「ずっと地元にいて、結婚もせず、子どももいない。そうするとね、ホームなのにアウェイなように感じてくるんです」。そう話すのは、東京都武蔵野市で江戸時代から続く「松屋果樹園」を切り盛りする古瀬陽子さん。古瀬さんは2023年、果樹園に隣接する自宅の駐車場を改装し「松屋果樹園+garage」をオープン。これまで続けてきた果樹の販売に加え、カフェの営業やワークショップなど、地域のコミュニティの場として開いています。今回は古瀬さんに、果樹園の歴史やガレージ設立の経緯、今後の展望を伺いました。
武蔵野市で生まれ育った生粋の武蔵野市民である古瀬さん。農業は、そんな古瀬さんの家系が代々受け継いできた家業でした。その歴史は長く、江戸時代に古瀬さんの先祖が玉川上水の河川工事に携わり、その報酬として工事中に耕した土地を譲り受けたところからはじまります。
「その土地で営んでいた畑を祖父が受け継いで、私たちが今も住んでいる平屋をそばに建てました。その後、祖父が亡くなった1991年に、自動車ディーラーや米穀バイヤーをしていた父が退職。畑作から果樹園に営農方針を変え、当時栗畑だったスペースに駐車場を建てて。父も亡くなった今、駐車場を『松屋果樹園+garage』と名付けて運営しています」
1950年代後半、近隣に団地ができたことで専業農家から兼業農家へ移行し、農業とは別に商店を営んだり、1970年代初頭に生産緑地法が制定されたことで、市街区域の景観や生活環境の確保に貢献するなど、時代の流れに合わせて形式を変えながら地域と共に生きてきた松屋果樹園。ちなみに松屋果樹園という名前は、祖父母が過去に営んだ松屋商店から。祖父である“古瀬松之助”の“松”からちなんだものだそうです。
お酒好きで口が悪いお父さんとは喧嘩することも多かったそう。しかし、古瀬さんは果樹園を通じてそんなお父さんの意外な一面が見えたと言います。
「木に花が咲くと、父が『綺麗だろう』だなんて言うんです。後になって、自分のお酒のためとか言いつつ、本当は家族や地域の人たちに綺麗な花を見せたかったからだって分かったんですよね」
道ゆく人たちに楽しんでもらおうと、時には果樹園にチューリップを植えたこともあるという古瀬さんのお父さん。目新しいものも好きだったそうで、90年代の武蔵野市ではまだ目新しかったモロヘイヤやヤーコン、ほど芋を植えていたのだとか。「お客さんも調理方法が分からなかったからか、販売してもあまり売れなかったですけどね(笑)」と古瀬さんは苦笑い。
古瀬さんは20代まで都会的で洗練されたものへの憧れがあり、畑作業の手伝いよりも友だちと夜遅くまで遊ぶことの方が多かったのだそう。そんな古瀬さんが畑に入るようになったのは、20代後半の頃。以前から興味があったという草木染めとアロマセラピーでの学びがきっかけでした。
「草木染めもアロマセラピーも、どちらも植物の存在が不可欠です。特にアロマセラピーでは、エッセンシャルオイルに使われるミントやローズマリーといったハーブがどう育つのか気になって……。自分の家に畑があるんだから、育ててみたいと好奇心が湧いたんです。そうして畑の一部を借りて、自分で育て始めました。そうしていくうちに頻繁に畑に入るようになって、育てる楽しさに目覚めましたね」
自発的に畑でハーブを育てる古瀬さんの姿を見て、お父さんやお母さんも喜んでいたそうです。
「その父も亡くなり、弟が果樹園を譲り受けて2年が経ちました。私も手伝っていて、栽培や剪定、各関係者とのやり取りは弟、収穫と販売が私の担当です。分業なので連携が大事ですが、私の方が先に果樹園に入っていたので動作が読めますし、弟はマメで抜かりがないので助かります」
「段取りが良くて計画的な弟と、思いつきの行動が得意な私。バランスは取れていますね(笑)」と古瀬さん。敷地には枇杷やレモン、すもも、ブラッドオレンジなどさまざまな果樹が並び、一年を通じて収穫できるようになっています。かつてお父さんが植えたカボスやシークワーサーの樹もそのままです。
