シェアされる活版印刷所の誕生

2019.09.19
シェアされる活版印刷所の誕生

印刷物のデジタル化が進む中、DTPやオンデマンド印刷が全盛の時代ではなくなりつつあります。けれど、そんな中でも印刷の世界で存在感を発揮しているのが活版印刷。ひとつひとつの鉛の活字を拾っては組み、そしてちいさな卓上の印刷機で一枚ずつ刷る。そんな活版印刷を愛する人々が集う共同作業室が、西武多摩川線・新小金井駅すぐの場所に誕生しました。
名前は溝活版分室。様々なものがシェアされる世の中になりましたが、活版印刷の世界においてはあまり聞き慣れない、この分室という名のついた場所は、どのような経緯で、そして、どのような想いの中で生まれたのでしょうか。メンバーである横溝さん、加賀美さん、津村さんの3名にお話しを聞きました。

プライベートプレスとしての始まり

溝活版分室(“溝活版”とは横溝さんのプレス名、つまり屋号)は横溝健志さんを中心としたメンバー10名による共同作業室です。横溝さんは長きに亘り武蔵野美術大学で教壇に立ちながら、その傍らで、アマチュアプリンターとして活動を続けてきました。個人で活版印刷機を持ち、名刺やハガキなどを印刷し始めたのは、今から遡ること50余年前。デザインコンペの賞金で購入した卓上活版印刷機を使って、当時在籍していた大学の研究室のスタッフや教員の名刺などを刷ることから始めたのだそうです。

「活版とともに歩む人生でした」

と話す横溝さん。大学の教員としてお給料をもらえる立場になりながらも、お世話になっている教授の名刺の印刷を一手に引き受けて、句集の印刷や仲間との冊子作りなど、プライベートプレスと共に歩む人生を楽しんできました。

1938年に熊本県で生まれの横溝さん。東京の武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で、工業デザインを学んだのちに、同学校の研究室でお勤めをされながら、工業デザインやデジタルフォントの分野のデザインに従事されていました。
1938年に熊本県で生まれの横溝さん。東京の武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で、工業デザインを学んだのちに、同学校の研究室でお勤めをされながら、工業デザインやデジタルフォントの分野のデザインに従事されていました。

重なる縁、そして溝活版分室が誕生

そんな横溝さんは自身で所有していた活字と共に、印刷屋さんがお店をたたむ際に譲り受けた活字を、大学の研究室で保管していました。教授という職を退いた後は、実家に置いていましたが「使うなら提供してもいいよ」という話をメンバーの一人である加賀美真木さんに話していたそうです。加賀美さんは横溝さんの大学での教え子でしたが、印刷博物館「印刷の家」友の会のメンバーでもありましたから、友の会の仲間とそんな話が盛り上がり、自分たちの作業場が持てたらいいねという話に発展したそうです。そこにたまたま縁が重なって、自分たちで家賃もなんとかなる部屋(物件)が候補にあがったのです。

「駅から近くて、家賃もかなり安い。昔ながらの商店街が近くにもあるし、狭さは多少感じるものの許容範囲でした。お隣りは製本屋さんですし。横溝先生に相談したら『借りましょう』って即決でした 笑」

こうして、2019年の5月に新小金井駅のすぐ近くに、手製本のアトリエと活版印刷の作業室が並ぶことになりました。

横溝さんのことを先生と呼ぶ、加賀美さん。普段はシュピール・イデーンと言う屋号で、子供向けの造形教室を主宰されています。溝活版分室の管理人でもあります。
横溝さんのことを先生と呼ぶ、加賀美さん。普段はシュピール・イデーンと言う屋号で、子供向けの造形教室を主宰されています。溝活版分室の管理人でもあります。
取材当日にできたばかりのショップカード。今後、目にすることが増えるかもしれません。
取材当日にできたばかりのショップカード。今後、目にすることが増えるかもしれません。

シェアして作業室を運営する

加賀美さんは溝活版分室の管理人、この場所を運営していく上でのまとめ役です。また、津村さんは本業のデザイナーであることを活かして紙のチラシ担当。その他のメンバーの中にも、ホームページの制作を担当しているWEBデザイナーや、編集者、印刷所でお勤めの人まで、印刷の分野に於いて盤石な布陣ともいえるような個性的なメンバーが集まり、役割分担をしながらこの場所を運営しています。

