農業女子、東京で農園を開く

2023.11.02
農業女子、東京で農園を開く

「基本的に負けず嫌いなので、できない言い訳を考えるより、どうしたらできるかを考えてきました」と話すのは、2022年4月に武蔵野市と小金井市で「こびと農園」をスタートした鈴木茜さん。東京都の生産緑地(大都市圏で農地・緑地として保全することが法律で定められた地区)での新規就農(土地や資金を独自に調達して自ら農業で起業すること)は、鈴木さんが3例目。更に武蔵野市と小金井市での新規就農、また2つの市を跨いで農地を借り、農業をスタートさせた事例は初。東京都の農業界隈に新たな風を巻き起こしました。担い手不足が問題視される今、鈴木さんが東京で農業を始めた理由は何でしょう。農業を志したきっかけや起業するまでの道のり、農園の経営についてうかがいました。

食に悩み、食の道を志す

神奈川県出身で、実家が農家ではなかったという鈴木さん。農業の道を志したきっかけは、中学生時代に出会った一冊の本でした。幼少期から明るい性格でクラスのムードメーカー的存在だった鈴木さんですが、自身へのコンプレックスや友人関係などの悩みから、中学1年生で不登校に。同時期に摂食障害も発症し、辛い日々を送りました。しかし、当時通っていた塾の先生から『もし世界が100人の村だったら(著:池田香代子)』を紹介されたことが人生の転機となります。

「本を読んだら貧富の格差で苦しんでいる人たちが世界中にいることが分かって、それに比べたら自分の悩みなんてちっぽけなものだと感じたんです。そんな困っている人たちの力になりたいと考えましたが、世界の諸問題を自分が解決することは難しいと思いました。まだ中学生でしたから(笑)でもそうして色々と調べているうちに、農業の担い手が少ないことが日本の社会問題の一つであることを知ったんです」

食について悩んできた自分だからこそ、農業を通じて食に悩む人たちの力になれるのではないか。鈴木さんは農業に生きる目的を見出し、中学3年生になる頃には再び学校に通えるようになりました。

鈴木さんは幼い頃、食物アレルギーだったという。「卵や乳製品、肉や魚もアレルギーで、小学校の頃はクラスメイトと一緒に給食が食べられなかったり、遠足に行っても自分だけ友だちとおやつ交換ができなくて寂しかったですね。自然と食事は、野菜や大豆、お米が中心になりました」
鈴木さんは幼い頃、食物アレルギーだったという。「卵や乳製品、肉や魚もアレルギーで、小学校の頃はクラスメイトと一緒に給食が食べられなかったり、遠足に行っても自分だけ友だちとおやつ交換ができなくて寂しかったですね。自然と食事は、野菜や大豆、お米が中心になりました」

日本の食を支えるために、自分ができることは何だろう。そう考えた鈴木さんは農業について学ぶため、地元の農業高校の園芸科に進学します。学ぶうちに農作業の奥深さにのめり込んだそうで、夏休み期間中でさえも学校の畑に顔を出して、野菜たちの様子を見ていたほどだったのだとか。「高校に入るまで自分で野菜を育てた経験はなかったので、すごく楽しくて。ハマっちゃいましたね」と笑顔で語ります。

「高校卒業後は農家さんの元に就農したかったんですが、求人が全くなかったんです。他は農作業が多い時期だけの雇用やスーパーなどの小売が多くて、希望する進路はなかなかありませんでした。大学進学も考えましたが、当時は早く生産の現場に携わりたかったので何を学びたいか思いつきませんでしたね」

そんな時、鈴木さんが見つけたのは都内にある青果物流通の会社の求人広告。野菜の仕入れや流通の仕組みを知ることが将来、生産の仕事で役に立つと考えて就職を決めました。

「チャンスがあれば就農したかったんですが、なかなか機会に恵まれず4年間働きました。でも、その会社とのご縁がきっかけで熊本県の農業法人をご紹介いただいたんです」

当時、会社の外部顧問である農業コンサルタントに紹介されたのは熊本県で飲食店を営む企業。地元の食材を使用した地産地消のメニューが特徴で、農地での生産を手がける新規事業を立ち上げるために人手を募集していたそう。生産の現場で働きたいと考えていた鈴木さんにとって、これは願ってもいないチャンスでした。

