団地に宿るサウダーヂ

2025.09.19
団地に宿るサウダーヂ

2025年は、カルチャー界隈でも団地がアツイ年になっています。バンド・神聖かまってちゃんのアルバム「団地テーゼ」がリリースされたり、「ルノワール」「しあわせは食べて寝て待て」などの団地を舞台にした映画やドラマが公開されたり、クリエイター集団「団地団」による展示会「団地と映画―世界は映画でできている」が開催されたり。戦後の高度経済成長期に量産された団地に、どうして今も惹きつけられるのでしょう。

団地が出てくる作品と聞いて私がふと思い出すのが、「サウダーヂ」(富田克也監督、2011年制作)という映画です。ロカルノ国際映画祭などの映画賞を受賞したものの、「作りたいものを勝手に作って勝手に上映する」というポリシーでソフト化や配信はされていないため、少しマニアックな映画の部類に入るかもしれません。

監督の出身地である山梨県甲府市を舞台に、現地を1年間リサーチして、実際に住む地元の人々をキャスティングして作られた本作品。日本で先駆けて郊外団地の移民コミュニティを描いた映画で、ブラジル系移民が多く暮らす実在の「山王団地」が登場します。リーマンショック後の土木作業員のリストラやシャッター通りの商店街など、郊外の閉塞感がリアルに映し出され、日本人とブラジル系移民のヒップホップグループの対立が俯瞰的な視点で描かれます。

一つの象徴的なシーンがあります。主要人物であるラッパー&土木作業員・猛(田我流)が派遣会社で「山王団地」と言った時に、ブラジル系移民のスタッフが「サウダーヂ」と聞き間違える場面。サウダーヂは、失われたものへの郷愁、叶わない憧れ、未来への祈りなど、今はないものへの愛しさと切なさを含んだ多様な意味のポルトガル語。脚本家のダジャレから生まれたというユーモラスなワンシーンですが、後々このシーンがじわじわ響いてくるんです。山王団地は、家族崩壊した猛にとっては子ども時代に家族と幸せに暮らした場所であり、ブラジルから出稼ぎにきた移民にとっては夢が崩れて仲間と離れていく場所。団地を巡るそれぞれのサウダーヂが、対立や悲劇の引き金になっているようにも思えます。

そこで、団地=サウダーヂ説。そもそも表現は、つくる側も受けとる側にとっても、悲しみや痛みなどの現実世界で満たされない感情が根源にあると私は思っています。表現の舞台として団地に惹かれるのは、量産・規格化された建物自体のインパクトだけでなく、郷愁や憧憬、未来への祈りといったサウダーヂが漂うからではないでしょうか。戻らない高度経済成長期の時代、離れた家族との思い出、人のつながりへの願い。かつての暮らしの記憶が宿り、国籍も世代も多様性を受け入れる均一的な共同住宅だからこそ、様々な人の複雑な感情とストーリーをギュッと濃く描き出せると思うのです。
皆さんも、気になる団地作品があればぜひ教えてください!(平田)

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