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表現者と職人による緑青社の誕生

本棚にしまってある大切な書籍や毎号欠かさずに読んでいる雑誌。はたまたお店のショップカードやイベントのチラシ、地域のフリーペーパー…。私達の身近にあふれている印刷物、パソコンとプリンターを使ってご自身で印刷物を作ったことがある、という方も少なくないのではないでしょうか。では、“活版印刷”という言葉を聞いたことはありますか? 聞いたことはあっても、実際にそれに触れたことのある人は、まだまだ多くはないのかもしれません。そんな活版印刷の世界に魅了され、たくさんの人にその魅力を伝えようとしているつるぎ堂の多田陽平さんと、knoten(クノーテン)の岡城直子さん。今回は、それぞれに活版作家としての屋号を持ちながら緑青社(ろくしょうしゃ)という屋号で活版印刷専門の受注事業を立ち上げたお二人の想いに迫ります。

当たり前の景色に、はじめて興味を抱いた日

荒川区町屋という地で80年続く活版印刷所の息子として育ったつるぎ堂の多田さんと、杉並区下高井戸でknotenという屋号を掲げて作家兼印刷屋さんとしての活動をしている岡城さん。お二人は同じイベントに出店していたことで知り合った10年来の仲。ですが、それぞれが活版印刷の世界にのめり込む理由は、全く異なるものでした。

幼少期から活版印刷という存在が身近にあった多田さん。もちろん子どもの頃から印刷に触れて…といったことは一切なく、それがあまりにも日常的過ぎるあまり、興味を持つことはなかったと言います。しごとも大学卒業後にベトナムへ渡り日本語の語学教師を数年間勤め、帰国後は日本語教育の専門書店ではたらいていたそう。転機が訪れたのは今からおよそ10年前。ちょうどその頃、印刷物の表現方法として、クリエイターが活版印刷に注目し始めている時期でした。30歳手前で、自身の身の振り方を模索し始めていた多田さんは、とある活版印刷の展示を目にします。そして、そこで目にした光景は今まで当たり前のように身近にあった、活版印刷にまつわる機材や、それによってつくられた印刷物がずらりと展示されている様。「これ、うちの機材でもできるな。自分だったらもっと自分好みのものが作れるな」と、この時はじめて活版印刷へ興味を抱くのでした。

早速、家の印刷機と向き合う多田さん。しかし、家業の中でお給料をもらいながら活版印刷を生業とすることは現実的ではなかったため、引き続き本屋ではたらきながら生計をたて、実家の印刷機を間借りして活版印刷の技術を磨いていきました。自分の作品を制作しては、デザインフェスタをはじめとした様々なイベントへ出店するなどして作家としての歩みを進めていきます。

これまでの歩みを振り返るつるぎ堂の多田さん。自分らしい表現とは何かを模索している中で、活版印刷の面白さへのめり込んでいったそう。

つるぎ堂の作品“紙子牛”。牛展という企画展の際に作成したペーパードール。多田さんのイマジネーションを活版印刷で表現しています。

紙好きが高じて印刷の世界へ

一方でknotenの岡城さんは、文房具が大好きな女の子がそのまま大人になったような女性。小さな頃から文房具が一番の遊び道具で、好きな紙に好きな色でスタンプを押したりして遊んでいたそう。そんな岡城さんと活版印刷の出会いはカフェではたらいていた20代の頃。好きなイラストが載っている書籍で偶然その存在を知り、興味の趣くままに活版印刷機を体験できる工房に通い始めます。「同じ図案を大量に刷れるこんな便利な機械があるなんて!」と大きな感銘を受けたそう。なんと、中古の活版印刷機を購入するまでに至ります。

その後、文房具や紙への知識をさらに身につけるために世界堂や伊東屋などの紙売り場ではたらきながら紙の種類を覚え、次に印刷のいろはを身につけようと印刷会社を二社ほど経験。着実に印刷の知識と技術を身につけていきました。また、普段よりクリエイターと親交の多かった岡城さんは、印刷会社の中で印刷工という技術者でありながらも、持ち前の人懐っこさで営業もこなし、受注もとってくるというオールマイティなはたらきぶり。カフェ時代から友人と三人組で活動していたknotenという屋号で活版作家としての活動も本格化させて、印刷への情熱をよりいっそう注いでいくのでした。

いつも笑顔が絶えないknotenの岡城さん。タンスの引き出しが文房具で溢れかえるほどの文房具好き。

ドイツ語で“むすびめ”という意味を持つknotenという屋号。季節感のあるモチーフを使いながら、手にとってくれた人たちの縁を結ぶような一枚を作っています。

作家としての成熟と転機

多田さんは活版印刷を表現の手段のひとつという視点を持つ、ものづくり・クリエイタータイプ。自身で描いた図案をポストカードなどの作品としてカタチづくり、自分のイマジネーションを表現していきました。かたや、岡城さんは日常的に触れることの出来る印刷物を刷ることに歓びを感じる職人タイプ。 knotenとしての活動も、紙選びと印刷担当として二人のイラスト担当の友人とともに企画やディレクションをすることで作家性を強めていきました。こうして、たくさんのイベントへ出店を繰り返し、大きな反響を得ることでそれぞれの作家性が成熟してきた頃、大きな転機が訪れます。

岡城さんのお母様が体調を崩され、その看病と介護で印刷会社の退職を余儀なくされてしまうのです。knotenとしての活動も一時的に休止。さすがの岡城さんも意気消沈…するわけもなく、これまでの知識・技術・人脈を活かして、印刷受注専門の事業を自身で立ち上げようと一念発起したのです。相談を受けた多田さんも、ちょうどそろそろ作家活動の傍らで少しずつこなしてきた受注仕事を本格化し、活版一本で生計をたてていきたいと考えていたところでした。こうして2016年10月、緑青社が誕生。

次回は、作家の側面を持つからこそできる緑青社の印刷受注事業に込められた二人の想いに迫ります。

活字と呼ばれる反転した金属製の文字が陳列された棚。この活字と樹脂や金属の凸版とを組み合わせ、それらに版画のようにインクを乗せて印刷するのが活版印刷。

プロフィール

緑青社

2016年10月に結成した、つるぎ堂の多田陽平とknotenの岡城直子による活版印刷事業。名刺やショップカード等の制作の受注を行う。
https://rokusholetterpress.tumblr.com

多田陽平

つるぎ堂を屋号に活版印刷によるオリジナル商品を製作し、取り扱い店舗や各種イベントなどでの販売、ワークショップを行う。
http://tsurugido.net/

岡城直子

活版ユニットknotenの印刷担当として活動。季節を感じられるモチーフなどを中心に、紙やインキの色にこだわりながら手キンと呼ばれる手動の活版印刷機で作品を印刷している。
https://knotenletterpress.tumblr.com