種をまいてから、芽がでて小さな苗になるまでの幼苗(ようびょう)期が一番手をかける必要があるという。「時には天候や虫といった、自分の力だけでは対処できないようなことも起きます。自分が与えたからといって、必ずかえってくるというわけではないというのも、農業の奥深さです。愛情が必要な仕事ですね(笑)」
種をまいてから、芽がでて小さな苗になるまでの幼苗(ようびょう)期が一番手をかける必要があるという。「時には天候や虫といった、自分の力だけでは対処できないようなことも起きます。自分が与えたからといって、必ずかえってくるというわけではないというのも、農業の奥深さです。愛情が必要な仕事ですね(笑)」

「縁もゆかりもない土地への転職でしたが、知り合いの方の紹介ならと即決でOKしました(笑) 周りには驚かれましたが、やりたいことはやらないと気が済まないタイプなんですよね。やらないで後悔するよりは、やって後悔しようかなって」

期待に胸を膨らませ、新天地で新しいスタートを切った鈴木さん。新規事業を始める大変さを味わいながらも、直に農業に携われることに喜びを感じていました。しかし転職して3ヶ月後、ようやく畑の収穫作業が始まった矢先に予想外の出来事が起こります。2016年4月14日、熊本地方を襲った熊本地震です。鈴木さんが勤める会社も震災の被害を受けました。

「観光客が減って飲食店の売り上げが思うように上がらず、今まで以上に農業での収益化を求められるようになりました。でも、当時の私の実力では利益を出すことが難しくて。自分の力不足を大いに感じました」

その後も農業で黒字化は叶わず、中心事業である飲食店を存続させるためにやむなく生産事業は撤退。鈴木さんが就農してからわずか1年の出来事でした。「すごく悔しかったです」と、鈴木さん。

「今まで、農業をやりたいという想いだけでやってきました。だから農業以外の仕事は考えられなかったけど、結果を出せない自分には向いていないのかもしれないと悩みましたね」

農園講師の仕事は、一般の参加者に向けて生育の技術指導を行う団体から委託を受けて活動している。現在は江戸川区と小金井市の2拠点を受け持っており、参加する人は家庭菜園歴15年のベテランからこれから始めたい初心者まで様々。「最初はできるか不安でしたが、やってみるととても楽しいです。喋るのは好きなので向いていると思います(笑)参加者の方が楽しく参加できるような講義を心がけています」
農園講師の仕事は、一般の参加者に向けて生育の技術指導を行う団体から委託を受けて活動している。現在は江戸川区と小金井市の2拠点を受け持っており、参加する人は家庭菜園歴15年のベテランからこれから始めたい初心者まで様々。「最初はできるか不安でしたが、やってみるととても楽しいです。喋るのは好きなので向いていると思います(笑)参加者の方が楽しく参加できるような講義を心がけています」

諦められない夢を追い、再び東京へ

鈴木さんが再び農業をしようと思えたのは、自分自身の原点に立ち返ったからだと言います。

「自分が人生のどん底から這い上がれたのは、農業と出会い、夢を持ったからでした。ここで夢を諦めるのは、自分に負けるようで悔しかったんです」

『農業を通じて自分自身と同じように悩んでいる人の力になりたい』。そんな自分が思い描いた夢を、まだ何一つ実現できていない。もう一度自分の夢に挑戦しようと、情報収集をする鈴木さんの目に留まったのは、東京都で新規就農した女性のインタビュー記事でした。一般の女性が会社を辞めて農家として都内で独立したことに、衝撃を受けたそうです。

「まさか東京で農業ができるなんて、と驚きましたね。それに記事を読んで、一人でも夢を諦めずにやりたいことを叶えた、このかっこいい農家さんのように私もなりたいと思ったんです。挑戦する勇気をもらいました」

独立という新たな目標を掲げ、熊本から東京へ戻った鈴木さんが向かったのは東京都農業会議でした。新規就農希望者へ農地斡旋などの援助を行なう窓口があり、都内で農業を始めたい人が大勢訪れるのだそう。

「独立する気満々で行ったら、窓口で『あなたにはお金も経験も足りないし、まずは就農したら?』と雇用就農を勧められましたね」

農地を借りて農家としてスタートするには、農水省が定めている規約の他にも、希望する市区町村によって異なる条件をクリアしなければならない。鈴木さんの場合、農家で2年間の研修を受けることが必須だった。「立川のミニトマト農家で働いた期間は研修扱いにはならないので、別の農場を探す必要がありました」
農地を借りて農家としてスタートするには、農水省が定めている規約の他にも、希望する市区町村によって異なる条件をクリアしなければならない。鈴木さんの場合、農家で2年間の研修を受けることが必須だった。「立川のミニトマト農家で働いた期間は研修扱いにはならないので、別の農場を探す必要がありました」

