写真家から転身したパン職人

2023.07.13
写真家から転身したパン職人

三鷹の人気ベーカリー「Bakery MIDMOST(ベーカリーミッドモースト)」店主の徳永景介さんは、カメラを勉強するため渡ったフランスでパンの美味しさと出合いました。フランスで修業後、日本で大手ベーカリーカフェの店舗立ち上げに奔走し、2021年に自分の店をオープンします。そんな徳永さんのこれまでの歩みやお店づくりについてお話をうかがいました。

写真家を目指した10年間

福岡県の北九州市に生まれた徳永さんは、戦場カメラマンに憧れ、高校卒業後に東京の写真専門学校に2年間通います。人と関わることに煩わしさを感じていたという徳永さんは、どこか日本に居心地の悪さがあったそう。高校時代にヨーロッパへ一人旅をしたり、専門学校卒業後、写真を撮りながらフランスで暮らすなどヨーロッパに気持ちが向いていました。

「フランスの一番の印象はパンが美味しいことでしたね。あと個人主義で同調圧力などがあまりないところが自分と合っていました」

24歳の時に、南フランスの田舎町アルルにある国立写真専門学校に入学します。写真論などの講義を受け、整った現像設備を活用しながら一年間、写真の勉強に励みました。

「Bakery MIDMOST」店主の徳永景介さん。オープンして2年が経つ。「最初はスタッフも少ないし書類関係もたくさんあって大変でした」
「Bakery MIDMOST」店主の徳永景介さん。オープンして2年が経つ。「最初はスタッフも少ないし書類関係もたくさんあって大変でした」
物件は吉祥寺から立川の間で探したという。もともとはスケルトンで、レンガ調やビル名のレトロな感じが気に入って2、3日で決めたそう。窓を大きくし、中の様子がわかりやすいようにした
物件は吉祥寺から立川の間で探したという。もともとはスケルトンで、レンガ調やビル名のレトロな感じが気に入って2、3日で決めたそう。窓を大きくし、中の様子がわかりやすいようにした

徳永さんが撮影をする対象は、日本でもフランスでもいつも決まっていました。

「10年間、墓地の写真ばかり撮っていました。ドキュメンタリー性のあるものが好きだったことと、人がたくさんいるのが億劫だったので人がいないところもよかったんですよね。若くてとがっていたこともあって商業的な写真なんて俺はやらない、墓地の写真で世界的に有名になるんだと思っていました」

ちょうどその頃、日本で若手写真家向けの公募展に応募すると入選。最終選考の公開審査で徳永さんの作品の票が一番多く受賞が決まりそうでしたが、あとちょっとのところで受賞に結びつきませんでした。会場で感じた空気感も自分とは合っていないように感じたそうです。

徳永さんは写真とは別の道に進むことを決めます。

「やめるならスパっとやめようと思いました。僕は、自分の作ったものを自分で評価できないタイプなので、アーティストに向いていないと気づき始めたんです。自分で作ったものに納得できないというか、否定してしまうところがあって、やっていて楽しいと感じたことが一回もないんですよね(笑) 作品やアーティストへの評価ってバラバラですけど、ビジネスや職人の世界は評価の基準がもっと明確でシンプル。そういうのがいいなと思いました」

「アーティストではないっていうのと通じるんですけど、“自分のパンはこうだ”ではなくて、食べてもらう人に合わせるのを楽しんでいます」
「アーティストではないっていうのと通じるんですけど、“自分のパンはこうだ”ではなくて、食べてもらう人に合わせるのを楽しんでいます」

フランスで歩み始めたパン職人の道

写真家の道を絶った徳永さんは、フランスで日本文化が人気だったことから、日本の雑貨をフランスで販売しようと起業しますが、語学力不足などを感じ、方向転換することに。その時に思い浮かんだのが、フランスで日々の暮らしと共にあったパンでした。

「パンはしっくりきたんですよね。フランスでの生活はお金もないので一番安いバゲットをリュックに入れていつも食べていました。ちょうどフランスの若者の間で原式的というか素朴な暮らしみたいなものが流行っていた時で、日常を下支えするようなシンプルな仕事をしてみたくなったというのもありましたね」

パンの新商品は季節感や世の動向に関係なく、パッと思いついた時に作るそう
パンの新商品は季節感や世の動向に関係なく、パッと思いついた時に作るそう

一度決めると迷いは持たないという徳永さんは、3度目のフランスで、今へと続くパン職人の道を歩み始めます。

ルーアン国立製パン学校のリヨン分校で、半年間の国家資格取得コースを受講し、筆記と実技で試験に合格。リヨンにあったブーランジェリーで、パン職人として働き始めます。そこは年間の売り上げが数億円にも上るような規模の大きいパン屋でした。