日々忙しく本業に勤しまれているメンバーが、加賀美さんからの提案に賛同し、実際に役割分担をしながら場所を運営することは決して簡単なことではありません。「ここは私たちの秘密基地だ」と、この場所に一目惚れしたと言う津村さんが、自分たちで場所を持つに至る想いを教えてくれました。

「溝活版分室のメンバーは『印刷の家』でも活動しています。そこでは熟練した技術を丁寧にレクチャーしてもらえる上に、使用できる活字も豊富で環境が整っていて、いろんな作品にチャレンジすることができます。今回運営することになったこの場所は、そこでの技術や経験を活かしながら、民間に独立した場を持つという意味で、ひとつの挑戦だと感じたんです」

長年個人で活動し、活版の世界では一目置かれる存在でもある横溝さんは、メンバーにとって偉大なる大先輩。まだまだ未熟だけど活版に対する想いはいっぱいの有志。それぞれで所有している活版印刷機や活字の活用。技術や役割、そして設備を共有することで、それぞれが活きる。そんなふうにいろんなものをシェアすることで、溝活版分室が誕生することができたのでしょう。

メンバーの一人である津村さんは、自分たちが楽しみながら、私たちなりに活字の良さをみじかなところにも伝えていけたらいいなと話します。活版印刷は黙々とした作業なので、共同作業場でみんなと作業できるとモチベーションもあがるそう。
メンバーの一人である津村さんは、自分たちが楽しみながら、私たちなりに活字の良さをみじかなところにも伝えていけたらいいなと話します。活版印刷は黙々とした作業なので、共同作業場でみんなと作業できるとモチベーションもあがるそう。
現役で活躍する活版印刷機と金属活字が並ぶ。
現役で活躍する活版印刷機と金属活字が並ぶ。

アマチュアとして街の印刷屋さんの“フリ”をし続ける

“アマチュア、つまり遊びとしてプライベートプレスをする身としての問題は、何を刷って活版作業を続けるか”

横溝さんは、あくまでもアマチュアであるという一貫した自覚を持ちながらも、姿勢だけはプロフェッショナルでいようと心掛けていました。そんな想いの中で、実際に場所を持つことで見据えるこれからの活動。そこには長年続けてきた溝活版のスタイルが根付いているようです。

「さながら、気分は街の印刷屋さんみたいなものです。名刺やカードの印刷の話があれば、商店街ならではの手間賃で気安く引き受ける。大概は割に合う仕事ではないけれど、そこは印刷屋さんの“フリ”をするアマチュアのやせ我慢。つまりは遊びです。しかし、アマチュアプリンターの本懐は、自分たちの個人の想いを発信することにあるのではないでしょうか」

加賀美さんと津村さんも口をそろえて、「まずはこのメンバーで、模索しながら発信を続けたい」と話します。

「あくまでも大前提のテーマは“活版を楽しむ”こと。その中で、それぞれのメンバーがやりたいことがあれば、ワークショップをしてもいいし、受注仕事をしてもいい。本当に街の印刷屋さんになったっていい。どんなことでも可能性はあると思います」

そう楽しそうに話す横溝さんの横顔を、あたたかく見守る加賀美さんと津村さん。溝活版分室はまだまだ序章が終わったばかり。これからどんな組版で物語が刷られていくのか楽しみです。(加藤)

「Mizzo Press & Friends」という文字がメンバーの親密さを物語っています。とはいえ、近隣に住んでいる人だけではないため頻繁には集まることはできないので、まずは定期的に場所を開くことを軌道に乗せることが目標なのだそう。
「Mizzo Press & Friends」という文字がメンバーの親密さを物語っています。とはいえ、近隣に住んでいる人だけではないため頻繁には集まることはできないので、まずは定期的に場所を開くことを軌道に乗せることが目標なのだそう。

プロフィール

横溝活版分室(みぞかっぱんぶんしつ)MizzoPress & Friends

溝活版としてプライベートプレスを続けてきた横溝健志さんを中心に、印刷博物館「印刷の家」友の会メンバー10名が新小金井に開設した共同作業室。2か月に一度、オープンアトリエを実施する予定。

https://mizzopressfriends.tokyo

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