
学校や公共施設などが地域に開かれた場になりつつある近年においても、病院などの医療・福祉施設は、やや隔たりのある閉鎖的な場所となっています。理学療養士として病院で働くうちに、病院に違和感を感じ、まちに飛び出した糟谷明範さん。訪問看護ステーション事業やカフェをはじめとするコミュニティ事業を10年展開しながら、人と人との関わり方や日常の延長にある医療のあり方を模索しています。糟谷さんが口にする“いい感じ”という言葉。医療や福祉と、人やまちとのつながりを見つめ直すとき、糟谷さんはどのような未来を見つめているのでしょう。
理学療法士として都内の総合病院で働いていた糟谷明範さんは、病院で働くうちに、神格化されがちな病院のあり方や、「医療父権主義(パターナリズム)」と呼ばれる、医師や理学療法士などの医療従事者と患者との権力関係に疑問を抱き始めます。2つの総合病院に5年ほど勤務した後、国立市の訪問看護ステーションに転職し、地域と関わることを少しずつ始めていきます。
「医療従事者と患者という関係だけではなく、一人の人と人として関わっていきたい。病院という形にとらわれない医療の可能性を探っていきたいと思いました」

2014年、32歳の時に、訪問看護ステーションを運営する株式会社シンクハピネスを設立します。そして2年後には、「まちに暮らす人たちと出会う場をつくりたい」と構想していたカフェをオープンします。京王線多磨霊園駅近くに、もともと糟谷さんの祖父が所有していた物件をカフェ「the town stand FLAT」に。国立で働いていた時に仕事先で出会ったメンバーも力になってくれ、目指すものに向けて進んでいきます。
「店に足を運んでくれる人が増えていけば、地域の人にも、この場所のことや僕たちがやろうとしていることを知ってもらえるのでは」と考えた糟谷さんは、意識的に外に向けて発信していくように動いていきました。

糟谷さんの実感のこもった思いと発信する力で、取り組みは徐々に知られるようになり、近隣地域だけでなく、地方などでの講演にも声がかかるようになっていきます。そして「ここで働きたい!」と地方からスタッフも集まっていきました。

糟谷さんがつくりたいと考えていたのは、医療という枠に囲まれたコミュニティではなく、誰にでも開かれた場でした。カフェでも医療を全面に押し出すことで一般の人が入って来れないようにはしたくないと、医療を謳うことはありませんでした。
カフェの近くには、祖父が建てたアパートが2棟ありました。ここもたくさんの人が集まる場にしていきたいと考えていた糟谷さんは、部屋の原状回復を求めず自由にリノベーションできるようにします。そうしてお菓子工房、子どものアトリエ、シェアスペースなど、バラエテイに富んだ10組の入居者が集まったこのエリアと活動を「たまれ」と名付け、お祭りやイベントを企画し、地域を盛り上げています。

ここで暮らす人もいます。2部屋ある空室には「高齢の方などに暮らしてほしい」と糟谷さん。
「以前、認知症の症状を持つ方が住んでいたんですが、それぞれの人の日常と一緒にあるっていうのが僕らの暮らし方、本質かなと思っているんです。人の手触り感が見え隠れするのが暮らし、そんな場所でありたいですね」
人との関わり方を丁寧に考える糟谷さんは、やたらと“つながり”を推し進めようとする動きに疑問を抱きます。
「『つながりは果たしていいものでしょうか?』というのが今の僕の問いなんです。地域共生社会や地域包括ケアシステムのように、医療においてもつながりが求められますが、ただつくればいいというものでもないと思うんです。つながりといっても人によって望む距離が違い、ともすれば、その”つながり”は負の側面を持つこともあるので、慎重になる必要があると思うんですよね」
独立して10年、たくさんの人と出会い関わることで生まれてきた考えでした。糟谷さん自身も最初はカフェで積極的にお客さんに話しかけていたといいますが、今は「その人のタイミングで関われたら」と、自分からはあまり話しかけないようにしています。一方、「会話のきっかけになれば」と、毎月一日に店の前で無料でコーヒーを提供するなど、門戸を開く準備を整えています。

「まちの風景になることが、我々が10年やってきたことでもあります。時間と曜日が決まっていると、何曜の何時にあそこでやっている、と頭に入っていきますよね」
もう一つ始めたことがあります。この11月から週に一度開く、2時間半の「くらしとからだの窓口」では、誰もが気軽に訪れて不安なことを相談できます。曜日ごとに、看護師やケアマネジャーのスタッフが交代で対応します。
「ずっと頭にはあったんですが、10年経ってとうとう開くことができました。まちの人たちと関わっていく中で、やっぱりあった方がいいよねと。スタッフからもやりたいという声が上がって。まだ訪れる方はほとんどいなくて、周知されるには2、3年かかるかなと思っています」
「会社のミッションにも掲げているのですが、“私とここで暮らす人と医療と福祉がいい感じになっている社会をつくる”というところを基準にしていて、それぞれが“いい感じ”になっている状態を保ち続けるのが僕らの役割だと思うんです」
誰かの心地よさは、他の誰かにとって心地の悪いことかもしれず、それぞれにとっての“いい感じ”を生み出すにはどうしていけばいいのか。医療・福祉に加え、デザインの視点などさまざまな角度から丁寧に擦り合わせていく視点を育みたいと、糟谷さんは2025年8月からの4ヶ月、たまれで「ウェルビーイングをまなびなおす」というプログラムを企画しました。