写真家として歩んできた徳永さんは、初めてパン屋で働き始めた時、どう感じたのでしょうか。

「シンプルなのがよかったですね。バゲットを一日1000本販売するような店で、量とスピードがすごい。ガテン系の職人による製造でした。朝早いのが辛かったですが、基本パンと向き合っていればいいので、人と人との関係の面倒くささもなくて。体力的にはしんどいんですけど、メンタル的にやられることはなかったです」

「70歳くらいになったら、定年退職した人に向けて薪窯でのパン作りを教えたい。何もやらなくなったら暇になるので、自分も楽しみながら退職した方の楽しみも提供したいですね」
「70歳くらいになったら、定年退職した人に向けて薪窯でのパン作りを教えたい。何もやらなくなったら暇になるので、自分も楽しみながら退職した方の楽しみも提供したいですね」

その店で4、5年働いて帰国し、東京でパン職人として歩み始めます。惣菜パンやスイーツパンなどの細かい作業は、フランスのパン屋では経験がなく、新鮮だったそうです。

「日本は手間暇を惜しまないという感じですごく複雑な製法で作りますが、フランスはもっとシンプルで、でも食べると美味しいんですよね」

企業の店舗立ち上げを経て、自分の店を開く

高校卒業から10年以上、東京とフランスで暮らしていた徳永さん。今度は地元の福岡で働こうと思い、次の職場にしたのが、ニューヨーク発のベーカリー「THE CITY BAKERY」でした。福岡店で2年ほど製造スタッフとして働いた後、徳永さんはマネジメントの素質を見込まれ、東京での新店舗の立ち上げを任されるようになります。新店オープンの日には次の店舗の立ち上げを考え、ひたすら走る日々が3、4年続いたそうです。

「効率性などを考えて新店舗はこうした方がいいと提案をしたり、経営者の考え方があったんだと思います。根っからの職人ではないというか。ただ、いつか独立したいという思いはずっとあったので、『自分には会社員は向いていないので、いつ辞めるかわからない』という話は上司にしていました」

そんな中、2020年から本格的に広がったコロナ禍で独立を考える余裕ができてきました。

「それまでは、毎日長時間働き、休みの日も電話対応などで休めていなかったのですが、コロナ禍で新店舗の開業がストップし、時間の余裕ができて。その間に、物件を探して内装業者を見つけて、毎週のように内装工事の打ち合わせをするなど、自分のパン屋のオープンの準備を進めました」

そして会社を退社し、2021年6月、徳永さんは満を持して東京・三鷹にベーカリー「Bakery MIDMOST」をオープンします。39歳の時でした。

「考え方がころころ変わるタイプなので、店名に意味を込めたくなかったんですよね。その時に込めた意味って5年後、10年後変わるかなと思って」と話す徳永さん
「考え方がころころ変わるタイプなので、店名に意味を込めたくなかったんですよね。その時に込めた意味って5年後、10年後変わるかなと思って」と話す徳永さん
「パンにあまり興味がない人でも美味しいと思ってもらえるようにしたい。子供からおじいさんおばあさん、たくさんの方に来てもらいたいですね」
「パンにあまり興味がない人でも美味しいと思ってもらえるようにしたい。子供からおじいさんおばあさん、たくさんの方に来てもらいたいですね」

コロナ感染拡大中でのオープンでしたが、店舗立ち上げの経験を積んでいたこともあって、不安はそれほどなかったといいます。

「それまでは商業施設内のパン屋の立ち上げだったので規模は全然違うんですけど、なんとなくやることはわかっていて。もちろん物件やお金の借り入れなどには不安もありましたけど、コロナ禍でもテイクアウトできるパン屋の売り上げは伸びていましたし、一度やると決めたので迷いはなかったですね。それに、僕は街歩きが好きで、個人の飲食店が街の文化を作っていると思っているんですけど、飲食店が元気がないとつまらない。今こそ自分の店をオープンしたいと思いました」

自分のお店づくりで、徳永さんがこだわったことは何だったのでしょうか。

「開業時って何かとお金がかかるので、切り詰めてしまうんですけど、機材で100万円けちると毎日30分余計に時間がかかってしまったり、長い目で見るとマイナスになるんですよね。それを考えた時に、機材にはお金をかけて他を抑えるようにしました。あとは、やっぱり厨房スペースを広くして快適にしたかったですね。職人が店をオープンすると厨房がメインになりますね(笑) お店に入った時の印象としてパンが占める割合を大きくしたかったこともあって、販売スペースは小さめにしました」

また、オープン準備で想定外に苦労したこともあると言います。

「導入したミキサーではそれまでと同じ行程でパンが作れなかったため、オープンの数日前まで試作がうまくいきませんでした。いろいろな人に相談して問題点に気づいて修正したことでなんとか開業にこぎつけました。最初はお客さんに迷惑をかけたかもしれないですね」

