食と建築、姉妹で地元に恩返し

2024.08.09
食と建築、姉妹で地元に恩返し

「毎日のデリとお菓子 SOROR(ソロル)」を営むのは、瀬川翠さんと吉川慧理さん姉妹。大学ではともに建築学部を卒業し、その後の仕事でも、インテリアデザイン事務所で働いたり建築設計事務所を立ち上げるなど、空間づくりと向き合ってきた2人。ある時から、姉の瀬川さんは地域の暮らしを豊かにするまちづくりに強く惹かれ、妹の吉川さんは飲食店で働く面白さに目覚めます。どのような思いでお店を開き、何を実現しようとしているのでしょう? SOROR誕生の物語を伺いました。

“好き”を活かせる場所を探して

最寄駅の三鷹駅からは徒歩約25分と駅近ではないものの、常にご近所さんや常連さんがどこからともなくやってきて、弁当や惣菜、焼菓子を買っていく。2023年2月にオープンした「毎日のデリとお菓子 SOROR」の日常は、ずっと昔からこの場所で営業していたかのように、このまちの一部としてすっかり馴染んでいます。お店を切り盛りするのは、生まれも育ちも東京・武蔵野の瀬川翠さんと吉川慧理さん。ふたりの関係は姉妹です。

姉の瀬川翠さん(左)と妹の吉川慧理さん(右)。大学の進路を決める際、瀬川さんは被服学科も選択肢にあったとか
姉の瀬川翠さん(左)と妹の吉川慧理さん(右)。大学の進路を決める際、瀬川さんは被服学科も選択肢にあったとか

2歳違いで生まれた姉の瀬川さんと妹の吉川さんは幼い頃から絵を描いたり、ものをつくったり手を動かすことが好きだったと言います。

瀬川翠さん(以下、瀬川) 「一貫教育の学校に通っていたので、妹とは大学までずっと一緒。大学の学部も同じ建築系でした。幼少期から仲は良かったですが、よく大喧嘩もしていましたね(笑) 両親は美大卒ではあるけれど、進学について意見することはなかったですね。“ものづくりが好き”という理由で、いつもそれぞれがそれぞれで決めていました」

SORORの店頭には、季節の地野菜のほか、ハーブ、スパイス、ナッツを使って体にやさしく満足感のある一品が並ぶ
SORORの店頭には、季節の地野菜のほか、ハーブ、スパイス、ナッツを使って体にやさしく満足感のある一品が並ぶ

大学進学後、瀬川さんは大学院に進み、いくつかの建築事務所で下積みをしたり、武蔵境の一軒家を自らで改修しシェアハウス「アンモナイツ」を立ち上げ運営したり。卒業後は独立し、吉祥寺を拠点に建築士事務所「Studio Tokyo West」を設立。住宅や店舗の設計、リノベーションのほか、まちなか結婚式のプロデュース事業、事業計画や企画の運営といった仕組みをデザインするなど、幅広い事業を行うように。吉川さんは、企業に就職し経験を積みます。

吉川慧理さん(以下、吉川) 「建築設計事務所、インテリアデザイン事務所、そして飲食店。新卒で入社した事務所で大学のキャンパスといった大きな建物の設計を担当していたのですが、大きすぎて手に負いきれない感覚があって。自分が手がけたいもの、ことの興味や規模感は、住宅へ、家具へと日々小さくなっていきました。そんな時、飲食店の仕事と出会って、『自分がつくった料理やお菓子を目の前で喜んでもらえる飲食店の仕事っておもしろい!』と腑に落ちて、そのまま飲食の道に方向転換することを決めました」

学生の頃から料理やお菓子づくりが好きで、お店の人気メニューのひとつであるキッシュは昔からよく焼いていたそう
学生の頃から料理やお菓子づくりが好きで、お店の人気メニューのひとつであるキッシュは昔からよく焼いていたそう

工務店を退職し、これまでに勤めてきた建築やインテリア関連とも違う異業種への転身。当時のことを瀬川さんに伺ってみると、とても驚いたけれど吉川さんの現状や想いを知っていたので自然な流れだったのかな、と笑います。

自分らしい職き方とは?

飲食店で働き始めた吉川さんはその後、発注やシフト管理、メニュー提案など、調理技術以外のノウハウも実践を通して学んでいきました。一方で、飲食店はどこも想像以上のハードワーク。女性として幸せな人生を送るための働き方や、ライフワークバランスについて考えるようになりました。
瀬川さんはというと自身が代表を務める「Studio Tokyo West」で、建築の設計やリノベーションなど建築家として精力的に活動を行いながら、“まちづくり”という大きなコンテンツに関心を抱くようになっていました。

