こだわりを貫く玄米菜食店のママ

2022.07.11
こだわりを貫く玄米菜食店のママ

お盆の上に並ぶ、色とりどりのおかずと具がたっぷりのお味噌汁、そして脇にはふっくらと炊けた玄米ご飯。丁寧に育てられた野菜の滋味を五感で味わいながら、もちもちの玄米と合わせて食べるうち、全身がうっすらと汗ばみ、体はすっきりとした感覚に。食後はお腹だけでなく気持ちも満たされます。この食事ができるのは、「玄米菜食 米の子」というお店です。JR西国分寺駅から歩いて十数分、住宅の間に畑や市民菜園が並ぶ、閑静な通りを抜けた先にあります。元は店主の市川啓さんが育った杉並の西荻窪で十年以上間営む人気の店でしたが、今の場所に2022年3月に移転してきました。

「店を出すのが自分の役割」と思い立った

お店では“お母さん”や“おまんま”の意味を込めて、「ママ」と呼ばれる市川さん。玄米菜食への目覚めは、今から16年前に遡ります。市川さんは、自然食品の小売店を展開する会社の本部ではたらいていました。当時、しごとで料理研究家の西邨マユミさんのイベントを手伝います。西邨さんといえば、世界の歌姫・マドンナのプライベートシェフを務め、日本のマクロビオティック(マクロビ)ブームの中心的な役割を果たしたともいえる存在。彼女の炊いた玄米のおむすびを口にした瞬間、世界が変わりました。

「なんてもちもちしておいしいのだと驚きました。何よりマユミさんの朗らかな人柄が伝わってきて、来場者だけでなく、裏方にとっても楽しく豊かな時間だったんですよね。それでマクロビに対する印象が、ガラリと変わって。前に自己流で玄米食を試して失敗したときは、誤解だらけだったこともわかりました」

市川さんの生い立ちや玄米菜食に興味を持ったきっかけは、自著『亭主啓白』にまとめられている。
市川さんの生い立ちや玄米菜食に興味を持ったきっかけは、自著『亭主啓白』にまとめられている。

それからというもの、市川さんはマクロビに傾倒するように。しごとの伝手を生かして講座に通い、家族にもマクロビを勧め、社内で勉強会を催すほどのライフワークとなります。

「玄米を炊くコツをつかんだら、体調がみるみるとよくなったんです。身体も心も軽くなり、行動的にもなりました。一時期は“動物性食品は排除すべき”というような、極端な考えに陥ったこともあったほどです」

改めたのは、お父様の死がきっかけです。学生時代は成績優秀で、ラグビーの選手でもあったお父様は、50代半ばでくも膜下出血を患い肢体の動きは不自由なところもありましたが、身体自体は頑丈だったそうです。そのお父様が74才で息を引き取ったことは、市川さんにとって大きなショックでした。

「最後は寝たきりで過ごしていましたが、それでもまだ長生きするんだろうなと思っていたんです。それが後期高齢者になる手前で亡くなった。同居していたのでマクロビの料理を食べさせていた時期もあって、それが本当に健康につながる食だったのかと振り返ったのです。結局のところ、“自分の状態や置かれた環境に合わせた食事”というマクロビの本質をつかめていなかったことに気づきました」

家族をなくした喪失感に加え、会社でのしごともやり切った感覚がありました。そこでふと、「玄米菜食のお店を出そう」と思いつきます。

「理屈を捏ねて出た答えではなく、まさに降ってきたんです。自分がやるべきことはこれだ!という感じで。会社で携わっていた自然食レストランの開業プロジェクトが、途中で頓挫したことも影響していたのかもしれません」

やろうと決めたら止まらない市川さんは、翌年の3月には店を出すと決めて動き出します。会社に退職の意志を伝え、家族の説得を試み、時間さえあれば東京じゅうのマクロビやベジタリアンのレストランに足を運びリサーチしました。退職後には厨房のオペレーションを学ぼうと、知り合いの自然食のお店を手伝うことも。飲食店ではたらくのは、演劇やバンド活動に夢中になっていた若かりし日以来のことでした。

市川啓さん。「僕の名前の“啓”という字は、戸をたたくつくりに、口という字を持つ。食の扉を開くという意味で、名は体を表すのかなと感じています」
市川啓さん。「僕の名前の“啓”という字は、戸をたたくつくりに、口という字を持つ。食の扉を開くという意味で、名は体を表すのかなと感じています」

玄米と和食のこだわりがニッチに行きついた

今でこそファッションやサステナビリティの観点から、ヴィーガンへの理解は広まりつつありますが、お店を出した2009年頃はまだ菜食に対する理解はあまり浸透していませんでした。半ば勢いで始めたこともあり、オープンから3年間は赤字の状態が続きます。

