家族のライフイベントは、自身のはたらき方を見直す絶好のチャンス。現在多摩地域で活躍するデザイナーの古田裕さんも、職住近接を決意したきっかけはお子さんの進学でした。そして古田さんは自身が運営するデザイン事務所、地元のパパたちと立ち上げた地域デザインの会社、それぞれで精力的に活動しています。はたらく場を2つ持つことの面白さとは。
調布市に住み始めて10年になる古田さん。自然豊かで都心へのアクセスも便利なうえ、マイカーを所持して暮らすには手頃なところが気に入りました。デザイナーのキャリアはおよそ20年。調布に住み始めた頃は会社員でしたが、今はデザイン事務所FULL_DESIGNを吉祥寺に構えます。オフィスは友達とシェアしており、自宅から自転車で通える距離感がちょうどいいといいます。
古田さんの作品をいくつか見せていただきました。水色のバックに一株まるごとの白菜がひときわ目を引く大胆な構図もあれば、折り込みをめくると赤かぶやネギなどの野菜が根を張る土の中のようすが表れるかわいらしい仕掛けも――。古田さんの手掛けるアートワークはどの素材もいきいきとしていて、かつ遊び心でいっぱい。手に取る人をワクワクさせる魔法がかけられています。
高校生の頃にアートのような広告の世界に魅せられて、古田さんはグラフィックデザインの道に進みます。専門的な知識や技術を学んだ後、複数のデザイン事務所で経験を積みます。大手スーパーの店内用の装飾物や大手電気メーカーのカタログ、渋谷の商業施設と雑誌のタイアップ企画などを担当しました。時代の先端を行く商業広告の制作は課題の連続でしたが、町行く人たちが目にすることを思うとやりがいを感じることも多かったようです。
ところがある時、しごとのスタイルを考え直すきっかけが訪れます。お子さんの進学でした。
「保育園は20時まで子どもの面倒を見てくれるのですが、学童では19時まででした。職場から迎えに行くには間に合わないことが分かり、これはどうしようと。夫婦で話し合いました」
同業の奥さんは、これまでも短時間勤務などで対応していましたが、他の業種よりも定時が遅めなデザイン業界です。子どものことを思うと、退職も頭をよぎりました。
「でも、それっておかしいなって。どうして妻だけがしごとを諦めないといけないんだろうと思ったんです。だったらまずは自分が実験台になってみようと。それで会社を辞めることにしました」
実はこの時古田さんは、デザインの力で地域の魅力を底上げできないかと考えていました。たまたま手にしたフライヤー(チラシ)を見て興味が沸き、国分寺で行われていた地域デザイン講座に参加していたのです。古田さんは講座を通じて多摩の底知れぬ魅力に感銘を受け、“会社ではたらくだけが仕事じゃない”と、次第に思うようになります。
「例えば古びた地元の商店街も、デザインによって懐かしさが味わいになれば印象はガラリと変わるはず。自分のしごとが実はすぐ近くにあるのではないか、と思うようになりました。講座の仲間にはフリーランスで働いている人もいましたし、すごく刺激を受けましたね」
こうして古田さんは退職を決意。片道1時間強の通勤生活を手放すことになりました。
最初はコネクションも何もない状態からスタートしましたが、今ではしごとぶりが評判を呼び、FULL_DESIGNには多摩地域のいろんなクライアントから相談が舞い込んできます。取引先は市役所や農協などの団体から養護老人ホームまで、実にさまざま。悩みやオーダーも千差万別で、会社員の頃とは違った面白さがあるそうです。
「今のお取引先の多くは、デザインのことにそれほど詳しくはありません。だからなおのこと、みんなが驚くような提案をしたくなります。これまでのコミュニケーションでは周りに届かなかったからと、僕を頼ってくれる人たちばかりです。その期待にしっかり応えたいと思っています」
相手は広告の専門家ではない分、丁寧に説明することを心がけるようになりました。あえて残した余白や色使い、文字の大きさなど、きちんと意図を伝えることで“プロの仕事だ”と認めてもらえるのだそうです。