瀬川 「妹の関心が、自分の手でつくれるサイズのものになった頃、私はまちというもっと大きなスケールに興味を持つようになっていました。時代なのか、いただく依頼の内容も新築の住宅よりも地方の商店街の活性化を促すような案件のものが多くなっていて。今の時代にあったまちづくりや、農業などの地域産業の抱える問題など、まちと住んでいる人たちの暮らしがより豊かになる仕事がしたい。もっと新しいことに取り組んでみたい、と」

瀬川さんと吉川さんが抱える悩みや展望は一見違って見えますが、ふたりの中では通ずるものがありました。それが、生まれ育った地域に根差した飲食店の共同経営です。

多忙でも定期的に姉妹で食事にでかけ、近況を話し合っていたそう。たわいない雑談こそが、働き方を見直す、そしてお店を開業するきっかけに
多忙でも定期的に姉妹で食事にでかけ、近況を話し合っていたそう。たわいない雑談こそが、働き方を見直す、そしてお店を開業するきっかけに

支えられ、助けられたSNS

お店を開こうと決めてからは、休みの日にはふたりで物件を探して歩き回ったり内見に行ったり、吉川さんは惣菜に定評がある飲食店に転職し料理人として腕を磨いたり。会えば、お店のコンセプトや提供するメニュー、店舗の空間について話し、ふたりの中のイメージを固めていきます。

瀬川 「物件は地元に近いエリアで探していましたが、なかなか見つからなくて。だけど何もしていないのは時間がもったいないからと、見切り発車でInstagramを始めてみたんです」

初ポストのキャプションには、こんなことが記されていました。

はじめまして、店をはじめる姉妹です。
カフェ&デリのお店をオープンすることを夢みて、意気揚々とアカウントをつくりました。
お店の名前もまだありません。

吉祥寺・三鷹エリアで物件を探しながら、どんな美味しいものを出そうかワクワクしている日々です。

ゆるゆる更新していきますので、
どうぞよろしくお願い致します。

まだ何も決まっていない、始まっていない中、試作品を中心に自己紹介や日常の風景を定期的に投稿していると思っても見なかった出来事が起こります。

瀬川 「武蔵野市に店を始めようとしている姉妹がいるらしい、と応援してくださる方がInstagramの投稿にいいね! を押してくれたり、フォローしてくれたり。アカウントをつくって1ヶ月ほどで500人を超える方々にフォローしていただきました。その中のひとりがこのビルのオーナーで、ご夫婦で住宅や店舗、家具の設計をされている『studio83』の辰巳さんで。『一般募集はしていないし、駅からは離れているけれど内見に来ませんか』とダイレクトメッセージをくれたんです」

自分たちを追い込むために始めたInstagram。知人でもなければ顔見知りでもないたくさんの人たちが応援してくれて、力になってくれる。こんなにも心強いものはない、と今もふたりの支えと原動力になっている
自分たちを追い込むために始めたInstagram。知人でもなければ顔見知りでもないたくさんの人たちが応援してくれて、力になってくれる。こんなにも心強いものはない、と今もふたりの支えと原動力になっている

「studio83」の辰巳さんがふたりに紹介した物件は、自社ビルの一階。ゆくゆくは自分たちでお店を開けたら、と業務用キッチンを設置した場所でした。実際に内見してみた瀬川さんと吉川さんは、当初、契約を結ぶかどうか迷ったと振り返ります。

吉川 「すごく素敵な建物や環境に惹かれましたが、テイクアウトだけでなくイートインもできるお店をイメージしていたので、実現するにはスペースが狭すぎるかな……と」

瀬川 「駅から徒歩25分と距離があり、近くに大型スーパーもあるので、集客が難しいのかもしれないなぁ……って」

しかし、ふたりの理想や想い、不安に寄り添い、家賃や些細な相談にも積極的にのってくれ、協力してくれる辰巳さん。瀬川さんと吉川さんの気持ちや状況は、前向きに変わっていきます。

瀬川 「辰巳さんとのご縁を大切にしたい、何かしら形にしたい、とビル周辺のことを調べてみたらいろんなことがわかったんです。大きな団地があって、実は武蔵野市内でも非常に住んでいる人が多いエリアだったんですよね。でも近隣には飲食店が少なく、買い物ができる大型スーパーも実はお惣菜のラインナップが大量生産向きで偏りがある。食べたり飲んだり、どこかに出かける時は駅まで行かないといけない。もしかすると、私たちがつくろうとしているお店はこのまちに住む人たちの痒いところに手が届くような需要があるのかもしれない」

吉川 「この場所でなら駅前にある人気店と競争せず、気張らず、提供したいもの、本当にいいと思えるものを自分のペースでつくって届けられるのかもしれないなって。駅前の家賃が高い場所に出店すると、どうしても提供価格もあがってしまうけれど、この場所ならいいものが比較的リーズナブルに提供できるなと考えました」

