プレー人口が日本で一番多いと言われるバスケットボール。昨年6月、3人制バスケットボール“3×3(スリーバイスリー)”が東京オリンピックの正式種目に追加採用されたことで、これまでにない盛り上がりをみせ始めているのをご存知ですか?
その国内リーグで、上位の成績を納めているチームが立川にあります。2016年に設立された立川ダイスは、まちづくりを大きな目的として立ち上がった3×3のプロチーム。オーナーは立川の商工会議所や商店会など、地域ではたらく人々の集まり。ホームでの優勝をかけた大事な試合前に、選手とゼネラルマネージャーにお話を聞きました。プロスポーツと地域とのつながりとは。
3×3は、一般的に知られる5人制バスケの約半分のコートを使い、1チーム3名(控え選手1名)、1試合10分または21点先取でプレーします。公園などで3on3として知られていた3人制バスケットボールに世界統一競技ルールを設け、「ストリートから世界へ」を合言葉に、日本を含め世界中で普及が目指されている競技です。3×3の日本代表経験がある池田選手は、その魅力をこう語ります。
「5人制で有名だった選手が、3×3ですぐ活躍できるかというとそうではないんです。チームの人数が少ない分、3×3は特に1人ひとりの責任感が大きくなってきます。オリンピック競技になって、改めて3×3の面白さが伝わってきたのは、最初からプレーしている身としてはうれしいですね。フットサルとかビーチバレーと同じように派生した別の競技という感覚が広まって、選手へのリスペクトが上がってきているのも感じます」
3×3の国内リーグで昨年から引き続き、現在も得点王に輝くルーク・エバンス選手も「バスケを知らなくても見てすぐ楽しめるスポーツです。展開が早くて迫力があって、どこでも開催できるし、1日でたくさんのチームがひとつの場所で見られるのも楽しいと思います」と言います。
中国出身で選手からゼネラルマネージャーへと転身した劉生琢行さんは、経験してきた両方の立場からチームと3×3のこれからを考えています。
「日本ではマイナー競技でしたが、2014年に3×3の国内トップリーグができて以降、年々環境はよくなってきています。それでも今は5人制の一部のチーム、一部の選手だけがバスケで生計を立てられているのが現状です。その環境をさらに良くしていくためにも、立川ダイスから、日の丸を背負ってオリンピック代表になる選手を絶対に出したいですね。地域にもきっと夢を与えられると思うんです」
オリンピックとともに、盛り上がりの上昇気流に乗っている3×3。けれど今はまだ、プロであってもそれだけで暮らしていくには少し時間がかかるようです。選手はそれぞれ、チームとどのような関わり方をしているのでしょうか。
アメリカ出身のエバンス選手は、5年前に大学を卒業してからすぐプロ選手に。当初はコロンビアでプレーしていましたが、その後日本へ渡り、鹿児島や石川のチームを経て東京に移ってきました。現在は、都内の5人制プロチームと掛け持ちをされているそう。
一方、大学卒業直後からストリートバスケットボールを始めた池田選手は、2013年にはFIBA(国際バスケットボール連盟)公認大会の日本代表選手となり、日本における3×3の発展と競技人生をともにしてきた経歴の持ち主です。そんな池田さんは現在、町田市の中学校で体育教師とバスケ部の顧問をされていると言います。
「教員としていくつかの学校に勤めながら、国内で3×3のリーグが始まる前の時代から色々なチームでプレーを続けて、昨年立川ダイスに来ました。試合は週末にあるのですが、学校の行事や教え子の試合を優先するというスタイルでプレーしています」
学校の先生もプロスポーツ選手もフルパワーで取り組むことが不可欠なだけに、その両立は想像できなかったスタイルです。
そんな選手のはたらき方について、ゼネラルマネージャー補佐の劉生さんはこう話します。
「3×3だけやっている選手はいないんです。全く違う職業という場合もあるし、他チームのゼネラルマネージャーをしながらというメンバーもいます。みんなメインのしごとがあってやっています。3×3は他のプロスポーツとは違って、今までのしごとをキープしながらできるんです。公式戦が6月から9月の週末開催なのでフルタイムの関わりが求められないことや、選手を選ぶ基準としてチーム・地域への想いが重要視されることがポイントになっていると思います」
劉生さん自身も、選手として現役引退した6年前からパートナーと事業を立ち上げ、日本企業向けに外国人採用のコンサルティングをしているのだそう。海外の大学に日本語のオーダーメイドクラスを作り、企業の担当者を採用面接にアテンドするため、年に20回ほど海外へ行くというから驚きです。