ちょうどこの頃、立川市のミニトマト農家が新しい設備を導入したために人手を募集していたそうです。担当者の勧めで就農した鈴木さんですが、ここでも経営の難しさを目の当たりにします。

「ミニトマトの生産に関わる他にもパートさんの管理を任されていました。人件費について代表から厳しい指摘を受けることが多く、パートさん一人一人にかかっているコストを毎週のように計算したり…。そういった費用面も踏まえて、人を管理することの大変さを身をもって痛感しました。経営するという目線で物事を見ることができたのは良かったですね」

そんなある時、東京都農業会議から新規就農希望者を対象に、専用の農場を使った研修や経営について学べるカリキュラムが新しく開講される話を耳にします。鈴木さんはミニトマト農家を離れ、自分が目指す経営を学ぶべく八王子市にある東京農業アカデミーへ入学しました。

「働いている時は仕事に精一杯でなかなか独立の準備を進められなかったですし、都内に人脈もなかったのでこれはチャンスだと思いました。それに、熊本や立川市での仕事を通じて利益の追求や人の管理といった経営面での難しさを感じていたのできちんと学びたいと思ったんです」

利益を追求しなければならない立場になった時、生産以外にも見るものがあることに気がついた。鈴木さんは「野菜を作るだけなら何も苦労はありませんが、ビシネスにする力が必要」と話す
利益を追求しなければならない立場になった時、生産以外にも見るものがあることに気がついた。鈴木さんは「野菜を作るだけなら何も苦労はありませんが、ビシネスにする力が必要」と話す

東京農業アカデミーでは2年間のカリキュラムを経て卒業した後、都内で新規就農ができるように、在学中から準備することができるのだそう。鈴木さんは生産や経営について学びながら、農地探しや市役所との交渉を進めていきました。東京では貸し出し可能な農地が少なく、希望した条件で農業を始められる方はほんの一部だと言います。鈴木さんが希望する条件の一つは、農地が住まいである三鷹市から通える距離にあることでした。

「農地を探すには敷地の面積や既存の設備、立地や助成金利用の可否など、様々な条件を考慮しないといけません。しかも農地を借りたい方は大勢いるので、募集があると応募が殺到するんです。『農地が出てくるのは運しかない』と、農地を斡旋してくださった窓口の方にも言われましたが本当にその通りだと思います」

農家で研修を受ければ、給料が発生するため独立資金が貯めやすいが、アカデミーでの研修は授業料を払う上に賃金は発生しないため、補助金の利用など別の方法で資金を調達しなければならない。それでも「経営を学びたい目的ははっきりしていましたし、先輩方の話も聞いて入学を決めました」と話す
農家で研修を受ければ、給料が発生するため独立資金が貯めやすいが、アカデミーでの研修は授業料を払う上に賃金は発生しないため、補助金の利用など別の方法で資金を調達しなければならない。それでも「経営を学びたい目的ははっきりしていましたし、先輩方の話も聞いて入学を決めました」と話す

農地探しに苦戦する中、偶然にも近隣である武蔵野市と、同時期に小金井市からも新規就農しないかという話が鈴木さんに回ってきました。2箇所の農地と契約する新規就農は今まで事例がなかったそうですが、独立後の収入面を考慮して契約を決めたと言います。東京都農業会議や東京農業アカデミーなど多くの関係者が尽力し、2年もの年月をかけ、前例のない新規就農を受け入れる準備が整いました。

「なにしろ武蔵野市と小金井市は新規就農者の受け入れが初めてだったことに加えて、2箇所の農地と契約してスタートするだなんて都内でも初の事例でしたから。法整備や地主さんとの交渉、借りる農地周辺の農家さんへの挨拶や諸々の手続きなど、借りるためには色々と準備が必要だったんです」

そして無事に農地の賃貸契約を結び、2022年4月にこびと農園を立ち上げました。独立の夢を叶え、新規就農者としての一歩を踏み出します。

“農業”を“事業”にするために

「語弊があるかもしれませんが、農業はなかなか稼ぎにくい産業です。でも私たちの世代がそんな現状を打破しない限り、次の世代は育ちません。自分が大好きな野菜づくりを続けるためにも、育成の技術だけではなく、収益をあげられる力を持っていなきゃだめなんです」