お店を開くうえで叶えたかった、ふたりらしい働き方。この物件なら、このまちなら実現できると確信し辰巳さんと契約を交わします。

お店は、武蔵野市一番街商店街の中にあるビルの一階。上の階には「studio83」の事務所や、辰巳さん家族の住まいも
お店は、武蔵野市一番街商店街の中にあるビルの一階。上の階には「studio83」の事務所や、辰巳さん家族の住まいも
通りに面してショーケースと販売カウンターを設けている
通りに面してショーケースと販売カウンターを設けている

尊敬、尊重、配慮を大切に、店もまちも盛り上げる

開店に向けて、決めることもやることもより明確になり、顔を合わせて打ち合わせをすることが増えていった瀬川さんと吉川さんは些細なことで衝突することも。姉妹とはいえ、一緒に暮らしていた頃からはずいぶんと月日が経ち、働いてきた場所と環境が違えば仕事の仕方、進め方が違うのは当然です。

吉川 「私はキッチンでの業務がメインになるので、動線がcm単位で気になって。それを姉に相談すると『限られた空間だから仕方ないよね』とあっさり却下され……」

瀬川 「店舗の図面やグラフィック関係をメインに進めていたんですけど、設計の知識がある妹にアドバイスを求めると、時間をかけてつくったものに『これ変えない?』と簡単にばっさりと……」

今となっては笑い話ですが、いくつものやりとりを経て自然と分業制になっていったそう。そして2023年2月のお店のオープン以降は瀬川さんがプロモーション、吉川さんが店舗と完全に担当がすみわけされています。

店名「SOROR」はラテン語で姉妹を意味する
店名「SOROR」はラテン語で姉妹を意味する
おやつは上白糖、グルテンフリーをメインに。アレルギーがある人もない人も安心できるものを手づくりしている
おやつは上白糖、グルテンフリーをメインに。アレルギーがある人もない人も安心できるものを手づくりしている

吉川 「お店づくりもワークスタイルも、ああだこうだと干渉していましたが、姉の作業は姉にまかせてしまったほうが結果的にいいものができる。それがわかってからは、カチンとなることが少なくなり、お互いにいいね!ありがとう!と素直に伝え認め合えるようになりました」

家族だから、姉妹だからと甘えが出てしまって遠慮がなくなることがあります。だからこそ、親しき中にも礼儀あり。ふたりの仕事と私生活の境目は曖昧で、やりたいことをやりたいときにやりたいだけやっているからこそ、相手の想いと考えにはしっかりと耳を傾け、働く時間も進め方も尊重する。お互いが気持ちよく働ける職場は、常に風通しがよく、新しいサービスやメニューにも繋がっています。

吉川 「自分がつくったものに対して、感想だけでなく要望もいただけるのでお中元やお歳暮などの季節商品をつくったり、お惣菜の盛り合わせやお弁当を販売するようになったり」

瀬川 「積極的に武蔵野市や三鷹市の地産食材を使っていることもあって、この地域をよくしたいと力を入れている方が主催するマルシェに声をかけていただいて出店するようにもなりました」

お客さんはもちろんのこと、地元の人たちとの繋がりをもっともっと深くしていきたいというふたり。開業当初よりも地域愛が増しています。

自分たちが心地いいと思える働き方を模索し、体現している2人
自分たちが心地いいと思える働き方を模索し、体現している2人

吉川 「私たちのお店を通して、この商店街や地域を好きだと思う方が1人でも増えたら嬉しいです。私たちも店をはじめて、生まれ育ったこのまちは近所でこんなに美味しい野菜をつくっているんだ、すごく豊かな地域だったんだ、と気づきました。今度はそれをしっかり伝えていける店になって、地域に恩返しをしたいですね」

瀬川 「同業者だけでなく生産者の方とも手をとりあって、この街で小さな経済が循環していく仕組みをつくったり、ご年配の方、子育て中のお父さん、お母さんがより暮らしやすくなるサービスをつくったり。これから『SOROR』を通してどうまちに、社会に貢献できるかなってふたりで考えていきます」

ふたりらしい働き方を自分たちで見つけた姉妹は、次のステージに向けて新たな根を張りはじめているところです。(新居)

プロフィール

瀬川翠

建築家、一級建築事務所「Studio Tokyo West」代表。生まれ育った武蔵野市を拠点に、建築にまつわる仕事をはじめ、地域と住民の暮らしをより豊かにするまちづくりにも力を入れる。「SOROR」での担当は販促やマーケティングなど。趣味は、猫を愛でることと飲み歩き。

吉川慧理

料理人、菓子職人。日本女子大学建築学科卒業後、建築事務所で研鑽を積む中で興味が建築から料理に変わり飲食業界に転職。調理のほか、経営についても学ぶ。「SOROR」では、店舗の運営から調理、メニューの考案など、実務を担う。休日の楽しみは、音楽鑑賞と季節の野菜探し。

https://www.instagram.com/soror.kichijoji/

SORORさんが出会ったstudio83さんの記事はこちら
「住みはたらき集う、建築家のビル」
https://rinzine.com/article/studio83-1000/

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