「でもやめようとは思わなかったんですよね。食で人を幸せにしたいと、家族との別れを経験して始めたことですし。『もしうまくいかなかったら』なんて考えたこともなかった。確かに運転資金が目減りしていく様を見るのは、怖かったのですが。それでも開業時に受けた融資でなんとかやりくりし、手元のお金を崩さずに済んだので助かりました」

経営コンサルタントに相談すると、「肉や魚のおかずや、玄米以外の主食も取り入れたら?」とアドバイスを受けました。でも市川さんは、頑なに拒み続けました。お店のアイデンティティに関わる部分だったからです。またお店が軌道に乗ったのは、“定食の店”として主軸が定まった時期と重なります。

「シンプルに言えば、もっとお米を食べてほしいという思いですね。食の欧米化や簡素化が進んで、日本人の米の消費量は年々減っています。でも日本の風土や歴史、日本人の体質を踏まえると、お米がいちばん理にかなっているんです」

米の子で供される定食。肉や魚など動物性食品を使っていないのに、ボリュームもしっかり。(写真提供:玄米菜食 米の子 撮影:さいとう りょうこ)
米の子で供される定食。肉や魚など動物性食品を使っていないのに、ボリュームもしっかり。(写真提供:玄米菜食 米の子 撮影:さいとう りょうこ)

米の子の食事は、一汁一菜が考えの根底にあります。和食のもっとも基本的な構成です。お味噌汁には、季節のお野菜がたっぷり。組み合わせを変えながら、いつも10種類以上の具材が使われています。プラス玄米ご飯があれば一食は成立するというのが、師事していた先生の教えです。

「ご飯とおかずを交互に口に運び、咀嚼しながら味わう口中調味も和食の醍醐味。だからさっぱりした酢の物や、薬味やスパイスで香りをつけた和え物など、複数の小鉢を添えています。玄米菜食に限った和定食のお店となったら、飲食店が8万軒以上あるといわれる東京でもそうそうないでしょう。ある意味ニッチなところを突き続けてきたんですよね。そうするうちに固定のお客様もついてきたし、若い世代を中心にヴィーガンが増えてきた世の中の流れにも乗れたという感じです。まあ本音を言えば、お酒が出たほうが経営的には助かるんだけど」

お店では、有機ワインや自然派の日本酒などのお酒も置いています。開店当初は晩酌セットなど、野菜のおつまみとお酒の組み合わせも提案してきました。でも米の子を訪れる人のほとんどは、お酒を頼まないのだそうです。そのうちに、昼夜問わず定食を出すスタイルが定着したといいます。

視野を広げた先に新しいまちとの出会いが

開店から10年が過ぎて、地域に根ざした店となっていた米の子ですが、2020年以降の新型コロナはやはり大きな打撃となりました。
感染が少し落ち着いても、変異株が見つかればすぐさま危機的状況に。緊急事態宣言が出るたび、飲食店が槍玉に挙げられたのは記憶に新しいところです。そして市川さんを悩ませたのは、この年が店の賃貸契約の最終年にあたっていたことです。

「世間で騒がれ始めた頃に、スタッフの一人が感染してしまったんです。これは大変なことだと思い、早々に店内飲食を取りやめてテイクアウトのみに切り替えました。でもそれから1年近く経っても客席を動かせなかったし、この先もどうなるかまったく読めない。いったん引いたほうがいいと判断し、更新を見送りました」

契約をしないということは、移転先を決めなければいけません。そして次の場所が決まらないまま、米の子は一時閉店の日を迎えます。2021年3月のことでした。

「店を閉めた直後に、ある場所で成約寸前の段階まで話が進んでいたのですが、どうも途中で行き詰まったり、納得いかない問題が立て続けに起こったりしてモヤモヤしていたんです。この気持ちのままではダメだと思い、本当に直前でキャンセルしました。既に旧知のインテリアデザイナーにも設計をお願いしていたし、方々へ頭を下げることに。でも振り返ってみれば、自分に正直になってよかったと思っています」

その後もしばらくは近くで空きテナントを探しますが、条件に見合うものが見つかりません。そもそも西荻窪は人気の出店エリアです。特に厨房設備に対応したコンパクトな物件となると、困難を極めました。そこで武蔵野・国分寺エリアまで範囲を広げて探したところ、今のお店の物件情報をリンジンで見つけたのです。

米の子の入るマンション。建物の裏には小学校がある。休み時間には子どもたちの元気な声が聞こえる。
米の子の入るマンション。建物の裏には小学校がある。休み時間には子どもたちの元気な声が聞こえる。

