パン職人の日常にアカリを灯す

2021.01.21
パン職人の日常にアカリを灯す

国立駅を出てすぐ、近所から集まるお客さんの出入りが絶えない小さなベーカリーがあります。高山顕さんが営むアカリベーカリー。オープンは10時30分、ベーカリーとしてはめずらしいお昼に中休みを取る営業スタイルです。2015年の開業から5年。まちの人気店として国立の日常に溶け込むようになるまでには、普通なら心が折れてしまいそうな不測の出来事と、初心を守るひたむきな日々の積み重ねがありました。

あのベーカリーに憧れて

高山さんが自分のベーカリーを開くことを夢見たのは小学生のとき。スタジオジブリのアニメーション魔女の宅急便に登場するお店を見て、その穏やかな雰囲気に憧れました。純粋な気持ちを持ち続け、食品系の高校へ進学。卒業後、国立にある製菓学校エコールキュリネール国立へと進みます。

「製菓学校に通った1年間、はじめて国立で一人暮らしをしました。緑の多い風景とこだわりのある個人店が多いまちにすっかり惹かれて、『いつか自分でお店を開くなら国立だな』と感じたのをよく覚えています」

「国立のコーヒーロースターのロゴを見てすてきだなと思って、店主さんに声をかけました(笑)偶然、そこの奥さんがデザイナーさんだったのでうちのロゴもお願いしたんです」と高山さん。
「国立のコーヒーロースターのロゴを見てすてきだなと思って、店主さんに声をかけました(笑)偶然、そこの奥さんがデザイナーさんだったのでうちのロゴもお願いしたんです」と高山さん。
駅から出てお店へやって来る人、子どもと一緒に自転車で買いに来る人、お向かいの八百屋さんとはしごする人など、ひっきりなしにお客さんが訪れる。
駅から出てお店へやって来る人、子どもと一緒に自転車で買いに来る人、お向かいの八百屋さんとはしごする人など、ひっきりなしにお客さんが訪れる。

開業への想いをあたためながら、浅草にあるホテルのベーカリー部門へ就職。パンづくりの基礎を体で学びながら、早朝からパンを焼く毎日を送ります。当時は、30歳くらいになったら独立かなとぼんやりイメージしていた高山さん。「やる自信もまだなかった」と振り返ります。転機となったのは、ホテルやレストランを経て、個人経営のベーカリーに転職した頃。それまでの経験が活きて店長を任されることになり、店舗の運営自体に関わるようになったことでした。

「パンをつくることだけに集中していた時代は、経営的な目線は持っていなくて、考えたとしても原価計算くらい。店長になり、売上や人事管理まで自分自身で考えるようになって、意識がガラッと変わりました。わからないことだらけで、やりながら覚えるしかなく… 好きなことをしごとにするって大変なことだと身に染みました(笑)」

時を同じくして、パートナーとの結婚も考えていた高山さん。将来の生活設計を構想する中で、自然と自分のお店を持つことを現実的に計画するようになりました。そして、いよいよ2014年から独立の準備をはじめます。翌年の3月、6年務めたベーカリーを退社。開業に向けた日々のはじまりです。

工房からお客さんが見える店

退社に先立って動き始めていたのは、国立での物件探し。これがとても難航しました。30軒以上見たものの、一向に「これだ」という物件に巡り合えず。エリアを広げて探しましたが、やはり愛着があるのは国立。知っている人も通っているお店もある特別なまちでした。

思いがけない縁を届けてくれたのは、国立に暮らす設計士の寺林省二さん。谷保に自宅兼店舗を持っており、奥さんが営む手仕事のお店musubiのファンだった高山さんは、かねてからお店に通い、寺林さんとも顔見知りになっていました。物件が決まらないことをふと相談すると、早々に地元の不動産屋さんを紹介してくれたのだそう。

「寺林さんのお店の内外装が好きだったので、設計もぜひお願いしたいと思っていたんです。紹介いただいた不動産屋さんで8月にやっと今の物件を契約できたのですが、決まるまでは本当に不安で。逆に決まると、すべて一気に動き出しました。物件がないと融資の話も進まないので、何も手をつけられなかったんです」