松屋果樹園の向かいには自宅、その隣には駐車場兼農作業スペースとして使っていたガレージがあります。古瀬さんは2023年、この場所を「松屋果樹園+garage」として改装しました。出店者による飲食の提供やワークショップ、マルシェ、時には映画上映会など、地域に開かれた多彩なイベントを月4〜6日ほど不定期で開催しています。背景には、これまで関わりがあった地域の人たちだけでなく、時代と共に変化した地元とも新たに関係を築きたいという古瀬さんの想いがありました。
「きっかけは、コロナ禍での人との関わりでした。人々の生活範囲が狭まっても、実った果実は収穫しなくてはなりませんし、生産緑地には営農義務があるので、保有している以上は販売しないわけにもいきません。ちょうどその頃、父の容体が悪い中で果樹園が大豊作だったんです。人手が足りなくて、近隣の方がボランティアで手伝ってくれました。お礼に、皆さんにおにぎりでも握って出せたらいいなと思っていて」
松屋果樹園ではこれまでもフルーツの無人販売をしており、何度か地域の人や友人たちにお手伝いをお願いしていたそうです。当時、ガレージにはお父さんの車が置かれていましたがわずかな空きスペースを使ってフルーツを拭くなどの作業場として使っていたのだとか。
「父が倒れて、車を手放したことでガレージにより広いスペースが生まれたんですよね。この広さなら人が集まれるんじゃないかと。父も、ガレージで人が集まれることをしたらいいんじゃないかと提案してくれたんです。壁を取っ払って、広々としたガレージでビールでも飲めたらいいなって(笑) まさか、父がそんな風に考えていたとは思わなくて嬉しかったですね。やってみようと思いました」
「それに家の周りの団地が新しくなって、住んでいる人たちもだいぶ変わりました。私は結婚や子育てをしていないので、新しくやってきた人たちと話せる共通の話題がなかったんです。そうなると地元なのになんとなく疎外感があって。言うなれば、ホームにしてアウェイって感じでしょうか」
慣れ親しんできた地元の人たちと、新しく武蔵野市へやってきた人たち。そのどちらにも開かれた場所を作りたい。古瀬さんはガレージのリフォームを決め、吉祥寺の建築事務所に空間デザインを依頼しました。2022年の年末から工事がスタートし、2023年5月に晴れて改装オープンさせます。
「最初に考えた通りに作るよりも、ひとまず場だけ整えて、それを見てやりたいことを考えようと思っていました。なので、駐車場のそのままのデザインを活かした内装に仕上げてもらいました。いい意味で、着地点は決めていませんでしたね。きっと流れが形になるだろうなと」
フルーツの無人販売をしている時代から買いに来ていた地元のお客さんや、古瀬さんの小学校時代の友人とそのご家族、両親の知り合いの方など多くの方が足を運んでくれたそう。「SNSで広報をすると、武蔵野市以外からも来てくださる方がいて驚きました」と、古瀬さん。
「オープンした当時、フリースペースを運営している諸先輩方からたくさん応援のお言葉をいただきました。子どもの頃からずっと住んでいる場所だし、良さは絶対に伝わるから焦らなくていいよって。本当に心強かったですね」
ガレージ奥に隣接する納屋も改装し、簡単な軽食が作れるキッチンに。これは弟さんが提案してくれたアイディアなのだとか。
「出店する利用者さんについては、シェアキッチンとして広く募集するのではなく、実際にガレージに来てもらってお話しした時の肌感やフィーリングを大切にしています」
松屋果樹園で採れた旬の果物を使ってもらいながら、ヴィーガン食やスパイス料理、スイーツなど、さまざまなジャンルの出店者が月1〜2回の頻度で出店。地元から関東圏内まで随所から出店者が集まり、どれもお客さんから好評だったそう。
松屋果樹園+garageに来る方は20代から80代まで幅広く、多くは女性なのだとか。子育て中のママさんたちも来るそうですが、来る方の中にはこの場所を“休憩室” と呼び、あえて子どもを連れてこないという方も。「たまには子ども抜きで大人の話ができることに、癒しを感じるママさんもいます。私は子どもを見たいんですけどね(笑)」と笑う古瀬さん。確かにガレージに漂う緩やかな時間の流れは、ホッと一息つくのにぴったりな場所なのかもしれません。