「西荻窪にこだわる理由がわからなくなっていた頃に、『ここはどう?』と妻がリンジンのホームページを教えてくれて。最初は物件に惹かれたというより、リンジンを運営しているタウンキッチンさんの地域の人の手でまちを豊かにする姿勢がいいなと思って、問い合わせてみました」

候補となったのは、街道沿いにあるマンション下の店舗スペースです。前に入っていたお蕎麦屋さんの名残が見られ、客席は二面採光の明るいつくりになっています。2階には和室があり、ヨガなどのイベントスペースにも使えそうです。

「西荻窪と比べると家賃が手ごろだから、同じ予算でも中身が充実するんですよね。最初はどうだろうと感じていたのですが、他にもいくつか回ってからもう一度見せてもらうと、『あれ?意外と悪くないかも』と思い直したんです。最初の内見から数カ月経っていたのですが、今となってはよく残ってくれていた!という感じです」

移転にあたり、西荻窪から持ち運んだのは冷蔵庫1台と調理器具のみ。お蕎麦屋さんのときの状態をできるだけ生かしながら、新生米の子の世界観をつくりあげていきました。

「特に気に入っているのは、カウンター上のつくりです。壁の青は空を表し、間接照明でやさしくメニューを照らしています」

こうしてお店ができると同時に住居も決定。2022年3月、西国分寺での暮らしが始まりました。

内装は大手ブランドの店舗デザインで知られ、国内外からも高い評価を得るインテリアデザイナーの柿谷耕司氏が手掛けた(米の子のお店のようすは柿谷耕司アトリエのWebサイトでもご覧になれます)。
内装は大手ブランドの店舗デザインで知られ、国内外からも高い評価を得るインテリアデザイナーの柿谷耕司氏が手掛けた(米の子のお店のようすは柿谷耕司アトリエのWebサイトでもご覧になれます)。
お蕎麦屋さんの面影を残す2階のスペース。さっそくヨガレッスンや玄米菜食を学ぶ「米の子塾」を開催している。
お蕎麦屋さんの面影を残す2階のスペース。さっそくヨガレッスンや玄米菜食を学ぶ「米の子塾」を開催している。

迎え入れる姿勢へと変えた1年間の休業

ちょうど新型コロナによる飲食店に対する規制も緩和されたことから、新店舗では開店のタイミングで店内飲食も再開。地元の人だけでなく、西荻窪時代から復活を待ちわびていた常連さんも足を運んでくれています。

「駅からけっこう離れているのに、食べに来てくれるのはとても嬉しいですね。それに暮らしてみると、国分寺ってどことなく西荻窪に似ている感じがするんです。お客様の中にも西荻窪から移住してきたという人がいて、『また米の子が近くになって嬉しい』とおっしゃっていました」

新しいお店では、運営を変えたところもあります。それは市川さん自身が接客を始めたことです。

「店を一度閉めてから移転するまでの間に、友人や知人のお店をいくつかお手伝いしました。そこで接客もやって、面白かったんですよね。食べる人の反応を見たり、おしゃべりをしたり。食事はただ食物を摂取する行為とは違うことに、改めて気づかされました」

厨房にこもりっきりだった西荻窪のときは、職人のように眉間にしわを寄せていることも多かったとか。以前からつき合いのあるヨガの先生が新店舗に食事に来たとき、「前の店のときよりも楽しそうだ」という言葉にハッとしたといいます。

「言われてみれば、以前は“迎え撃つ”感覚だったんですよね。真剣にやっていたからこそなんだろうけれど。空が広くて、空気がきれいで、鳥の声がたくさん聞こえるところに移って来て、少し肩の力が抜けたのかもしれません」

けれども食に対する姿勢は、西荻窪の頃と変わりません。定食が基本のスタイルはそのまま、「大豆たん白の唐揚げ」や「もちきび入り焼き餃子」の定番のおかずも健在です。

「うちのお店は、菜食主義者のためのお店ではないんです。ごく普通の食事をしている人が、『野菜をたくさん食べたい』とやって来る。私は肉を食べることを否定するつもりはまったくありません。米の子のご飯をおいしくお召し上がりいただき、ふだんの食事を振り返ってみたり、米食のよさに気づいたりするきっかけになればいいなと思っています」

そう話す市川さんの表情には、ニックネームである“ママ”のような柔らかな笑みがこぼれていました。(たなべ)

