ある晴れた日のつむじ風のように

2025.07.17
ある晴れた日のつむじ風のように

犬が3匹で、猋社(つむじかぜしゃ)。絵本編集者としてキャリアを積んだ佐古奈々花さんが、2024年に始動させた“ひとり出版レーベル”です。犬を愛する佐古さんが決めた屋号は、犬が群れて走る様子、そこに巻き起こるつむじ風を意味するちょっとめずらしい漢字。
佐古さんは今、売れる絵本に席巻される書店の棚、ページをめくるお客さんの表情、そして世界中の日常に想像力を駆け巡らせながら、固定化された絵本のつくり方・売り方に小さなつむじ風を巻き起こそうとしています。

2025年4月、夫でデザイナーの若杉智也さんと2人で開いたお店「TORTOISE BOOKS & GALLERY.」を訪ねました。

「いいのに売れない」に切り込む

ある晴れた日のつむじ風のように、あたたかくて心がすこしぶわっと舞い上がる本をつくります。

佐古さんが猋社の指針を定め、開業準備の様子をnoteで発信しはじめたのは2024年9月のこと。
同年12月、1冊目として刊行したのがイラストレーター秦直也さん作の『いっぽうそのころ』。佐古さんが6年間あたため続けていた企画で、猋社を立ち上げるきっかけにもなった本です。

佐古奈々花さん(以下、佐古)「児童書の出版社に勤めていたころ、SNSで秦さんのイラストを見かけて惚れ込みました。動物たちの姿を無言で淡々と投稿されていたのですが、人間が介在していない自由さが漂ってくるようで、“このまんま”を絵本にしたいと思ったんです。物語をつけたり、説明するのは野暮だなって」

この本のデザインは、夫の若杉さん。「ずっと出したかった本だと聞いていましたし、僕がすればスムーズに1冊目をつくれる」と振り返る
この本のデザインは、夫の若杉さん。「ずっと出したかった本だと聞いていましたし、僕がすればスムーズに1冊目をつくれる」と振り返る

佐古「想像力の本だと思います。絵本のようで、作品集のようでもある。疲れたときとかに、『動物たちは今もしかしてこんなことしてるかも?』と考えると、一瞬でも楽しく生きられる気がして。想像するって楽しいな、と感じてもらえることを願ってつくりました」

いわゆる絵本らしくはない本であるために、出版社に勤めていた5年間での実現は叶わなかったそう。対象年齢が明確でなく、売りづらい。作者である秦さんも「やっぱり僕の本は難しいのかな」と言葉をこぼすこともあったそう。それでも、一人諦め切れなかった佐古さんは毎年秦さんに連絡を取り、ついに刊行にこぎつけたのです。

佐古「どこかの出版社で企画が前に進んだとしても、売りやすいように中身が変わってしまう可能性が大きい。それなら自分でした方がいいなと思って、『じゃあ出版レーベルだ』と。SNSなどでお知らせして、発売前に300冊注文が入ったときはもう、空に向かって『ほら見ろ!!』って叫びたい気分でした(笑)」

ひとりでやるメリットをたずねると、「いいと思ったらつくれること。いつも自分の中で編集会議をしていて、言語化はできないですが、“ピンとくるか”というフィルターがあります」と佐古さん
ひとりでやるメリットをたずねると、「いいと思ったらつくれること。いつも自分の中で編集会議をしていて、言語化はできないですが、“ピンとくるか”というフィルターがあります」と佐古さん

佐古さんは「売れている絵本がいい絵本とは限らない」という思いも常々抱えていたといいます。

佐古「例えば絵本だけでも、1年に新刊が2000冊くらい出ています。それだけ多いと、いい本でも書店にはあっという間に並ばなくなり、並ばないと売れないので、次の注文は入らない。見つけてもらえるのは“売れる本”だけになっていきます。そういう業界のあり方や流通の仕組みも見てきて、大きな出版社にはできないつくり方、大きな本屋さんではない売り方、そういうことをしたいなと考えています」