熊本と立川市での就農を経て、経営の難しさを痛感した鈴木さん。そんな彼女がこびと農園を運営するために挑戦したのは、事業の多角化でした。従来、農家が専門としてきた生産や販売・卸売だけでなく、収穫体験などのイベント運営や農園講師を兼任する他、障害を抱える方の就労継続支援を目的とした農福連携(農業と福祉の連携)にも取り組んでいます。

こびと農園での収穫体験イベントの様子。年20回ほどの催しには​​2歳児から定年を迎えた60代の方まで幅広い層が参加しているという。土に触れていくなかで、参加者は皆穏やかな表情を浮かべるのだそう
こびと農園での収穫体験イベントの様子。年20回ほどの催しには​​2歳児から定年を迎えた60代の方まで幅広い層が参加しているという。土に触れていくなかで、参加者は皆穏やかな表情を浮かべるのだそう

「こびと農園のように小さな農場では、野菜を作って売るだけだとどうしても継続した収益化が難しくなってしまいます。どうやって利益を出そうか考えていたら、知り合いの方に立川にある創業サポート施設『TOKYO創業ステーション』を紹介されたんです。農業を事業として存続させるにはどうしたらいいのか、相談に乗ってもらいました」

そこで鈴木さんは、農業を生産や販売だけでなく、サービスとして捉えると資金調達の幅が広がるとアドバイスを受けたそう。こびと農園に来てくれるお客さんに、何を提供できたら喜んでもらえるのか。農業に関する補助金や融資の紹介もしてもらいながら、事業計画を進めます。

「ちょうどコロナがピークを迎えている時期で、家庭菜園に注目が集まっていたんです。そういった都市部ならではの需要に着目して、1年間を通じて農作業が体験できるサービスに落とし込みました」

「身長が144cmしかないことが昔からコンプレックスでした。でもこれはブランディングに使えると思ったんです。だって、代表の背が低いから“こびと農園”だなんてすごく覚えやすいじゃないですか。お客さんの印象に残るための戦略です(笑)」と鈴木さん。ユニフォームカラーは自分の名前である“茜”色。服の色一つとっても、ブランドを覚えてもらうための工夫が見てとれる
「身長が144cmしかないことが昔からコンプレックスでした。でもこれはブランディングに使えると思ったんです。だって、代表の背が低いから“こびと農園”だなんてすごく覚えやすいじゃないですか。お客さんの印象に残るための戦略です(笑)」と鈴木さん。ユニフォームカラーは自分の名前である“茜”色。服の色一つとっても、ブランドを覚えてもらうための工夫が見てとれる

こびと農園で生産される野菜は数多くありますが、特に季節のカラフルなミニ野菜を中心に育てているのだとか。育てる野菜についても、鈴木さんの創意工夫が見られます。

「カラフルなミニ野菜を選んだのは視覚的な楽しさや他の農家さんとの差別化もありますが、サイズが小さいことで核家族でも食べ切れる量になるだろうと考えたからです。この辺りの敷地面積では同一の野菜を大量生産することは難しいので、小さな面積で複数の種類の野菜を作って、来てくれたお客さんが一度の買い物でいろんな野菜を手に取れるようにしています」

鈴木さんは敷地内の直売所と近隣にある商店街の貸店舗で、およそ週2日野菜を販売しています。野菜の袋詰めなど一部の作業は地域の福祉事業所に委託しており、鈴木さんも畑で直接生産の技術指導を行いながら、一緒に畑仕事をしているのだそう。こうした農福連携は、農家の人手不足と福祉事業所の作業工賃の低さという双方の問題を解消する取り組みとして注目されているといいます。

農福連携では、野菜の袋詰めなどの単純作業から始め、利用者さんの様子を見ながら徐々に時間を増やしたり、より得意な作業をお願いするという。初めての場所に強い不安を覚えたり、数字を使って説明すると理解できずパニックを起こしてしまうなど、その人ならではの特性がある。「個人差はありますが、最初は落ち着きがない方でも作業を繰り返すうちに集中力や責任感が芽生えて、積極的に参加してくれるようになるんです。成長を間近で見ると感動しますね」
農福連携では、野菜の袋詰めなどの単純作業から始め、利用者さんの様子を見ながら徐々に時間を増やしたり、より得意な作業をお願いするという。初めての場所に強い不安を覚えたり、数字を使って説明すると理解できずパニックを起こしてしまうなど、その人ならではの特性がある。「個人差はありますが、最初は落ち着きがない方でも作業を繰り返すうちに集中力や責任感が芽生えて、積極的に参加してくれるようになるんです。成長を間近で見ると感動しますね」

