昔ながらの商店街にある、ひとつのシェアキッチン。ここで週に一度、ベーグルやスコーンを販売しているのがクリカ食堂の栗栖佳代さんです。もともと料理やお菓子作りが好きだったという栗栖さんですが、販売や営業など、お店を持つためのスキルはどのように身に着けていったのでしょうか?そこには、会社員時代から子育て中に至るまで、コツコツと地道に努力を続けた、栗栖さんの“トレーニング期間”がありました。
西武線の一橋学園駅にある、学園坂商店街。平日の昼間でも多くの人たちが行き交う活気ある通りを進むと、緩やかな坂を下りた先に学園坂タウンキッチンという看板が見えてきます。ここは、パンや焼き菓子など、食の小商いをする8人のメンバーが、キッチンやショップなどのスペースを曜日や時間ごとに共有するシェアキッチン。この場所で、毎週火曜日に焼きたてのベーグルやスコーンなどを販売しているのが、クリカ食堂の栗栖佳代さんです。
「商店街に来たお客さんがふらりと立ち寄ってくれたり、焼きあがる間に別のお店で買い物をしてまた戻ってきてくれたりと、近所に住む人たちがよく買いに来てくれます」
発酵マイスターの資格も取得中の栗栖さん。低温長時間発酵でつくられるベーグルは、外はカリッと、中はもちっとした食感で、ドライフルーツやナッツを練り込んだ定番のものから、ネギ味噌やきんぴらごぼうが入ったおかずベーグルなど、種類も豊富です。
週に一度の営業日である火曜日以外は、買い出しや仕込みをしたり、同じクリカ食堂という名前で自宅教室をしたりと、子育てをしながらも、食のしごとに向き合う日々を送っています。
もともとは、大手自動車メーカーに勤めていた栗栖さん。入社から2年が過ぎ、スーパーバイザーのしごとや、小学生向け相談室の担当を任されるようになった頃、栗栖さんはしごとの過労が重なり、顔に火傷状の湿疹が出るなどの体調不良を起こしてしまいました。そして、原因のひとつは食生活の乱れにあると診断を受け、漢方や食事療法で体調を回復していったのです。
「昔から料理は好きでしたが、この時に、食べることは生きることと直結しているんだと体感しました。そこから、食に関わるしごとをしたいと思うようになり、転職を考え始めたんです」
ちょうどこの頃、レストランのメニュー構成を考えるという依頼が、知人経由で栗栖さんに舞い込んできました。そのことをきっかけに、会社に通いながらフードコーディネーターの資格を取得。その後も、地元である長崎の友人から、ケーキ屋の立ち上げを一緒にやってほしいという誘いがあり、栗栖さんはこのタイミングで会社を退職。一年間長崎に行き、ヴァンドゥーズと呼ばれる洋菓子販売の専門職や、HPの制作、アルバイトの育成など、お店のコーディネーターとして一年間勤務しました。
「当時は、まだ自分のお店を持ちたいとは思っていませんでした。でも、飲食業での経験を通して、食の大切さや料理の楽しさを人に伝えるのって面白いな、と考えるようになりました。でも、それを実現させるためには、きちんと料理について学ぶ必要があると思ったんです」
その後、栗栖さんは結婚。そして、雑貨やカフェなどを全国展開するアフターヌーンティーが立ち上げた料理スクールのクッキングインストラクターとしてはたらき始めます。未経験OKという条件での募集だったので踏み出すことができましたが、更に学びが必要だと感じ、並行してパン教室にも通い、学びを深めていくことになりました。
インストラクターとして勤め始めて一年経った頃、栗栖さんは妊娠。出産も含めて2ヶ月ほど入院していた時期に、「料理をして誰かに食べてもらいたい」というフラストレーションが膨らんでいったと言います。出産後、専業主婦となった栗栖さんは自宅にたくさんの友人を呼び、手づくりのパンや料理をふるまうようになります。
「今振り返ると、あの頃が、今につながる一番のトレーニング期間だったと思うんです。子どもが小さい時って、動ける時間が限られているので、人を呼んで料理を作るにしても、準備や仕込み、片付けなど、無駄なく計画を立てて段取りを組まないといけない。今私が店舗営業をしているシェアキッチンも、使える時間が決められている場所なので、あの時期に繰り返して身についたことが、今すごく活きています」