佐古さんが選んだのは、“ひとり出版レーベル”というスタイルです。

佐古「猋社がつくる本にはバーコードがありません。一般流通をさせていないので、自費出版とかと同じく、発注があったら自分で発送します。最近増えている“ひとり出版社”はそこからスタートする方も多いみたいですね。レーベルとしたのは、書店の方に、法人ではないということ、取次(版元と書店を繋ぐ流通業者)を挟んでいないことが一目で伝わるかなと名付けました」

作者との契約は、多くの出版社が見本完成後に結ぶのに対し、猋社では制作に合意が取れた時点で結びます。途中で企画が頓挫した場合でも最低保証金額として10万円を支払うことを約束するもので、「作者の労働がなかったことになるのはおかしい」という佐古さんの意思の表れです。

レーベルロゴはオオクボリュウさん作。「紙でできた犬が舞い上がっているような」というオーダーから生まれた。ロゴタイプは夫の若杉さん作
レーベルロゴはオオクボリュウさん作。「紙でできた犬が舞い上がっているような」というオーダーから生まれた。ロゴタイプは夫の若杉さん作

歓迎!本が読めない人

佐古「ねえブックスとギャラリーで一緒にお店やるのってあり!?」

夫でデザイナーの若杉智也さんにそう問いかけた日、佐古さんは東小金井の高架下にあるシェア施設MA-TOで、ショップの入居者募集が出ていることを知りました。締切はなんと翌日。
猋社が動き出し、全国の書店などでは『いっぽうそのころ』の刊行を記念した原画展が続々開かれていた2025年2月。本を固定の場所で売りたいと思っていた佐古さんは、以前から「いつかギャラリーをしたい」と話していた若杉さんに勢いのまま提案しました。

若杉智也さん(以下、若杉)「明日か!となりつつも、面白い方に転ぶ方がいいかな、と素直に賛成しました。やりたそうだったし、ストップかけても止まらなさそうだったし(笑) お金どうしようという心配はありましたけど、工面して応援しようとわりとすぐ思いました」

佐古「わたしたち、犬と暮らすために家を買ったんですが、そういう思い切った提案をするのはたいていわたし。『今じゃないかもね』って言われることもあるので、逆に乗ってくれたときはうまくいってる気がしています」

この日は2人お揃いの帽子とシャツで店番。壁にかかったオリジナルTシャツにあしらっているのは「読んでも読まなくても本は本」という佐古さんのメッセージ
この日は2人お揃いの帽子とシャツで店番。壁にかかったオリジナルTシャツにあしらっているのは「読んでも読まなくても本は本」という佐古さんのメッセージ

2桁の応募があったと聞き、店舗運営は素人の2人で大丈夫かなと心配していましたが、ほどなく選考を通過したという知らせが届きました。

佐古「『やばいやばい!引き渡しもう1ヶ月後だよ!』と焦ったんですが、こういうとき夫がデザイナーなのが強くて、ロゴも夜中のうちに仕上げてくれて、『紙袋がいると思う』『ランプはロゴと合うのがいいと思う』とどんどん形にしていってくれました」

若杉「美大出身の性ですかね。大変でしたけど、楽しかったから全然いい。ロゴと同じ緑色のアイテムを探すのがすごく得意になりました(笑)」

イメージボードをもとに、佐古さんの美大時代の友人に内装設計を依頼。約6㎡の店内が本とアートの空間に生まれ変わった
イメージボードをもとに、佐古さんの美大時代の友人に内装設計を依頼。約6㎡の店内が本とアートの空間に生まれ変わった

TORTOISE BOOKS & GALLERY.の店内には、猋社で出した本、佐古さんが出版社勤務時代に担当した本をはじめ、絵本と漫画などが並びます。小説は見当たりません。

佐古「わたし、本が全然読めないんです。読書量は少なくて、でも本を持っているだけで安心できる。だから自分のためにも、積読に罪の意識が芽生えたり、読むことがプレッシャーになってしまう本じゃなくて、どこから読んでもいい本、疲れてても読めるライトな本を選書しています。本が好きで読みたい人には本屋さんがあるから、ここはここならではの、手に取りやすくて、見たことないものを集めたいです」