ベーカリーというお店自体の雰囲気に魅力を感じ、この道に進んだ高山さん。設計にも特別なこだわりがありました。

「ベーカリーは奥に厨房をつくることが多いのですが、あえて壁を抜いて、工房から店内が見えるようにしてもらいました。子ども連れのお客さんがこちらを覗き込んで楽しんでくれているのですが、実は、僕の方がお客さんを見たかったんです。どんな方がいらっしゃっていて、どんな表情でパンを選ばれているのか見ていたくて」

設計を快く引き受けた寺林さんと相談しながら、高山さんのイメージを叶え、そしてまちに合った設計が次第に仕上がっていきました。
設計を快く引き受けた寺林さんと相談しながら、高山さんのイメージを叶え、そしてまちに合った設計が次第に仕上がっていきました。

「寺林さんとはご近所さんで、お互いの家が歩いて5分くらいのところなんです。だから、何かあればすぐ会って、図面を見ながら直接お話することができたのがすごく良かったです。僕がイメージするお店の画像を見てもらったり、実際に見に行ってもらったりもしました」

高山さんが提供したいのは“毎日食べられるパン”。食卓の灯りのもと、パンを囲んでみんなが集う情景を思い描きながら、店名は「アカリベーカリー」と名付けました。そして2015年12月、いよいよオープンの日を迎えます。

今ではレストランへの卸しも行うものの、「基本はあくまでもお店に来てもらうこと」と高山さん。
今ではレストランへの卸しも行うものの、「基本はあくまでもお店に来てもらうこと」と高山さん。

開業3日目の急展開

ついに迎えたオープン。お客さんが詰め寄せ、思った以上の忙しさに見舞われます。本来ならうれしい悲鳴で乗り切るところですが、うれしさだけでは終わりませんでした。オープンから3日後、事件と言ってもいい出来事が起こります。

「僕と2人でお店を立ち上げた後輩が、お店に来なかったんです。開業準備から休むことなく走り続けていた無理がたたってギブアップ。何と言ったらいいのか…その時は本当に途方に暮れました。『これはどうしたもんかな…』と」

製造も販売も、すべてを2人一緒に担当する前提で計画してきていました。お店が開けられない。高山さんにとって、右腕と言うより、2人で1人、一心同体な存在。突然1人になってしまえば、そもそもお店に並べるパンを作る手が足りません。人を雇うにも今日の明日でいい人材が見つかるとは思えません。そればかりか、人件費の計算も大きく変わってきます。

「忙しくて、どんなに頑張ってもしごとが終わらなかったんです。準備から数ヶ月その状況が続いていたので、正直このままでは厳しいかもしれないとは感じていたんですが、そんなに早いとは思いもしなくて… でも、お店はオープンしたばかりで、たくさんの人に応援してもらって投資もしている以上、引くにも引けませんでした」

パンをつくりながら店内にも目を配る高山さん。ドアが開く度に「ありがとうございました」と1人ひとりを声で見送る。
パンをつくりながら店内にも目を配る高山さん。ドアが開く度に「ありがとうございました」と1人ひとりを声で見送る。

何年もの経験と準備を経て、ようやく実現した開業。思いもよらぬ事態に、高山さん自身の体調にも精神状態にも無理が積もっていきます。窮地を脱する光となったのは、高山さんのそばにいた人たちでした。前職でともに働いていた同僚がちょうど退職し、急きょ製造を手伝ってくれることに。お店の向かいにある八百屋、しゅんかしゅんかさんは、ピンチヒッターのアルバイトの紹介をかって出てくれました。なんとか数ヶ月を乗り切り、年が明けて春になると、専門学校を卒業したばかりのスタッフを1人採用。そしてもうひとり、一番身近から協力なパートナーが現れました。

