300年続く農園を地域の庭に

2020.07.09
300年続く農園を地域の庭に

「想いを形にする」。言うのは簡単でも、実行するには苦労が伴います。秋田茂良さんは、東久留米で江戸時代から続く農家の12代目として、花の栽培に取り組みながら、2018年にタネニハという名の地域の庭を開きました。そこには街の人がふらりと訪れ花を買ったり、ワークショップで寄せ植えを作ったり。緑豊かな街づくりに貢献する秋田さんですが、今に至るまでにはさまざまな葛藤もあったようです。

植物に囲まれた心地よい空間を作りたい

東久留米市にある秋田緑花園芸は、長い歴史を持つ花農家です。およそ300年前の江戸時代後期、玉川上水からの分水が引かれたころ、初代が入植して開墾したのが始まりだといいます。

「初代が植えたケヤキや防風林が、今、大木になっているんですよね。『後を継ぐ』って、ネガティブに語られがちですけど、時間を積み重ねてきた良さもあると思うんです。僕にとっては心の支えのようなもので」

そう話すのは、秋田茂良さん。17年前に家業を継いだ12代目です。

初代が植えた大きなケヤキが家屋と農園を見守っている。
初代が植えた大きなケヤキが家屋と農園を見守っている。
伺ったのは、ちょうど小麦収穫の時期。作業の合間に応じてくださった。
伺ったのは、ちょうど小麦収穫の時期。作業の合間に応じてくださった。

秋田さんは高校卒業後、一度は東久留米を離れて、園芸の専門学校で学びます。そして、都内の花卉市場に就職。東久留米に戻ってからは、先代が取り組んできたクンシランや小麦の栽培を受け継ぎつつ、さまざまな花の栽培を増やしてきたそうです。そして2018年、地域に開かれた庭タネニハを始めます。

タネニハは、「集まって作業したり会話したりできる、植物に囲まれた心地よい空間を作りたい」という秋田さんの想いから生まれた庭。もともと小麦畑だった400㎡の土地を整え、今では約200種類の植物が季節ごとに人々の目を楽しませています。「ご自由にお入りください」と書かれた看板に引き寄せられ、お散歩中や買い物帰りの人がふらりと訪れては、のんびりと過ごしたり、おしゃべりしたり。直売所では、秋田さんやスタッフが大切に育てた花の苗を買うことができます。ときには、寄せ植えづくりのワークショップが開かれることも。オープンから2年が経ち、すっかり街の人に愛される庭となりました。

こう聞くと、順風満帆に思えますが、今に至るには紆余曲折があったようです。花の市場を辞めて東久留米に戻った頃は、どういう気持ちだったのでしょうか?

彩り豊かな初夏の花々が咲くタネニハ。手入れを担当するのは、百貨店の屋上ガーデンも手掛けるガーデナー。
彩り豊かな初夏の花々が咲くタネニハ。手入れを担当するのは、百貨店の屋上ガーデンも手掛けるガーデナー。

花を作る気持ちにはなれなくても

「市場って結構しんどくて。精神的に疲れてしまって帰ってきたんですよ」。秋田さんはそう振り返ります。花や緑が好きだったはずが、当時はカタログを見るのさえ辛いほど。そんなとき、畑に生えているコキアがふと目に入りました。「ぽこっとして、かわいくて」、その姿に癒やされた秋田さん。「花を作る気持ちにはなれなくても、コキアならできるかも……」。そうして栽培に取り組み始めたのです。

ぽこっとかわいらしいコキア。「ほうき草」とも呼ばれるそう。
ぽこっとかわいらしいコキア。「ほうき草」とも呼ばれるそう。

次第に心身ともに回復した秋田さんは、ヒューケラ、葉牡丹、ゼラニウムなど、栽培する品種を増やしていきます。新しく温室も作りました。ところが、再び壁にぶつかります。それは、「環境に負荷をかけてよいのか」という悩みでした。花農家は、花々をちょうどよいタイミングで咲かせて市場に出さなければなりません。それには温室が不可欠。しかし、室内を温めるにはたくさんの重油を燃やすため、多くの二酸化炭素を出すことになります。秋田さんは、二酸化炭素が原因とされる地球温暖化のニュースを見るたびに心を痛めていました。