ギャラリーは若杉さんの担当。「連れて帰れる本とアートのお店」というコンセプト通り、展示する作品はどれもその場で持ち帰ることができます。

若杉「僕たち自身がアート作品を買うことを共通の趣味にしていて、我が家にはたくさんの作品があります。でも、アートを買うことにハードルを感じる人も多いですよね。暮らしの中にアートがある喜びをもっと知ってもらいたいと思って、こういう仕組みにしてみました。基本的に展示のために描き下ろしていただいた作品で、持ち帰りやすいようA4以下の大きさ、手頃か“いいお買い物をする”ぐらいの感覚で購入できる価格を作家さんと相談しながらつくっていくつもりです」

第1回は、若杉さんの美大時代の同級生でもあるイラストレーターの黒田愛里さん。購入された作品があった場所には「FOUND A HOME」(お家が見つかりました)のタグが置かれる
第1回は、若杉さんの美大時代の同級生でもあるイラストレーターの黒田愛里さん。購入された作品があった場所には「FOUND A HOME」(お家が見つかりました)のタグが置かれる
2人の愛犬、フィービーが店番に来る日はSNSで事前告知。カウンターの内側で大人しく仕事を見守っている
2人の愛犬、フィービーが店番に来る日はSNSで事前告知。カウンターの内側で大人しく仕事を見守っている

「いつ死んでもいいように」

猋社を立ち上げ、本とアートのお店を開業し、この数年を駆け抜けている佐古さん。そのパワーの源は、本への思いだけではないようです。
2021年、出版社に勤務している頃にうつ病と診断されて退職。うつの症状が落ち着いてきた頃、パレスチナに連帯を示す活動に出会って精力的に関わるようになりましたが、数ヶ月経ったとき、それまでと比べられないほど「急にがたっと」落ち込む瞬間が訪れます。双極性障害でした。

佐古「万能感もあったし、元気になった気がしていました。でもそれが躁の状態だったんです。パレスチナのための寄付にお金もかなり注いで、自分たちの生活がギリギリになるくらいまでいっていたのですが、“いいこと”だから周りも止めづらいし、パワフルに動いてるから気づきにくかった。エネルギーって、使ったぶん請求がくるんだと思いました」

知人の活動からパレスチナ問題を知り、70年以上続いていることに驚いた佐古さん。「知らないことにする人間ではいたくない」と、デモ用のプラカードやステッカーを自ら作成するなど、さまざまな活動を続けている
知人の活動からパレスチナ問題を知り、70年以上続いていることに驚いた佐古さん。「知らないことにする人間ではいたくない」と、デモ用のプラカードやステッカーを自ら作成するなど、さまざまな活動を続けている

佐古「パレスチナのこと、自分が双極性障害と生きていくことを考えながら、『いつ死んでもいいように。後悔しないように』とやり残したことを思い浮かべたとき、私にとってはカタチにできなかったあの本、『いっぽうそのころ』だったんです」

双極性障害を抱えていることを公言している佐古さん。あえて言うというより、隠しごとが好きではないからだと話します。「マイナス面が多いから、せめてうまく使ってやろう」という心持ちでもあるそう。

佐古「『やるぞ!』と燃えているとき、実は躁が勢いづけてくれていて、いいこともあるんです。最近、自分が躁とうつのどちらに傾きそうか気配を掴めはじめた気がします。『ひとりで出版レーベルしてるんだ』『その人が選んだ本なんだ』と知って、勇気を受け取ってくれる人もいるんじゃないかと思っています」

お店は在庫管理の場所でもある。店名のTORTOISE(カメ)は2人が飼っているカメにちなんだ
お店は在庫管理の場所でもある。店名のTORTOISE(カメ)は2人が飼っているカメにちなんだ

