家族が集まる、その一瞬を写す

2020.12.23
家族が集まる、その一瞬を写す

JR東小金井駅を背に南へまっすぐ続く南口商店街の一角に、And Still Pictures.のスタジオが2020年8月にオープンしました。主宰するのは、フォトグラファーの伊藤慈朗さん。「家族写真プロジェクト」を機に地域とつながるようになったという伊藤さんの、これまでとこれからをお聞きしました。

理想の家族写真を撮りたい

フリーのフォトグラファーとして都内を中心に活動していた伊藤さんが地域とつながるきっかけは、結婚して転居してきた小金井市で、創業スクールに参加したことから始まります。当時、JR中央線が高架化され、東小金井駅周辺では新たな施設が生まれていました。その一つである市の創業支援施設「KO-TO」(コート)を軽い気持ちで訪れた際、「受講生募集のワードにふと目が止まった」という伊藤さんは第一期生になります。

事業計画をつくるカリキュラムで伊藤さんが出したアイディアは、「家族写真プロジェクト」。長男が誕生し、初めて自身の家族写真を撮影してもらったとき、心の中に生まれた思いを形にしたものでした。

「知り合いに撮ってもらったんですけど、昔ながらの写真館のスタイルで、今の自分がほしいものとは何となく違うな、と感じていました。じゃあどんな写真だったらいいのかなと、ずっとぼんやりと考えていたんです」

「シャッターを切るまでのプロセスが大切」と語る伊藤さん。
「シャッターを切るまでのプロセスが大切」と語る伊藤さん。

イメージを膨らませる中で思い出したのは、2000年に日本版が発行され、当時熱心に見ていた米国のファッション誌ハーパーズ・バザー。そこに掲載されていた「meet the family」という家族を撮影した写真の特集でした。

「例えばキース・リチャーズとか、いろんなセレブの家族や仲間を撮影していてるのですが、家族の関係性を表す一瞬の表情や僅かな動きを見事に捉えた、フォトグラファーの感性と技術の高さが素晴らしくて。リラックスした空気を漂わせながらも、美しい緊張感の中で表現されていて、すごくかっこいいんです。セレブの家族を撮るという企画から、あの表現に至るプロセス自体にも大いに刺激を受け、家族写真プロジェクトのまさに着火点になりましたね」

こんな家族写真を撮りたい。事業計画をつくろうと取りかかってはじめて、漠然としたイメージが固まっていきました。スクールの講師や周囲の人にも、「自分はこんなプロジェクトをしたいんだ」と積極的に話すようになった伊藤さん。その行動によって、地域の中で縁がつながりはじめます。

産まれてから約2週間の間に撮影するニューボーンフォトも人気。
産まれてから約2週間の間に撮影するニューボーンフォトも人気。

最初に声をかけてきてくれたのは、通っていた創業スクールのゲストで、同じ東小金井の高架下にある「アトリエテンポ」をプロデュースした株式会社リライトの担当者でした。アトリエテンポ内にある犬のための専門店、ドッグデコのクリスマス企画として、家族写真の撮影会を提案してくれました。

以前から、「駅近くで撮影会をできたら面白いな」と妄想していたという伊藤さんは、二つ返事で快諾して準備を開始。最初は見守っているだけだった妻の千鶴さんも、一人で奮闘していた伊藤さんを見かねてフォローを買って出てくれました。そのアイディアやセンスは、家族写真プロジェクトに欠かせないものになっています。

「僕は一般のお客さんを相手にする経験が皆無でしたから、どうしたらいいのか全くわからなくて。プロの空間スタイリストとして接客をすることもあった彼女に、とても助けられました」

七五三、卒入園など、記念日の写真は人生を振り返る大切な宝物になる。
七五三、卒入園など、記念日の写真は人生を振り返る大切な宝物になる。

初めてのチャレンジとなるイベント当⽇は、お店の⼀⾓に撮影セットを作り、思い描く家族写真のイメージに少しでも近づくように、事前に入念な検証を行ってからのぞみました。撮影した画像をその場でレタッチし、プリントしてお渡しするという超スピード対応。「今考えるとかなり無謀ですね」と笑う伊藤さん。採算度外視で少数のお客さんを相⼿にした実験的な試みでしたが、⾃分で企画するプロセスそのものがとても楽しかったそうです。