「そこまでして花を作る意味はあるのかな、と。花はもう止めて有機野菜づくりに転換しようかと本気で考えていました」

夏の花が出荷の時期を迎えていた。秋田さんと共に栽培やタネニハの運営を担うのは約10名のスタッフ。
夏の花が出荷の時期を迎えていた。秋田さんと共に栽培やタネニハの運営を担うのは約10名のスタッフ。

街を花で包み込む

そんな頃、東日本大震災が起こります。秋田さんは、災害発生からまもない3月から、生産者仲間がいる石巻や南相馬に通うようになります。花を持っていったら喜んでもらえた―—。その経験が、しごとに迷いがあった秋田さんを変えていきました。

「それまでは、花の持つ力を信じきれていなかったのだと思います。しごととして作っているのに、『花しかなくて、すみません』みたいな。自分のしごとに誇りを持てていなかった。でも、避難所や仮設住宅に花を持っていくと、本当に喜んでもらえて」

秋田さんの中で、花を作ることが見直されていきました。

「それまでは『花を作って売り、対価としてのお金をいただく』。僕のしごとはそれだけでした。ですが、『花を作ることで受け取った人を少しでも幸せにしたい』と思うようになったんです」

さらに、被災地に花を届けるうち、“街”への関心が生まれます。被害を受けた街が次第に日常を取り戻す過程では、住民同士の助け合いのような良いこともあれば、いさかいやトラブルも。いろんな話を見聞きして、秋田さんは「街や社会は、そこに暮らす一人ひとりの人間の手で作り出されている」と実感するようになりました。

また、秋田さんは、東久留米の人々と一緒にプランターにひまわりの種を蒔き、咲いたひまわりを東北の住民へと届ける活動にも取り組みます。

「被災地の外の人間も傷ついていたんですよね、何もできない自分を責める気持ちがあって。花を届けることで、僕たちも癒やされた。そして、考えるようになったのです。届ける方も受け取る方も癒される、お互いが支えあうような循環を作るにはどうしたらよいだろう、と」

花を作ることで、人を幸せにする。自分たちの手で、街を作る。花を届ける者も受け取る者も癒やされる、循環する場……。

これらの想いを育て続け、形になったのがタネニハでした。訪れた人は花を見て安らいだり、苗を買って自宅で育てたり。スタッフにとっては、大切に育てた花々を目の前で楽しんでもらううれしさや、育て方を伝えて役に立つ実感があります。タネニハのミッションは「街を花で包み込む」だそうです。街の人が花を楽しめるよう、タネニハがサポートすることで、花でいっぱいのきれいな街にしていきたい。そう願っているといいます。

ベンチに腰掛けて、ゆっくりする人の姿が。
ベンチに腰掛けて、ゆっくりする人の姿が。

「実は、両親は大反対でした。知らない人が農園に入ってくるのは、これまでにないことでしたから。ケンカしたのも一度や二度ではなかったのですが、『誰かのためにやるのなら良いのではないか』と、父が次第に考えてくれるようになって。実際に始めてからは、皆さんが、『いいところですね』『立派なケヤキですね』と言ってくださるのを聞いて、気持ちが変わってきているのかな」

プライベートの領域に遠慮なく人が入ってくるのは、住む人にとって気持ち良いものではありません。反対に、外の人は、「入っていいですよ」と言われても戸惑うでしょう。秋田さんは、タネニハは「プライベートとパブリックの接点となる“セミパブリック”の場」と言います。従来はプライベートな場であった畑を、セミパブリックな庭として整備しなおすことで生まれたのが、タネニハなのです。

