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【特別対談 vol.2】自治区の仕掛人と営みの支援者 それぞれの10年とまちづくり

北池がタウンキッチンを創業した2010年。時を同じくして千葉の松戸にまちづくり会社を立ち上げた、まちづクリエイティブ代表の寺井元一さん。同世代、東京郊外が拠点など共通項の多いふたりですが、今日までの10年という時間をそれぞれどのように過ごしてきたのでしょうか。まちづくりのしごと、組織のありかた、行政や企業との共創まで、過去を振り返り今思うことを語っていただきました。

※リンジンを運営するタウンキッチンの創立10周年特別対談です。

渋谷から松戸・小金井へ 郊外に移るふたりの分岐点

―北池さんは、寺井さんが設立されたNPOでご一緒されていたそうですね。

北池:私が会社を辞めた2008年は、社会起業が流行った頃でもありました。たまたま手にとった本に、寺井さんが紹介されていたんです。おもしろい事業だと思って、ラブレターを送りました。

寺井:学生時代に立ち上げた、コンポジションというNPOをやっていました。渋谷でアートやスポーツとまちの資源を融合させ、若者の活躍を応援する活動です。ビルの壁面をキャンバスにしたアート活動や、代々木公園を使ったストリートバスケの大会などを行っていました。

北池:インターンシップとして関わらせてもらいましたが、それまで会社員だった僕にとってはすべてが新鮮だったな。NPOという組織がどういうものなのか、社会起業って何なのかを肌身で感じることができました。安っぽく聞こえてしまうけど、寺井さんをはじめ、理事の人たちみんなが若くて、センスがよくて、エネルギッシュで。それからブレない軸のようなものを持ち合わせていたのが、印象的でした。

寺井:でもNPOを10年ほど続けてみて、限界を感じているタイミングでもあったんです。自分が理想とする活動ができなくて、今後はまちづくりをしなくちゃって。

北池:当時から、寺井さんは「自治区をつくる」って話していましたものね。

寺井:その実現に向け立ち上げたのが、「まちづクリエイティブ」です。松戸にはキタさん(北池)とも行きましたよね?

北池:そうそう! 駅前のマクドナルドで作戦会議して。僕もその頃に、ずっと温めていたタウンキッチンを立ち上げました。実は「タウンキッチン」という社名は、渋谷のコンポジションの事務所で考えて。「寺井さん、どう思う?」って相談したら「ええんちゃいますかー」みたいな感じで決まったのを覚えています(笑)

―ほぼ同じ時期に創業したことになりますが、この10年を振り返っていかがですか?

寺井:まちづクリエイティブは、前半と後半で結構変わったかな。

北池:はじめは、まちの有休不動産をクリエイターに貸し出す事業が軸でしたよね?

寺井:そうですね。駅周辺の半径500mを「MAD City」と銘打って、クリエイターを集めて活動をサポートしたり、空き家や空き店舗を利活用したりしていました。町内会とアートプロジェクトも立ち上げていましたね。

北池:それらの事業は、今も順調そうですけど。

寺井:傍から見れば、そうかもしれない。でも僕の中では前半の5年は失敗でもありました。僕らはMAD Cityを自治区にすることを、本気でめざしていました。だから町内会の人たちと、松戸ならではの価値を生み出すことまではできたのだと思います。けれども組織として自立的な運営をする、というところには至らなかったんですよね。

北池:事業理念と経営経済の両輪を成り立たせる難しさがありますよね。タウンキッチンの場合は、はじめの3年が一区切りでした。創業時は「おすそわけ」をコンセプトに、地域の主婦によるボランタリーな食事提供の場を運営していました。当時はメディアにもたくさん取り上げられ、表面上は成功しているように映っていたかもしれない。けれども、思い描いていた地域内のコミュニケーションを生み出すことができず、加えて、経営の実態も大ピンチで。結局、事業スキームを変える必要がありました。

寺井:そうだったんですね。まちづクリエイティブは、失敗から自前で稼ぐことの必要性を感じ、外に出ようと決めました。松戸に留まっているだけでは、頭打ちになってしまうという危機感もあって。いろんな人からのご紹介もあり、佐賀県武雄市やJR埼京線をフィールドにしたまちづくり事業が生まれました。

北池:武雄市では、どんな事業を?

寺井:3年から5年で、自治体や企業に依存しない事業に育てあげることを前提に考えていました。それで、松戸と同様の不動産のサブリースをはじめたんですが、これがうまくいかない。地価や土地に対する考え方があまりにも違っていて、それだけだとうまく回らなかったんです。

北池:東京郊外と地方だと、不動産の経済的価値も違いますよね。

寺井:それで行きついたのが、“焼きもの”でした。武雄周辺にはたくさんの窯元があり、今は有田焼の大きな窯元と一緒に作品づくりをしています。有田焼に使われる器の型は非常に高価なのですが、絵つけの柄が時代とマッチせず、多くの型が倉庫に眠っている状態でした。そこでアーティストが絵柄をデザインし、器に新しい息を吹き込もうという試みを始めました。これが事業として成長しつつあります。