そんな時、またひとつの転機が訪れます。2014年、東大和のマママルシェというイベントに、初めて自分のお店として出店することになったのです。保健所の営業許可の関係から、販売当日に会場のオーブンで焼くという制約があったため、商品は発酵時間の短いベーグルになりました。すると、お店は大反響、あっという間に即売だったのです。
「実はその後、ラベルに書いていた住所にお店があると勘違いして、お客さんが自宅まで訪ねてきてくれたんです。友人や知人以外の人に美味しいと言ってもらえたり、また買いたいと言ってもらえたことで、売り物としてやっていけるのかもしれないと自信がついてきました」
マルシェに出店後、栗栖さんは知人の紹介を通じて、現在お店を出している学園坂タウンキッチンに出会い、マルシェをつくるワークショップという3回講座にも参加します。そこで、商品開発や販売戦略、収支計画などについて学び、最終日には実際にマルシェを開催。ここでも栗栖さんのベーグルや焼き菓子は大人気。ほぼ売り切れとなりました。
2015年、この講座に参加した数人のメンバーと共に、栗栖さんは“つくるひと”というマルシェを立ち上げました。多摩地区を中心とした飲食や物販の作家さんに声をかけ、現在も年に二回開催を続けています。また、同じ時期にクリカ食堂という名前で、粉物や保存食の作り方などを教える自宅教室をスタート。栗栖さんの生活が、食のしごとに向けて一気に変化していきました。
「この頃から、製造許可が下りている地元の会場でのイベント販売をするようになったり、また、友人からの注文で、材料費をもらってベーグルを製造する機会も増えてきました。そんな中、キッチンを借りて動き始めたいと思い始めました」
そこで、2016年からシェアキッチンの月利用をスタート。当初の一年間は、店舗は使わずにキッチンを借りイベント販売を主な活動としていましたが、2017年にはついに、クリカ食堂として毎週火曜日の営業を開始します。
「ここは、一ヶ月につき30時間という利用プランになっているので、最初はその制約がプレッシャーでした。でも、決められた時間をどう埋めるかではなく、ここで自分が何をしたいのか、という発想にシフトチェンジしたら、楽しくなってきたんです。個人事業主としては、それが大事だなと思いました。シェアキッチンということも大きくて、自分にはないアイデアや客観的な意見をもらえるのも心強いです」
毎週火曜日の営業を始めてから、一年が過ぎたクリカ食堂。店舗という拠点を持つことで、家族や自分自身にもある変化が生まれてきたと栗栖さんは言います。
「それまでは、家族や知り合いに、飲食関係の活動をしている、という言い方をしていて、しごとだとは何となく言えなかったんです。でもお店を始めてからは、ベーグル屋ですって言えるようになったし、家族にも、今日はしごとだよって言えるようになりました。会社勤めだけじゃないはたらき方がある、ということが、少しずつ子どもに伝わっていたらいいなと思っています」
これまで、自宅教室やイベント出店を通して、「美味しいものを中心に人が集まる」、そんな場所を作ることも大切にしてきた栗栖さん。その一方で、店舗営業をしながら新しいことも感じ始めていました。
「自分もそうですが、忙しい日常の中だと、ひとりでお昼をパッと食べるような時間もたくさんありますよね。そんなひとりご飯の時間も、誰かと食事するのと同じくらい楽しんでいただけるものを作りたい、と最近は思っています」
火曜日営業の店舗と、自宅教室。ふたつのクリカ食堂をベースに、今後はワークショップや講座など新しいことにも挑戦していきたいという栗栖さん。その根底には、会社員時代に感じた「食べることは生きること」という経験があります。だからこそ、栗栖さんの作るベーグルは食べる人を笑顔にし、食に向き合う時間を豊かにしてくれるのでしょう。(安達)
大学卒業後、大手自動車メーカーに勤務。退職後、ケーキ店やクッキングスクールでの勤務経験を重ね、2015年に自宅での料理教室をスタート、2016年に「クリカ食堂」として学園坂タウンキッチンにて毎週火曜日にベーグルやスコーンを販売。
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