秋田さん曰く「人に相談するのは実は苦手」。それでもタネニハを作るときは、いろんな人に相談したそう。
秋田さん曰く「人に相談するのは実は苦手」。それでもタネニハを作るときは、いろんな人に相談したそう。

“自分のしごとで”街をよくする

タネニハや被災地支援の活動は、東久留米の人たちとつながる機会を、秋田さんにもたらしました。天然酵母のパン店が、秋田さんたちが育てた小麦を使ったり、駅前の書店が設けたマルシェに農園の花を置くことになったりと、「何か一緒にやりましょう」というつながりが東久留米の街に広がっています。

秋田さんが、さまざまなプロジェクトに参加しながらも大切にしていることがあります。それは、“自分のしごとで”よい街づくりに貢献すること。タネニハを作る前の一時期は、防災ワークショップなどの地域活動に力を入れていたそうですが、困ったことに、本業が次第におろそかになってしまったと言います。「自分のしごとの外でやると長続きしない」。そう気づいてからは、花や緑がすべての中心です。

「小学校の卒業式で『街を緑でいっぱいにしたい』と言ったんです。親のしごとを思い浮かべたら、これかなって。この言葉を振り返ると、当時から“街”という外に開いた気持ちを持っていたように思えるのですが、それとともに、先祖代々の秋田家の家業を守っていきたいという気持ちだったのかも。最近それに気づいたんですよ。だから最近は、100年続く事業会社を目指しています」

秋田家には、花や緑を街の人に届けるという長く続く家業があります。それを大切にすることが、秋田さんの想いの実現につながっていました。

黄金色の穂が風に揺れる小麦。近くのお菓子店や天然酵母のパン店でも使われている。
黄金色の穂が風に揺れる小麦。近くのお菓子店や天然酵母のパン店でも使われている。

自分ひとりでやらない

「自分が何をやりたいのかが腑に落ちて、言葉にできるようになったのは、やっとこの1年くらい」と話す秋田さん。もっと多くの人に花を届けたいという想いから、最近では福岡にある花の販売会社、株式会社ハナモミジと合併したそうです。寄せ植えが得意なその会社と一緒に、農園直送の新鮮な花を消費者に届ける仕組みに挑戦しています。他に、水がきれいで住みやすい地方の郊外にも農場を作り、近隣の住民へ花を届けたいとも話してくれました。

「今できているのは、イメージしていることのやっと半分くらい」だそうですが、頭に思い描くことを実現するために、意識していることがあるのでしょうか? 最後に教えてもらいました。

「自分ひとりでやらないことではないですか。ひとりで考えていると、どんどん頭が凝り固まって、現実と隔離してしまいます。何かしたいと思ったら、いろんな人に話をして、『それ、いいね!』と言ってくれる人を探す。誰しも得意・不得意があるじゃないですか。アイデアを口にすることで、お互いを補えるような人と出会うのがポイントかと」
そして、「自分を心地よい環境に置かないこと」と続けます。考え方や経験が違う人たちの中に身を置けば、ときには、心に突き刺さるような言葉を受けるかもしれません。それでも、「違う意見を受け止める気持ちで」。秋田さんが事業をする上での心構えです。

しごとを通じて緑豊かな街を作る、秋田さんの挑戦はまだまだ続きます。(近藤)

新型コロナウイルス感染拡大の影響でしばらくお休みしていたタネニハ。無人販売を6月に再開。7~8月は季節休業の予定。
新型コロナウイルス感染拡大の影響でしばらくお休みしていたタネニハ。無人販売を6月に再開。7~8月は季節休業の予定。

プロフィール

秋田茂良

秋田緑花農園の12代目。2016年には家庭菜園付きアパート「ツクルメの家」、2018年には地域に開かれた庭「タネニハ」をオープン。

※タネニハは、7~8月は季節休業。最新情報はブログでご確認ください。
タネニハ
http://taneniwa.com/

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