双子のような夫婦が営む介護サービス

2017.08.10
双子のような夫婦が営む介護サービス

はたらき方と生き方をイコールにすると、どこからがしごとでどこからが休みなのか明確な区切りがなくなります。国分寺市にある訪問介護ことりの齋藤弘典さんと英里さんご夫婦は、「しごととプライベートの垣根をなくしたい」といいます。介護という、世間から見るとハードなしごとがそのまま暮らしと同じ線上にある生活をしながらも、穏やかでいつも笑顔。2人にとって大切なものや生き方の軸を人生の中心に据え、そこに愛情や時間を注ぐ日々について伺いました。

出会ったことで“本当にやりたいこと”に繋がった

訪問介護ことりは、国分寺ではおなじみのお店、加藤けんぴ店とねじまき雲の並びにあります。“介護”という言葉が身近でない人は、飲食店に気づいても事業所には気づかないかもしれません。でも、事業所の目の前のバス停にある木製のベンチ。これに気づいたり、腰かけたりした人はきっと多いと思います。ベンチは齋藤さんご夫婦が用意したもの。もちろん、誰が使ってもOK。

英里さん「ベンチを使うとき、自転車のカゴに野菜を入れてくれるおばあちゃんがいるんです」

弘典さん「ほぼ毎日バスを利用するから毎日のように野菜が入っている(笑)」

2015年5月に結婚、6月に開業した2人。職場は自宅と同じ建物の1階で、利用者さんは住まうまちとその近隣の地域の人たち。考えようによっては1日24時間常にしごとであり、同時にプライベートの時間でもある。介護というハードなしごとだからこそ、トレードオフとして休憩・休暇という概念が必要になり、はたらく時間を制限し公私を区切りたくなるのではと思いますが。

英里さん「介護の学校に通っていたとき、先生に『自宅の最寄り駅から3駅以上あけた場所ではたらいたほうがいい。トラブルのもとですよ』ってアドバイスされました。でも『何かあったら呼んでね』と言えるこの場所でよかった」

弘典さん「しごととプライベートを線引きすると、利用者さんと道でバッタリ会っても話かけず、ベンチで休憩しているのを見ても声をかけられなくなるよね」

事業所の前のベンチを利用するご近所さんと立ち話。体調やまちのことや人生訓など。
事業所の前のベンチを利用するご近所さんと立ち話。体調やまちのことや人生訓など。

とはいっても、住むまちの人たちを介護して、暮らしとしごとが近すぎて夫婦一緒だと大変じゃないの?と思ってしまうのが正直なところ。実際のところ、どうなのでしょうか。

弘典さん「訪問中にうれしくなっちゃうエピソードがあったらネタとしてとっておいて(笑)、家に帰ってから夫婦で報告し合ったりするよね」

英里さん「夫婦で事業所をやって良かったなと思うのは、時間外のしごとや夜中の急な呼び出しもあるし、精神的にも身体的にも負担がかかる時があってもフォローし合えるところ」

「しごとも生き方も考える軸が同じだから苦しい・辛いと思ったことはない」と話す2人はそっくりで夫婦を超え双子のよう。穏やかにはたらき、穏やかに日々を送っている様子が伝わってきます。
介護のしごとをする前の弘典さんは映画館に勤め、東北の震災をきっかけに“住まう町で役に立つしごとがしたい”と思っていました。ヘルパーの資格を取って介護のしごとをスタートした頃、英里さんと出会います。当時の英里さんは、西国分寺にあるクルミドコーヒーで社員としてはたらきながら、自分の経験をきっかけに介護に携わりたいと考えていた時期。本当にしたいことが共通した2人は、介護事業所での勤務を経て、結婚と独立と開業を同時期にスタートさせました。

お隣さんでおにぎりを買って食べたり、ハーモニカを吹いたり。事業所にふらりと寄るとそんな2人の掛け合いを見ることができ、周囲の人たちは皆、声をそろえて「あんな夫婦になりたいな」と言います。2人の人間性が事業所の魅力のひとつであり、まちの人たちを笑顔にしています。