北池:焼きもの文化とアーティストをかけ合わせることで、まちの資産が活きてくるんですね。

寺井:だから結局僕たちって、不動産屋さんじゃなかった。世界中のおもしろいことができる人たちと関係を築き、それをまちづくりと絡めて事業を編み出すこと、まちの遊休資産を使って経済圏と文化圏を融合させることが、僕らの事業の核だったんです。

北池:松戸の外に出たからこそ、気づくことができたのでしょうね。

寺井:ところでキタさんのところの事業は、今は創業支援やコワーキングが軸ですよね。

北池:そうです。創業当初は、地域住民の関係性の再構築を、“食”というツールを用いて事業化することを考えていました。でもやりながら、食じゃなくても別にいいと思うようになって。ツールは何でも構わない、大事なのは地域のプレイヤーとなる“人”じゃないかと気づき始めた。それで地域の人材育成というか、一人ひとりのやりたいアイデアを応援する事業へとシフトしていきました。今のような形に行き着くとは、創業した10年前にはまったく想像してなかったなあ。

ビジョンの違いをふまえ共創できたらおもしろい

―10年の実績を経て、事業を広く展開することも視野に入れているのでしょうか。

北池:寺井さんが武雄に出た時、これからいろんな地方にガンガン攻めるのかと思ったら、意外とそうでもなかった。やっぱり横展開は難しいですか。

寺井:コンサルタントの立場で短期的に関わるやり方もあるかもしれませんが。でも僕らは、もっと長いスパンでまちづくりを捉えているつもりです。

北池:分かります。まちにはそれぞれ個性があるわけで、そのまちにコミットするには一定の時間が必要ですよね。企業や自治体からは、どのような形で相談を受けることが多いですか。

寺井:いろいろですよ。いちばんモチベーションが上がるのは、まっさらな状態で「一緒に考えてください」というケースかな。逆に枠組みが決まっていて、「この部分だけお願い」というのはやる気を失くす。まあ僕らはそもそも、言われたとおりにはやらないですけどね(笑)

北池:分かるー! でもまちづクリエイティブの活動って、複雑ですよね。企業や行政からはどのように映っているのでしょうね。依頼する側にリテラシーが求められるというか。

寺井:以前は“アートと不動産”と、明確な構図でしたけど。今は“カオス”なのかな?(笑) でも、あえて分かりやすくすることもないと思っているんです。

北池:分かりにくさは、必ずしもネガティブではないですしね。極論を言えば、自分たちのよさや強みを活かせる人にさえ、分かってもらえれば十分なのもしれない。僕たちの会社もここ数年でお引き合いが格段に増えています。中には事前にいろいろ調べたり小金井に足を運んだりして、僕ら
のイメージをある程度つかんでから相談くださる方もいる。その場合の方が、いいパートナーシップを築けていると感じますね。


―おふたりは事業を通じ、まちがどうなることを望んでいるのでしょう。

寺井:僕の究極は、やはり「自治区をつくる」なんです。それぞれのまちの住人が、やっていいことや悪いことを自分たちで考えられる、議論できる、そして変えることができるまち。ルールはまちごとに違ってよくて、むしろいろんな社会のバリエーションがあればあるほどいい。そして一人
ひとりが自分に合った場所で、自分の可能性を最大化できるようにすることが、僕の使命なのかなって。

北池:僕は起業したときに、仕事と暮らしを分断しないと決めました。自分や周りの人の暮らしが豊かになる仕事をつくることが出発点だから、今も小金井に住み、小金井で働いています。

寺井:そこはキタさんとは明らかに違うよね。僕はまちづくり自体がアイデンティティだから、自分が住んでいなくても構わない。だから自宅も松戸にはないし、武雄にも飛んで行くわけで。

北池:僕も、どこか遠いまちに自分と同じように考えて、同じビジョンを描く人が住んでいたとしたら、ぜひ一緒に仕事したい。そうしたキープレイヤーと、そのまちに住む人が主人公になる仕掛けをどんどん編み出していきたいですね。

寺井:まちづくりをミクロで捉えると、思想もアプローチも独自なものだと分かります。けれども表面的には、同じように見えてしまうところがある。今後はそうした違いも踏まえて、ご一緒できる企業や行政が増えるといいですよね。

北池:おっしゃるとおりです。寺井さんの描くビジョンに共感し、コンポジションの門を叩いたのが10年前。そのときの思想の根っこの部分は、今も変わっていない気がする。それは、「まちに住む人たちが、自ら考え、アクションを起こせる社会を築くこと」じゃないかと思います。それぞれのまちで、互いの違いや個性を打ち出しつつ、大切な価値観を広めていきたいですね。僕も改めてがんばろうって、刺激になりました。また10年後にお話を聞かせてください!

プロフィール

寺井元一

1977年生まれ。早稲田大学大学院在学中にNPO法人KOMPOSITIONを設立。渋谷を拠点に、公共空間の利活用と若者支援社会課題に関わる。2010年、株式会社まちづクリエイティブを設立し、千葉県松戸市を拠点に事業を開始。不動産とクリエイターのコラボレーションによる自立型の地域活性モデルを創出。その後、佐賀県武雄市、JR埼京線沿線など、各地の地域活性化プロジェクトを生み出している。

株式会社まちづクリエイティブ

http://www.machizu-creative.com/