「先日も市民講座のフライヤーをデザインしたのですが、今まではWebからの申し込みが9割だったのが、フライヤー経由での申し込みが4割にアップしたと聞きました。これまで届かなかった層に講座の存在を伝えることができたと思うと、すごく嬉しかったですね」
依頼された制作物が出来上がるたび、「見て見て!」と周りに自慢したくなるという古田さん。この感覚は、フリーランスになってから特に強くなったといいます。
そして古田さんのもう一つの活動が、ライフスタイルデザインカンパニー・パッチワークスです。
「パッチワークスは『調布で面白いことをしよう』と立ち上がった、地元のパパたち4人による会社です。設立して2回めの会議の時に、メンバーでもあり当時入居していたコワーキングスペースの運営者でもある友人が声をかけてくれたのです。パッチワークスは、”これで飯を食べていく”というものではないにしろ、活動を続けていけるだけの利益を生んでいこうとあえて会社という形で活動しています」
パッチワークスでは、多摩川にかかる鉄橋の橋脚をスクリーンにした野外上映会ねぶくろシネマや、出店者がこだわりの1品のみで勝負するマルシェいっぴんいちなどを主催。その後ねぶくろシネマは調布を飛び出し、各地で40回近く開催されるほどになりました。また取り壊しの決まったビルの入居者や周辺の人たちと思い出を楽しむ棟下式(むねおろしき)をプロデュースするなど、活動の場はどんどん広がっています。
「僕は告知フライヤーや会場のアートワークなどを担当しています。ねぶくろシネマだと、上映作品や会場の特色を生かしたデザインを考えます。六本木のミッドタウンで上映した時のフライヤーは、黒とネオンカラーで眠らない街をイメージしました」
パッチワークスでは週に1度の定例会はあるものの、基本的にはそれぞれの役割分担が決まっています。企画全体の構成やスポンサーとの折衝などは“アイデア係長”、予算の管理は“財務係長”といった具合。デザイン担当の古田さんは“デザイン係長”です。
「メンバーはみんな別のしごとを持っています。いい意味でパッチワークスに寄りかかっていない。それぞれがプロフェッショナルだから、彼らの領域については全部任せられる。一緒にやっていて、心地いいんです」
淡々としているようにも聞こえますが、実際はその逆。設営ではみんなでペンキを塗ったり、お客さんがどんな反応を示すかワクワクしたり。まるで学園祭のような面白さだそうです。
デザインで地元に根ざすはたらき方に挑戦した古田さん。これまでを振り返り、どのように感じているのでしょうか。
「僕の場合、場が2つあるのが合っている気がします。パッチワークスでは好き放題にデザインできるけど、これまでのスキルの焼き直しではダメで、やっぱり進化していかないといけない。それはFULL_DESIGNでのクライアントワークが支えていて、そしてパッチワークスでの遊びや冒険が他のしごとのデザインに反映されています。両方やるのは忙しいけれど、両方あるからやりがいにつながる。これまで通勤にかけていた時間を、しごとや家のことに使えているわけですから。いい時間の使い方をしている気がします」
そして今の暮らしに至るまでには、都心でデザインの先端に触れ、センスを磨き、社会人としてひととおりの経験を積むという時間がありました。
「それでも勤めていた頃と比べたらかなり自由。ストレスフリーなはたらき方に出会ってしまった。それも住み心地のいい郊外で。今の自分、毎日をかなり楽しんでいます(笑)」
取材中、終始楽しそうに語る古田さんの言葉と表情からは、充実した日々がにじみ出ていました。(たなべ)
1974年長野県飯田市生まれ。数社のデザイン事務所を経て2015年に独立し、FULL_DESIGNを設立。広告や紙媒体を中心に、アートディレクション、撮影ディレクション、グラフィックデザインを手掛ける。地域に根ざすデザイナーを標榜して活動中。
合同会社パッチワークス
http://patchworks.co.jp/