ウェルビーイングは身体的にも、精神的にも、社会的にも“よい状態”のこと。病院などで計れる数値と暮らしの中でのウェルビーイングは食い違うことが少なくないと糟谷さんはいいます。
「病院は患者を治療するという視点のみになりますが、その人の人生にとって大切なのはそれだけではないと思うんです」と、糟谷さんはこんなお話をしてくれました。
「カフェのお客さんから連絡を頂いたのですが、友人の20代の娘さんが癌でよくない状態で、『家に戻りたい』と。病院だと、訪問診療や看護の手配など会議したり、家で暮らせるようになるまで時間がかかるんですよね。しかも年末で。連絡をもらって我々がすぐに手配して整え、3日後にお亡くなりになられたということがありました。そういう、何かあった時のために僕らは存在していると思っています」

「人もまちも医療も福祉も、患者の考えや求めることも、その時その時で変わっていきます。普段から関わりを持つことで、その人にとって何がその時、一番大切で必要なのかを考えてサポートすることができると思うんです。病院と違い、保険制度に縛られない僕らにしかできないことをやっていきたいです。社会や制度を変えたいと思ってもすぐに変わることではないですが、自分達にできることをしていくことで空気を変えていければと思うんです」
いざという時に自分たちにできることを考えて動く、糟谷さんの姿勢はコロナ禍でも発揮されていました。コロナ禍になったのは、起業して5年ほど経ったときでした。
人工呼吸器など医療依存度の高い患者を抱えるシンクハピネスにとっても、コロナ禍は危機的状況でした。医療崩壊が叫ばれる中、「自分たちにできること」を考えた糟谷さんは、関わりのあったクリニックや介護施設、地域包括支援センター、市民活動センター、市会議員、民生委員など13ほどの組織や人に声をかけ、それぞれの状況や困っていることなどを話し合う座談会をオンラインで開きます。市長にも聞いてほしいと伝えるなど奔走し、傍聴は100人を超えたといいます。外とつながりにくいコロナ禍において、糟谷さんはなかなか関わりを持ちにくかった組織同士をつなげていきました。

糟谷さんは今年9月、『境界線を曖昧にするーケアとコミュニティの関係を耕す』という本を出版しました。大学院時代の先生に声をかけてもらって、ウェブマガジンに一年半連載していたものをまとめたもので、“医療・福祉の専門職”と“まちの一住民”という二つの視点を持って奔走してきたこれまでの取り組みや自身の家族のことにも触れた内容になっています。
連載をしていく中で出版の話が上がり、糟谷さんが書籍化を決めたのは、その本がつないでいく未来への期待でした。
「本で書いたことは過去のことなので、これが誰に届くんだろうとか、本を出版することでこれからどんなことが起こるのかなと思いながら書いていました」
糟谷さんの期待していた通り、本はたくさんの人に読まれ、糟谷さんにも新たな出会いを運んでいきます。
「本がどんどん旅立ってくれて面白いです。問いを投げたことに対して皆から感想を頂いて、自分の中で咀嚼して、“糟谷の輪郭をつくっていくための本”みたいな存在になっています」

タイトルに込めた「境界線を曖昧」にすることは、“いい感じ”が生まれるのに大切なことだと糟谷さんは考えています。
「自分の考える正しさや価値観を一旦、ゆるめていくことが大切だと思うんです。それには人やものとの新しい出会いや、そこから生まれる新しい考えを大切にしています。ずっと同じことをやっていると壁や枠ができて、それは僕にとっては心地がよくないことなので、僕はノイズと呼んでいるんですが、自分にはない考えと出会ったり、自分が苦手とすることにも挑戦して、変容していきたいですね。この10年そうやってきた気がします」

「今後も具体的に何がやりたいということはなくて、皆の“いい感じ”をつくるためにどうしたらいいか、そのために必要なことをやっていくという感じですね。いざという時の質の高い医療福祉は譲れないので、それを高めていくことも僕らのやらなくてはいけないこと。人の暮らしの中に、“嫌な感じ”じゃなく僕たちの存在があって、医療や福祉が必要になればいい感じで関わっていけるというような状態でいられたらいいなと思います」
医療従事者でありながら病院からまちに飛び出すという行動はなかなかできることではありません。そして糟谷さんは力強く道を切り開いてきました。常に未来を見つめる姿も印象的でした。その人の人生に寄り添い、多面的に寄り添って考えてくれる医療福祉の専門家がまちに存在してくれることに心強さを感じました。(堀内)
府中市出身。立教大学大学院、社会デザイン研究科(当時、21世紀社会デザイン研究科)を終了後、理学療法士として都内2つの総合病院で5年間勤務。国立市の訪問看護ステーション勤務を経て、2014年、32歳の時に、訪問看護ステーションを行う株式会社シンクハピネス設立。2016年に京王線多磨霊園駅近くにカフェ「the town stand FLAT」をオープン。並びの2つのアパートを拠点に「たまれ」として地域を盛り上げている。会社では居宅介護支援も始め、個人としては2025年に書籍『境界線を曖昧にする ーケアとコミュニティの関係を耕す』を出版し、高校の講師も行うなど幅広く活動する。