玄米菜食のよさをパソコンも使いながら教えてくれる市川さん。
玄米菜食のよさをパソコンも使いながら教えてくれる市川さん。

市川さんが選んだ物件
住んで営む3階建メゾネット|西国分寺

市川さんのSTORY

1967年 東京で生まれる
1991年 当時付き合っていた彼女の影響で、食の流通や安全性に関心を持つ。肉食をやめ、その後、徐々に自然食品や菜食主体の食習慣に
2001年 自然食品の小売店をフランチャイズ展開する会社に就職。本部の企画開発部に配属となり、商品開発や店舗開発、プロモーションなどを担当する
2006年 しごとの一環で料理研究家の西邨マユミさんと出会い、マクロビオティックにのめり込むきっかけとなる
2008年 父逝去。食事に対する考えや生き方を見直し、会社を退職して出店準備に入る
2009年 西荻窪に「玄米菜食 米の子」を開業
2013年 「もちもち☆れんこんバーグ定食」を発売すると、ヒットとなり知名度が上がる。和定食主体のお店という主軸が定まる
2013年~ イベントやおせちなどの限定商品を手掛け、ファンの獲得につなげる
2020年 新型コロナの影響で店内飲食を中止し、テイクアウト販売に限定する
2021年 今後を鑑み3月で一時閉店、移転先を探す1年に
2022年 3月に西国分寺で「玄米菜食 米の子」をリニューアルオープン

住居・店舗・事務所物件のご紹介

TEL 0422-30-5800
MAIL info@town-kitchen.com
理想の働き方、暮らし方を実現できる物件をお探しします。まずはお気軽にご相談へお越しください。空き物件を巡るまち歩きツアーや、空き家・空き地の利活用のご相談もお受けしております。
https://here-kougai.com/program/program-214/

「笑顔はちょっとニガテなんです」と言いながら、はにかむ表情の市川さん。
「笑顔はちょっとニガテなんです」と言いながら、はにかむ表情の市川さん。
INFO

まちのインキュベーションゼミ#6「お店づくり」

まちのインキュベーションゼミは、アイデアを地域で育てる実践型の創業プログラム。アイデアを事業化したいリーダーと様々なスキルを持って事業化をサポートしたいフォロワーがチームを作り、地域をフィールドに実践までを共にする4ヶ月間のプログラムです。

今回のテーマは「お店づくり」。いつかお店を開きたいという構想段階の方から、開店準備中で地域の仲間を増やしたい方、お店をオープンしたけどもっとお客様を増やしたい方、誰かのサポートを通してお店づくりを経験をしたい方など、「お店づくり」をキーワードにメンバーを募集します。

期間

7月30日(土)− 12月10日(土)

場所

KO-TO(東小金井事業創造センター)

定員

30名(先着順)

参加費

3,300円(税込)

対象

・アイデアをカタチにしたい人
・事業計画を実現したい人
・新規事業をはじめたい人
・事業を推進する仲間が欲しい人
・デザインなどのスキルを、誰かの事業に活かしたい人
・すでにあるお店や場所を、誰かに有効利用してほしい人
・事業化のサポートを通じて、起業経験を積みたい人
・将来、起業を目指している人

プログラム

オリエンテーション
7月30日(土)10:00-17:00
参加者の自己紹介を行い、共にプログラムをスタートする仲間を知ります。さらに、事業計画に関するレクチャーやフィードバックを受けて、各自のアイデアをブラッシュアップします。

選考会・チームビルディング
8月20日(土)10:00-17:00
リーダー立候補者がプラン発表を行い、リーダーを選出します。決定したリーダーを中心にチーム編成し、4ヶ月後の実践に向けた業務設計を行います。

プランニング
9月24日(土)13:00-17:00
実践プランをチームごとに発表します。プランに対するフィードバックをもとに、実践に向けた細部の設計を進めます。

実践
11月下旬〜12月上旬
プレイベント、テストマーケティング、Web等による情報発信など、チームごとにプランニングした内容の実践を行います。

クロージング
12月10日(土)13:00-17:00
トライアルを踏まえ、事業プランの再構築を行います。ゼミを通じて得た気づきや学びをシェアし、各自のネクストステップを共有します。

プロフィール

市川啓

市川啓

1967年東京生まれ。音楽活動、影絵劇団での活動を経て、魚肉練り製品メーカーの営業職に従事。その後「自然食品の店アニュー」のフランチャイズ本部である、ナチュラルグループ本社に転職。2006年より玄米菜食をはじめ、カノン小林氏主宰のマクロビオティックスクールで「Kushi Institute International Extention」初級を修了する。2009年に西荻窪に「玄米菜食 米の子」を開業。2022年に西国分寺に店舗を移転し現在に至る。著書に『亭主啓白』(ソーシャルキャピタル刊 店舗にて購入可能)がある。

玄米菜食 米の子
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