プロスポーツとしては選手の収入を確保していくという課題がある一方で、別のしごとと両立できる環境や条件にあるということは、まずチームとして存続していく上でも、さらには選手のはたらき方やセカンドキャリアを考えても、ポジティブな側面でもあるように思えます。
選手として選ばれる基準のひとつに「地域への想い」というお話がありましたが、実は、劉生さんが立川ダイスに加わった経緯と強く結びついている言葉です。
「立川ダイスは元々、立川商工会議所が委員会を立ち上げて、“スポーツでまちづくり”をキーワードに作ったチームなんです。委員会の一人と知り合いで『やらないか』と声をかけてもらったのがきっかけです。当日すでに現役引退を考えていたので、その時点で裏方に回ろうという気持ちでアサインしました。ただ強いチームではなくて、地元の人に愛され、まちおこしのひとつのツールとしてスポーツの力を借りたいんだという熱意が、すごく伝わってきたのを覚えています」
立川ダイスは、「人々の意識・関心をもっと立川に向ける仕組み作り」を重要視した立川の経済界(立川商工会議所・立川市商店街振興組合連合会・立川観光協会・立川青年会議所といった市内経済団体)が、「立川で営み、暮らし、働く人々が一体となって夢中になれる存在」として設立した地域密着のプロスポーツチーム。誕生の理由には、まちへの想いが強く込められているのです。チームの設立以降は、選手育成や英語学習を交えたバスケ教室、キッズチアダンスなど、地域で様々なイベントを開催しています。
まちづくりを大きな目的としているチームですが、メンバーとなるのは、全国どころか海外からも集まってくる選手達。地域とチームの関係をどんな風に築いているのでしょうか。
「選手のときには見えなかった部分が、今見えてきています。商店会の集まりだったり、地元の集まりに行く機会が多くて、選手には届かない声を聞けるんです。“立川ダイス”と銘打っている以上、プレーはもちろんですが、地域に貢献できることをしていかなきゃいけないと感じるようになりました。今はそれを、私が選手に伝えていく使命を感じています。通訳は言葉じゃなく文化を訳せと言われますが、それと共通する部分があると思っていて。選手達自身が実際に感じることが大切なので、地域の集まりに選手を連れて行くこともあります。」
「立川ダイスには、“スポーツの力で立川を笑顔あふれるまちにする”というスローガンがあるんですが、それに一歩ずつ近づいていますね。スポンサーや応援してくれているところが、まちの中に等身大パネルやフラッグを置いてくれていて、“オール立川”だなと感じます。街中を選手が歩いていて、『あ、あの背の高い人は』となるくらいに距離が近いんです。だからこそ、優勝してテレビなどで見たときに、身近な人ががんばってるとか、自分もがんばろうとか、イメージしやすいと思うんです」
昨年、地元企業がバスケットボールの大会開催を念頭に体育館・アリーナ立川立飛を開設し、スポーツのための環境が整ってきている立川。5人制バスケットボールのプロチームであるアルバルク東京もホームコートとして利用するなど、スポーツのまちとしての顔が生まれ始めています。プロスポーツチームのなかった立川にとって、立川ダイスは自分たちでつくり上げた“地域の星”。そこで努力を重ね輝く選手達は、本業があっても、地元出身ではなくてもチームに加わり、プレーはもちろん地域に対しても想い入れを持つメンバーです。地域とともにある立川ダイスのこれからの快進撃が楽しみです。(國廣)
3×3日本代表、ワールドツアーファイナルの経験を持つ日本ストリートボール界No.1スラッシャー。ストリートボールリーグSOMECITYでは平塚Connectionsに所属。都内の中学校で教員として勤務しながら、2017年からは立川ダイスでもプレー。
アメリカ出身。コロンビアのチームを経て日本の5人制プロバスケットボールチームへ。立川ダイスに参加した2016年シーズンリーグ得点王に輝く。長身ながら器用なオールラウンダー、献身的なプレーでチームを牽引する立川ダイスのスタープレーヤー。
立川ダイスゼネラルマネージャー補佐。中国出身。茨城県の霞ヶ浦高校を卒業後、白鴎大学へ進学。その後、5人制プロバスケットボールチームの栃木ブレックスをはじめ4つのチームでプレーし、2015年に立川ダイスへ。2018年からはゼネラルマネージャー補佐に就任。
http://tachikawa-dice.tokyo/