「オープン直後から、妻が会社を休んで手伝ってくれたんです。本当は『どちらか安定した収入があった方がいいね』とお店に入る予定はなかったのですが、オープン翌年の4月末には退職して、製造のサポートや接客を担当してくれています」

実は、高山さんが最後に勤めていたベーカリーで、講師として開催していたパン教室に生徒として参加していたのが奥さまとの出会い。高山さん、奥さま、そして新入社員の3人体制で売り上げは徐々に安定しはじめました。

「最初の半年が本当にキツかったですね…小さなお店なので、僕やスタッフのしんどい雰囲気がそのままお客さんに伝わってしまわないようにと気をつけていました」

正しく休み、はたらく

一難去ってまた一難、オープン翌年の5月には、お店にほど近い国立駅構内の商業施設がオープンし、売り上げが大きく落ち込みます。「困ったと頭を抱えた」と言う高山さんですが、地元での評判を聞きつけた雑誌からの取材を受けたことなどが功を奏し、国立の本屋さんが店頭でPRしてくれるなど、またしてもピンチを乗り切りました。

「開業して半年ちょっと、初めての夏に、思い切って夏休みを取ったんです。これがすごくよかった。日々忙しくて考えらずにいたことを、奥さんと一緒にしっかり見つめられたんです。『どういう状況になっても2人で体制でやっていけるように、もっとコンパクトにしよう』と。お店でも家でも一緒で、結婚して以来、こんなに長く同じ空間にいたことはないです(笑)」

怒涛のオープン3日目から、常に考えてきたお店のあり方。月6日休みから月8日休みへと増やしたり、中休みを導入したりと、収益とのバランスを見ながら、当初のような無理なはたらき方で破綻しないような理想の営業スタイルを探ってきました。コロナ禍をきっかけに、さらに自分たちのはたらき方を見直したと言います。

「営業時間のオープンを30分後ろ倒して、10時30分からに。夜も30分早めて18時にクローズすることにしました。どこかのタイミングでとは思っていたけれど、夜しか来られないお客さんもいるし…などと考えると踏み出せなかった。コロナで変えざると得なくなったことで、ようやくという感じですね。営業時間を短くしたことで、より気持ちに余裕が生まれました」

工房の見えるガラスに立てかけられた絵本。パンが出来上がる様子を見ようと、覗き込む子どもたちも多いのだそう。
工房の見えるガラスに立てかけられた絵本。パンが出来上がる様子を見ようと、覗き込む子どもたちも多いのだそう。

週休2日とはいえ定休日の月曜は仕込み作業などを行うため実質はたらいているものの、夏休みは2週間、年末年始は10日間、ゴールデンウィークにも休業を取り家族で旅行へと、自分たちのはたらき方を着実に築いています。お店や事業を営み、「できるものならしたい」と思いながらできずにいる人も多いように思いますが、高山さんはどのように実現してきたのでしょうか。

「個人ですべての人の希望に応えるのは、やっぱり無理ですよ。どんなにがんばっても理想でも、自分たちが疲れてしまったのではもともこもない。僕の場合は、オープン当初のキツかった日々を思い出して、『あれが乗り切れたんだから、きっとなんとかなる』と思いながら、自分がつくりたいお店とはたらき方を少しずつ形にしています」

2号店などの展開へ手を広げるよりも、「自分が作れる範囲でやっていきたい」という信念を持つ高山さん。パンづくりの精度をもっと高め、“毎日食べても飽きないパン”という原点を胸に続けていくそう。焼き立てパンの香りと店の灯りはこれからも国立にあり続けます。(國廣)

プロフィール

高山顕

製菓学校エコールキュリネール国立出身。浅草ビューホテル、タイユバン・ロブション(レストラン)、マンダリンオリエンタルホテル、ムッシュイワン(ベーカリー)での17年間の修行を経て、2015年、国立駅前にアカリベーカリーを開業。ベーカリーとしてはめずらしい営業時間ながら、その味が評判を呼び客足の絶えない人気店に。“毎日食べても飽きないパン”をモットーに日々美味しさを追求している。

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