「当時は周囲に、こういうプランを考えてて、ドッグデコさんでやらしてもらってこんな写真に仕上がったんだと、とにかくいろんな⼈に⾔ってたんですよ。SNSもwebサイトもなかったので、リアルな口コミで。地域のつながりがなかったら、その⼀回の経験だけで終わっていたかもしれません」

伊藤さんが撮影した家族写真。普段の一家を感じさせる穏やかな空気感が漂う。
伊藤さんが撮影した家族写真。普段の一家を感じさせる穏やかな空気感が漂う。

⼦育ての縁でつながる

自身が暮らすまちでもある小金井で、地域のつながりをフルに活かした伊藤さん。はじめてのイベントの後に続く展開は、⼦どもがつないだ縁でした。妻の千鶴さんが、小金井市内で月に一度開催されている「はけのおいしい朝市」(以下はけ市)の主要メンバーのひとりと、保育園で知り合います。家族写真プロジェクトの話を伝えたところから、「それならぜひ!」と、はけ市出店にむけて企画が動き出します。

会場は都⽴武蔵野公園。「くじら⼭はらっぱ」と呼ばれる場所でした。野外にスタジオを持ち込んだような雰囲気をつくるため、千鶴さんのセッティングで樹⽊にガーランドをかけ椅⼦を配したシンプルな野外スタジオを作りました。
告知のために2⼈でロケハンしてテスト撮影するなど、⼊念な準備をして臨んだ当⽇。予約制にはせずに現地で受付を始めると、すぐに⾏列が出来たそうです。

「すごくびっくりしました。こんなに来るんだって」

撮影料は無料。撮影時間は1組15分ほどで30-40カット撮影し、その場でパソコンで画像を⾒てもらって気に⼊ったら購⼊というシステム。リラックスした雰囲気が伝わるナチュラルな家族写真が好評で、ほとんどの家族が購⼊していきました。

武蔵野公園につくった野外スタジオ。周りを囲む自然の風景が映り込むのも魅力のひとつ。
武蔵野公園につくった野外スタジオ。周りを囲む自然の風景が映り込むのも魅力のひとつ。

撮影会は大人気になったものの、準備にかかる時間と⼿間、当⽇のお⼿伝いスタッフへの⼈件費、出店料、CDに加えポストカードサイズにプリントして渡す費用を考えると、それだけで収益が出すことは難しい内容です。

「撮影イベントは、利益を上げるというより、僕たちのプロモーションであり、その後の依頼につなげるためサービスを知ってもらうための機会として捉えています。それはスタートから5年経った今でも同じですね」

イベントで撮影したお客さんがリピーターになり、家族の節⽬に撮影を頼んでもらえることも多いそう。

「カップルで訪れていたお客さんが結婚して妊娠し、出産、お⼦さんの誕⽣⽇と、家族の歴史をずっと撮らせてもらえることもあって。理想的な家族写真を、と始めたプロジェクトですが、ある家族の節⽬というか歴史を刻むしごとなんだ、ということをお客さんに教えてもらいましたね」

結婚前、カップルだった時から撮影し続けているご家族。妊娠中のお母さんを撮影しているとお子さんが隣に。
結婚前、カップルだった時から撮影し続けているご家族。妊娠中のお母さんを撮影しているとお子さんが隣に。

暮らしに近い場所に拠点を持つ

各地の野外フェスティバルをはじめ小金井市外のイベントにも出店するようになると、「スタジオはないの?」と聞かれることが続くようになります。イベントが終わっても訪れてもらえる拠点があるといいなと思い始めた伊藤さんは、物件を探し始めます。