「福祉事業所の利用者さんにとっても、種を撒いたり雑草を抜くなどの単純作業を得意とする方が多い傾向にあったり、陽の光を浴びながら自然と触れ合うことで情緒が安定するなどの利点があります。ハンディキャップがあるためにこれまで農作業の経験がなかったとしても、仕事として携われるんだと伝えたいですね。利用者さんにとって、農家が就労先の選択肢の一つになったら嬉しいです」

都市部ではまだ事例が少ないので、こびと農園から盛り上げていきたいと話す鈴木さん。「私自身も、農業と出会ったことが不登校や摂食障害を克服するきっかけになりました。同じように、障害を抱えた方が農業に取り組むことで今後の人生に繋がってくれたら」と語ります。

東京で叶える理想の農業経営スタイル

生産と販売以外にも地域に開かれた事業を展開させることで、より多くの方と農業を繋げる架け橋となった鈴木さん。「そもそも私が東京で農業を始めたのは、都内で新規就農した方に憧れたのもありますが、自分が目指す経営スタイルが都市部とマッチしていると感じたからなんです」と言います。

「都市部にはチャレンジに寛容な特有の空気感があって、実際に東京で新規就農された方の話を聞くと、皆さん様々な形態で経営されていました。生産する規模に関係なく、個人の発信力で勝負することができるのもいい環境だと思います。そんな都内なら生産以外の事業にも着手しやすいと思いましたし、私が志す“農業を通じて悩んでいる人の力になれる”経営を目指せるのではと思いました」

自分で管理することは難しいが、先祖代々の土地を見ず知らずの他人に貸し出すことを不安に思う地主は多いという。「武蔵野市の地主さんは、土地を借りたいとお願いした当初『大丈夫なの?できるの?』と懐疑的でした。でも、研修という名目で1年間一緒に畑で作業させてもらう中で信頼関係が築けて、最後はなんとかご了承いただけました」と鈴木さん
自分で管理することは難しいが、先祖代々の土地を見ず知らずの他人に貸し出すことを不安に思う地主は多いという。「武蔵野市の地主さんは、土地を借りたいとお願いした当初『大丈夫なの?できるの?』と懐疑的でした。でも、研修という名目で1年間一緒に畑で作業させてもらう中で信頼関係が築けて、最後はなんとかご了承いただけました」と鈴木さん

大量消費で消費者との距離が近く、小規模な経営が多い都内の農業だからこそ、農家毎に個性が生まれ、創意工夫の余地があるという鈴木さん。今後、鈴木さんが目指す目標は何なのでしょうか。

「農業に携わる人が1人でも増えてくれたらと思っています。都内での新規就農者も増えてほしいですね。東京都での新規就農は狭き門です。大変なこともあるかもしれませんが、諸先輩方の話をよく聞きながら、でも難しく考えすぎずに、チャレンジしてみるのが一番ですね。参考になればと思って個人でnoteを発信していますが、SNSの広報でも農業の面白さをもっと伝えていきたいかな。個人事業主ではできることも限られるので、今後はこびと農園の法人化も考えたいです」

持ち前の行動力と明るさで、今まで数多の困難を打ち破ってきた鈴木さん。前例がなかった2箇所の農地を契約しての新規就農も、農業を事業として長く存続させるために選んだ結果でした。目先の安定にとらわれず、心から成し遂げたい目標のために時に自ら道を切り開いていく姿は、今後農業を志す多くの人の道標になるに違いありません。(すずき)

プロフィール

鈴木 茜

1993年生まれ。神奈川県横浜市出身。神奈川県農業高校卒業後、東京都大田区の青果物流会社へ入社。4年間の勤務を経て2016年に熊本県の農業法人へ就農し新規産業の立ち上げを担うが、同年4月に熊本地震を経験。翌年東京に戻り、立川市のミニトマト養液栽培農家にて3年間勤務する。2020年に東京農業アカデミーに入学し、新規就農のノウハウを学ぶ。2022年同アカデミーを卒業後、同年4月に武蔵野市と小金井市の農地で「こびと農園」をスタートさせた。2箇所の農地と契約しての新規就農は都内で初の事例となる。主な事業は野菜の生産販売・卸売、収穫体験などのイベント運営、福祉事業所との農福連携、そして都内での農園講師業。好きな野菜はトマトとカボチャ。
https://kobitofarm.com/

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