室内に小屋を作ったり、壁にペンキを塗ったり。事務所は地域の仲間が協力して完成。
室内に小屋を作ったり、壁にペンキを塗ったり。事務所は地域の仲間が協力して完成。

地域の人の困りごとに向き合うことが楽しい

ある日、マッサージ屋と間違えて事業所に飛び込んで来たおじいちゃん。奥さんの腰の調子が悪く相談に来たそう。英里さんは、介護保険で何ができるかを説明し次の訪問の予定があったのでおじいちゃんをお見送り。しごととプライベートを分けるならそれで終わりです。でも、訪問へ向かう道すがら、「いや、それは違う」と。

英里さん「大事な人について困っていて、助けを求めてここへやって来た。それなのにしごとの枠にあてはめて『できることはこういうことです』と事務的に話して終わってしまった。1人で手に負えず困っている人が近所にいるのに。お金が発生しないから、時間外だからと終わるのはやりたかったことじゃないな、って」

その日のうちに弘典さんと一緒にそのおじいちゃんのおうちを突撃。すると翌日、英里さんが再び訪れるとおじいちゃんがお手製の餃子をたらふくごちそうしてくれたそうです。帰り際に「来週は作り方を教えてやるから」と。

英里さん「ケアマネージャーさんにはそこまでするなら自費で請求したほうがいいと言われることもあるけど、私たちはご近所さんとして関わっているから餃子も習いに行ける。それぞれの家庭には歴史があるから、利用者さんの家族のことも忘れずにいたい。そういう日々の繰り返しで『元気かな』って気になる人がまちに少しずつ増えていく。だからしごとというくくりにはしたくないんです」

弘典さん「“しごと”と思わず一人一人と向き合うと、まちの中で生きているって感じる。これが違うまちではたらいていると“しごと”になるんだろうな」

「気をつけていってらっしゃい」。弘典さんを見送る英里さん。
「気をつけていってらっしゃい」。弘典さんを見送る英里さん。

弘典さん「介護という言葉を使うと対象はお年寄りだけ、しかも元気のないお年寄りというイメージがあるけど」

英里さん「あ」

弘典さん「言ってみ」

英里さん「東元町や国分寺に住んでいる人たちが『ここでだったら、このまま年をとっていけそうだ』と思えることのお手伝いができたら。介護とか福祉いう言葉を使うと対象はお年寄りだけ、のイメージだけどもっと広い話のような気がして。このまちで暮らしていく人、と考えたら年代も肩書きもない。利用者と介護者という関係ではなく付き合えるのがこのまちの良いところ。だから私たちはご近所さんと、だと思っているんです」

弘典さん「そうだね。困ったらあそこに行けばなんとかなるよ、困ってなくても行けばなんかある。みたいな場所になればおもしろいな。ふらっと寄れる場所。そういう場所があることが防災にもなると思う」

日ごろから地域でお互いが顔見知りになり、困った時は支え合える関係。しごともプライベートも人生の一部。垣根をつけなくたって、きっとうまくいく。大切なのは、利用者さんも、まちの人も、そして自分たちも自分の人生を自分らしく生きるということ。2人を見ていると、「人生が80年なら、まだまだいろんな人に出会い、いろんなことを始められる」そう感じさせてくれます。

プロフィール

齋藤弘典・英里

2015年6月、「住み慣れた場所で自分らしく最期を迎えるお手伝いをしたい」という思いで訪問介護ことりをスタート。「困ったらあそこに行けばなんとかなるよ、困ってなくても行けばなんかある。介護の相談がなくても近所の人がふらっと立ち寄れる場所」を目指す。“ことり”の由来は、弘典さんが飼っていたセキセイインコが可愛くて小鳥好きになったから。
http://kotori-kaigo.blogspot.jp/?m=1

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