まずは顧客が多い⼩⾦井エリアで探したものの、なかなか合う物件が⾒つからず。⽴地は不便ながらリノベーションしたばかりだった杉並区下井草の物件が気に⼊り、2018年5月に初めての拠点となるスタジオを構えることになりました。

月1回の撮影会をはじめ、スタジオでの撮影を続けること2年間。マンションの一室ながら南側に庭があり自然光が入り、ギャラリーのような白い壁は撮影に最適で気に入っていましたが、より地元に近い物件を探し続けてもいました。

「夜逃げかと思うくらいの大荷物」を車に積み、現地で凝ったセットを作り上げたという「ap bank fes」。
「夜逃げかと思うくらいの大荷物」を車に積み、現地で凝ったセットを作り上げたという「ap bank fes」。

2020年、ようやく出会ったのが、東⼩⾦井駅南⼝の商店街にある現在のスタジオ。伊藤さんの⾃宅からもほど近い場所です。古本屋が撤退し、テナント募集の張り紙をしているのを⾒て、すぐにコンタクトを取りました。
間口が広く自然光で撮影できるのが最大の魅力。問題は、狭さと天井にある継ぎ⽬。写真上で継ぎ目が⽬⽴たないようにできれば圧迫感はそれほど出ないとみて、壁と天井を塗装し直す前提で移転を決めました。

「ずっと小金井で探していて、いい物件に出合えてよかったです。自宅は同じ町内なので、一気に職住接近になりました」

お客さんが多く、子育て中の自身の暮らしにも近い念願の東小金井で、今年8月に移転オープン。新たなスタートを切りました。

東小金井駅南口商店街にオープンした新しいスタジオ。
東小金井駅南口商店街にオープンした新しいスタジオ。

チームとしていいものを作りたい

スタジオの移転と同時に、個人事業主から株式会社として法人化。今後は組織を強化し、伊藤さん自身はフォトグラファーをメインにしながら、企画やマネジメントなどの業務に軸足を移していくイメージです。

「現場から身を引きたいわけではなく、いろんな人の力を集めてチームとしてやりたいんですよね」

映像事業も始めるなど、事業の幅を少しずつ広げてきた中で、多様なスキルを持ったスタッフと取り組むことの面白さを感じていると言います。

会社名は「BEET Products 株式会社」。BEETはBeauty,Emotion,Elegance,Technologyの頭文字を取った造語で、写真や映像などの作品を製品(プロダクト)ととらえ、クリエイションの基礎となる哲学を表しています。会社では現在、事業に共感し参加してくれるチームメンバーを、経験、年齢、性別問わず募集しているそうです。

「僕が表に出ることが多いですけど、実際には僕の担っているのはほんの一部で、多くの方のアイディアや感性が集まって現在のAnd Still Pictures.は成り立っています。これからも、良いものを作りたい人が集まって一緒に成長していきたいと思っています」

そんな伊藤さんが目指すのところはどんなことなのでしょうか。

「個人的な人生の目標的なことでいうと、世の中のことをもっと知りたいっていうところなんですよね。その一点に尽きる。好奇心で動かされて生きている。チャレンジしたい。やったことないことやってみたい、見たことないもの見てみたい。家族写真のプロジェクトをしてみたいと動き始めたころからずっと、単純な動機でやってるのかもしれないですね」

そう話す伊藤さんの笑顔には、ビジネスマンというより少年のような無邪気さが垣間見られました。この先に見えるのはどんな風景なのでしょう。家族写真プロジェクトのお客さんたちとともに、And Still Pictures.のこれからを楽しみにしたいと思います。(安田)

ロケ現場での伊藤さん。
ロケ現場での伊藤さん。

プロフィール

伊藤慈朗

大学卒業後、写真学校を経て大手撮影スタジオに勤務。見積もりからプロデュースまで制作現場で一通り経験を積み、2005年に独立。パートナーでインテリアコーディネーターの千鶴さんとともに、And Still Pictures.として様々な撮影まわりのプロジェクトに関わっている。

And Still Pictures.
https://asp.itojiro.com/

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