいしく食べてくれればそれでよかった」といいます。ところが、ある出来事をきっかけに、相原さんの状況は次第に変化していきます。

出来事とは、ご主人の地方への転勤です。単身赴任で乗り切りましたが、この一件を通じ、相原さんは“どこに行ってもできるしごと”の重要性に気がつきます。

「それまで東京ではたらくことが当たり前になっていましたが、そうとは限らないと思ったんです。主人の勤務先に合わせて家族が移動することを考えると、“母親”として私のしごとは職場に左右されるようなものではなく、スキルで選べるようにならないと、と考えるようになりました」

そこで相原さんは一念発起。全国各地に事業所があり、どこでも同じスキルが生かせる損害保険会社へ転職します。ところがこれが大失敗。しごととの相性が合わず、みるみる体調不良に。会社も休みがちになり、離職を余儀なくされました。疲れ果てて、身も心もボロボロ。ついに、相原さんは大好きだったはずのベーグルづくりすらもやめてしまったのです。

イニシャルのMの看板を掲げたお店。時には踏切を越えるほどの行列ができるとか。

家族を想い、子どもを想い、ただただ自分らしく母親の姿を追い求めただけなのに。その結果として失意の底へと落ちてしまった相原さん。後編は、今日に至るまでの奇跡の逆転劇をお届けします。(たなべ)

連載一覧お母さんがベーグル屋をはじめた#1 母親らしさを求めた先に#2 “少しでもはたらきたい”を叶える場所

プロフィール

相原万里

ベーグルショップM’s oven店主。秋田県出身。大学卒業後、大手コーヒーチェーン、銀行、損害保険会社でキャリアを重ねる。育児と会社勤めを両立させてきたが、転職をきっかけにベーグル店開業を意識し始める。2年半の準備期間を経て、現在に至る。

M’s oven

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