そばで見守り、共同店主としてお店を営む若杉さんはどのように感じているのでしょうか。

若杉「もちろん心配だし、パートナーがうつ病というのも初めてのことなので、最初は戸惑うこともありました。今は、ちょっとほっておくというか、うつ病だと過度に思わず、常にフラットにいるようにしています。お互いに『今何か抱えてるな』というのは雰囲気でわかるので、口に出していくことが僕自身のためでもあると感じています」

「ロゴに緑を選んだのは、ヤドリギのように人が集まる場所になったらいいなと思ったから。SNSもつながってない中学生時代の友人が20年ぶりに会いに来てくれたり、したいことはもう叶っていっています」と若杉さん
「ロゴに緑を選んだのは、ヤドリギのように人が集まる場所になったらいいなと思ったから。SNSもつながってない中学生時代の友人が20年ぶりに会いに来てくれたり、したいことはもう叶っていっています」と若杉さん

自分のためにつくる本と、担う使命

佐古「今のわたしの使命は、大きな書店にも独立系書店にもない本を見つけること。例えば店頭にある絵本だと、『童話屋』さんという岩手県の出版社は、もう10年以上書店営業をされてなくて、学校や図書館に卸すのがメインになっているそうです。いい本が誰でも手に取れないのは悔しい。同じ思いの編集者さんにも声をかけて、埋もれている本を発掘したいです」

営業は現在週4日。週末のどちらかは若杉さんと愛犬のフィービーも加わり、2人と1匹体制です。佐古さんは猋社とお店のかたわら、これまでの経歴を活かして動画やイラスト制作の受注もしています。

佐古「生きるためにお金は必要だから、どう得るかにもこだわりたい。今まさに優先順位やバランスを調整しているところで、まだまだ生活が疎かになることもあります。『問題と幸せが同時に存在する世界を少しでも愛するための杖のような本を手元に置いておきたい』という思いで猋社をはじめて、これからもその想いは変わりません。店番をしていると、本を開いてにやにやしているお客さんの顔が見えたり、『おお』って小さな声が聞こえてくることもあります。これからは、見る人がどんな表情をするか、そこまで想像しながら本をつくれるようになるんじゃないかなと感じています」

約6㎡という小さな店舗を開くとき、「誰でも生まれたときはちいさかったのだから、お店の誕生としてはぴったり!」と思ったという佐古さん。お店も猋社も、本を手に取る人の心と本のあり方に小さなつむじ風を巻き起こしながら、ゆっくりのびやかに育っていくでしょう。(國廣)

お客さんは通りかかりの人、展示を目当てに遠路足を運ぶ人などさまざま。子どもの絵本を見に来て、自分用の本を見つけるお客さんも
お客さんは通りかかりの人、展示を目当てに遠路足を運ぶ人などさまざま。子どもの絵本を見に来て、自分用の本を見つけるお客さんも
デザインや本をテーマとした都内のイベント、本づくりについてのトークイベントにも多数出店中の2人
デザインや本をテーマとした都内のイベント、本づくりについてのトークイベントにも多数出店中の2人

プロフィール

佐古奈々花

広島出身、調布市在住。いぬとリクガメと暮らすにんげん。武蔵野美術大学を卒業後、CM制作会社にCMプランナー・ディレクターとして約4年間勤務。その後、児童書出版社で4年間編集者を務め、『まいにちたのしい』KAKATO文・オオクボリュウ絵、『くまがうえにのぼったら』アヤ井アキコ作、『ぽんちうた』死後くん作などを担当。派遣社員などを経て、2024年ひとり出版レーベル「猋社(つむじかぜしゃ)」を始動。三級知的財産管理技能士。

若杉智也

茨城県出身、調布市在住。グラフィックデザイナー、アートディレクター。2013年、広告制作プロダクション有限会社E.に入社。E.解散後、デザイン会社の株式会社KucHen、デザインスタジオの株式会社NSSGを経て、2022年に屋号「PNTR(パンタレイ)」として独立。猋社が刊行した1冊目の本『いっぽうそのころ』のデザインを手がけるほか、「TORTOISE BOOKS & GALLERY.」のグラフィックデザイン全般も行っている。

https://sites.google.com/view/tsumujikazesha/
http://tbandg.jp

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