地域のコミュニティスペースとして運営し始めてから、今年5月で2年目を迎えた松屋果樹園+garage。「今年は来年に向けて、ゆっくり準備する一年にしたいです」と、古瀬さんは語ります。
「隣に武蔵野市コミュニティセンターがあって、そこが来年の4月まで改修工事に入るんです。コミュニティセンターには私もたまに顔を出していて、用事のある方が行き帰りに寄ってくれることも多いので、こちらも併せて準備の年にしたいと思っています」
毎年9月から3月は果樹園の収穫時期で人や物の動きが多くなるため、まずはその時期に併せてガレージの活動も徐々に変えていきたいと話します。「例えば今は開店が不定期なので、毎週固定の曜日にオープンすることでお客さんが覚えやすいようにしたいですね。来てくれる方にとっての分かりやすさや、透明性を意識したいです」と古瀬さん。
収穫した果物をその場で食べれるライブキッチンや、古瀬さんが親しむアートやクラフトイベントの開催など、やりたいことは盛りだくさん。その中で古瀬さんが大切にしたいのは“一つのジャンルに絞らないこと”だそう。
「松屋果樹園+garageは、あえて飲食店やラボラトリーといった言葉でカテコライズしていません。分かりやすく括ってしまうと、それ以外のことをした時に一貫性が失われてしまいます。お客さんにとっての分かりやすさも大事ですが、自分がやりたいことに制限をかけないためにもこれは大切ですね」
古瀬さんが等身大で良いと感じたものを、ガレージを使って表現し、周囲の人々と共有していく。その自由でしなやかな姿勢は広報活動にも現れています。
「お店のInstagramアカウントは、迷惑DMが多くて鍵アカウントにしているんです。それが功を成したのか、来てくれるお客さんとはフィーリングが合いますね。手仕事が好きで探究心のある方が多くて、実際にお会いすると趣味の話で盛り上がります。オープンに情報を発信しているのはnoteだけですが、今のところデメリットは感じていません」
果樹園というツールを通じて人と繋がり、植物を切り口に関係性が広がっていく。これこそ、古瀬さんが目指した地域と共存していくための形なのかもしれません。「植物で繋がれるのは畑ならではの良さだと思います。私たちの生活を支える衣食住には、どれも植物の存在が欠かせませんからね。話は尽きません」と古瀬さん。
最後に、古瀬さんからこれから新たな一歩を踏み出す方へメッセージをいただきました。
「やりたいことが明確に決まっていなくても、動いていればいずれ、何かしらの形になります。まず一歩踏み出すだけで成功なんです。もし色々と考えてしまって動けないなら、きっとまだその時ではないんですよ。『今はまだタイミングじゃないんだな』って肯定的に受け止めていいと思います」
「失敗を悪いこと、してはいけないことだと思っていると、リスクに気を取られて行動に移しにくくなっちゃうんじゃないかな。失敗やピンチは、現状を打破するためのチャンス。そんな堂々とした思い切りが大切なんじゃないでしょうか」
果物と同じように人は水物で、感情や情熱にも鮮度がある。それは年齢や性別に関係なく、大切なのは自分の心が臨むタイミングで一歩を踏み出すこと。古瀬さんはこれからもその瑞々しくしなやかな情熱を持って、ガレージを盛り上げてくれることでしょう。(すずき)
東京都武蔵野市で生まれる。20代から染色、刺繍アート、蝋引き、キャンドル作りなど幅広く創作活動を行う。活動名は「ヒノタネヒノカケラ」。2022年、弟が先代である父から松屋果樹園を引き継ぎ、収穫や販売を手伝うようになり、2023年5月に自宅のガレージを「松屋果樹園+garage」として改装オープン。従来の果樹販売に加え、ワークショップの開催や出店者による飲食の提供など、果樹園を通した場作りを手がける。