驚くほど広い厨房。現在、徳永さんの他に2人のスタッフが製造を担当する
驚くほど広い厨房。現在、徳永さんの他に2人のスタッフが製造を担当する

お店はオープンしてからすぐにたくさんのお客さんが足を運び、半年も経つと3人目の製造スタッフが必要になるほどの人気店になっていきます。

人気店の理由を聞いてみると、「駅からの距離や個人店が多く並ぶ立地、それと奥さんや販売スタッフがお客さん一人一人に真摯に対応しているからだと感じています」と徳永さん
人気店の理由を聞いてみると、「駅からの距離や個人店が多く並ぶ立地、それと奥さんや販売スタッフがお客さん一人一人に真摯に対応しているからだと感じています」と徳永さん

パン屋のQOLを上げながら「いつも行ける店」に

写真家からパン屋へと転身した人生を振り返って、徳永さんは今どう感じているのでしょう。

「波乱万丈な人生だと思っています(笑) でも、過去を全く振り返らないので、後悔とかしたことないんですよね。パン屋っていろいろなことをやっていて、途中からパン屋になる人が結構多いんですよ。面白い事をやっている人ほど面白い経歴だったり。仕事は長時間できついんですけど、パンと向き合っているようで自分と向き合っているみたいな、結構、内向的な仕事なんですよね」

日本でパン屋として働きながら、日本のスタイルには違和感を抱いている部分もあると言います。

「フランスにいたこともあって、日本は商品の種類が多過ぎて新商品も出し過ぎだと思うところはありますね。働いている人もすごく大変だし、生産性もよくない。僕は、10年20年、長いスパンで買ってもらえる商品が少しずつ増えていけばいいなと思っています。それに、パン屋は皆すごく働きますよね。定休日は仕込みで普通に働いて、営業日は普通の人の2倍働いている感じ。パン職人のQOLをあげたいんですよ。僕は、常に『今以上は働かない』というのがモットーで、自分の時間は大切にしたいと思っています。毎日、疲弊するほど働いていると、何のために生きているのかと思ってしまいますよね」

そして、オープンして3年目の今の課題とこれからの目標について、こんな話をしてくれました。

「今の規模だと一人一人の責任がすごく重くて、一人欠けると営業できないという状況なんですよ。それって個人的にもプレッシャーがあるし、経営的にもリスキーな状態でやっているので、早めに解消したいです。今の人数だと自分が求めるクオリティにするには定休日が増えちゃうんですけど、お客さんの事考えると、いつでも開いている方がいい。そうするにはやっぱり人を増やしていかないとと思うんですよね」

写真家をやめてからはカメラは実家に置きっぱなしで、撮影することは一切ないという。SNSのパンの写真も知人が撮影しているそう
写真家をやめてからはカメラは実家に置きっぱなしで、撮影することは一切ないという。SNSのパンの写真も知人が撮影しているそう

自分を含めて働くスタッフの生活の質を上げながら、「いつでも開いている店」にしたい。そんな理想を実現するための道を模索していると言います。その一つとして、店舗を増やすことも検討しているそうです。

「会社を大きくしていこうというよりは、買う人も働く人もリスクが少なくて、安心して日々生活できるような環境をつくりたいんですよね。店舗数を増やすことで雇用も増やせます。ただ、汎用が難しいレシピで作るパン屋は店主がいるから安定して作られているので、店舗数を増やすと急にクオリティが落ちるところがほとんどで、そこが怖いですよね。でも人が増えたら自分が複数の店舗をみられるんじゃないかとか。いろいろなことを考えながら日々悩んでます(笑)」

最初から「会社を作りたい」という思いがあったという徳永さんは、店をオープンして半年後に株式会社として法人化した。今も自分の思い描く会社組織実現のため悩む日々だという
最初から「会社を作りたい」という思いがあったという徳永さんは、店をオープンして半年後に株式会社として法人化した。今も自分の思い描く会社組織実現のため悩む日々だという

「過ぎたことは振り返らず、やめる時は迷いなく」という言葉のままに、その時その時を力強く生きている徳永さん。「仕事ばかりではなく、自分の時間を大切にしたい」というフランス人の人生観、労働観に通じる思いを持ちながら、自分の理想とする店を目指して幅広い視点で組織づくりを進める姿に、両方の実現を応援したいと思いました。(堀内)

プロフィール

徳永景介

福岡県北九州市出身。高校卒業後、東京の写真専門学校に2年間通い、卒業後、フランスへ。一度、日本に戻り、南フランス・アルルにある国立の写真専門学校に1年間通い帰国。写真家の道から方向転換し、3度目のフランスではパン職人の道に。ルーアン国立製パン学校のリヨン分校で、半年間の国家資格取得コースを受講し取得。リヨンのブーランジェリーで4、5年修業。日本に帰国し「THE CITY BAKERY」で店舗立ち上げなどに従事し、2021年、「Bakery MIDMOST」をオープン。半年後に法人化し、代表になる。

https://www.instagram.com/bakery_midmost/

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