病を治し伝えるアニマルレクター

2022.11.24
病を治し伝えるアニマルレクター

愛するペットのために、心から信頼を寄せて話すことができるお医者さんがいたら、どれほど安心するのだろう。そう思う方は多いのではないでしょうか。多摩地域の動物病院で勤務医として働いたことがきっかけで、「いぬねこクリニック小金井」を開業した“アニマルレクター”の阿部和樹さん。東小金井駅の高架下に小さな診療所を設けながら、訪問診療をメインとした動物の医療的ケアを行っています。ところで、阿部さんが自ら名乗る“アニマルレクター”って、一体どういう仕事なのでしょう?そこには獣医としての葛藤や、希望が込められていました。

飼い主一人ひとりによりそう動物医療を

学生時代から獣医を志していた阿部さん。鹿児島大学を卒業後に、念願の獣医になるべく、就職をきっかけに上京しました。

初めての就職は、小平にある動物病院。その後は神奈川の川崎や横浜へと異動し、そして小金井へ場所を移してからは、院長として獣医師の経験を重ねていきます。

病院での日々の診察は、とにかく目が回るほどの忙しさ。「飼い主の方一人ひとりに時間をかけることが難しいのが、もどかしくて仕方なかった」と阿部さんは話します。

「世間から見たら獣医師は、“3K”(きつい、危険、汚いといった労働環境を表す用語)と言われても、おかしくない状況なんですよね。勤務は交代制でもあるんですが、それでも急な診療や長引く診療が入ることはありますし、夜中まで勤務ということも多いです。でも、それだけみんな時間を度外視して真剣に向き合っているんです」

勤務医時代のことを話す阿部さん。ハードワークで熱心に診療していたものの、どこか心残りがあったという
勤務医時代のことを話す阿部さん。ハードワークで熱心に診療していたものの、どこか心残りがあったという

こうした環境の中で、阿部さんはいつも心に引っかかっていた思いがあったそうです。

「患者であるワンちゃん猫ちゃんだけではなく、飼い主さんとも、もっとしっかり向き合いたいと思ったんです。実はこれまでに、飼い主さんがちょっとした変化を見逃さなければ、少し知識として知っておけば、病気にならなくてすんだかなという動物たちをたくさん見てきました。もちろん私たちは病気を治すことが仕事ですが、根本的に病気にならないようにしたい。ひいては病気をなくすことができたら、もっともっと動物たちのQOLが上がっていくのではないかと感じています」

往診する阿部さん。過ごしなれた場所での診察だと動物にとっても安心。医師としてもじっくりと時間をかけられるのがうれしいそう
往診する阿部さん。過ごしなれた場所での診察だと動物にとっても安心。医師としてもじっくりと時間をかけられるのがうれしいそう

病を予防するための知識を一人でも持ってほしい、またそれを伝える担い手が増えてほしい。そうすれば私たちのところへひっきりなしに来る人たちも減るし、一人ひとりとじっくり対話するも増える。こうした思いから、阿部さんは当初独立するにあたって講師業を始めることを考えていました。ところが…。

「当時、院長をしていた病院の患者さんから、“今後、誰に診てもらったら良いか分からない”“阿部さんじゃないと嫌がるの、うちの子”というご相談をたくさんいただいて…。じっくり時間をかけて診察ができるよう、講師業と両立できる形でクリニック開業をできないだろうか、と模索していました」

悩みながらも、個人事業主として独立に向けた準備を進める阿部さん。その中で、医療機器が少なくコンパクトなスタイルだと、開業のハードルが下がることを知ります。

「小金井市の“創業支援事業”との出会いが大きかったです。それがなければ、クリニックの開業はなかったと思います。駅近でコンパクトな面積のMA-TOというシェアオフィスだったら開業も思っている以上に負担が少なそうだなと感じて。それが決め手になりました」

こうして阿部さんは、地域の動物医療×教育という形をベースに、30代前半から個人事業主として仕事を始めることになります。

たとえ理解しきれなくても、気持ちと行動をくみとりたい

高架下の一角にあるクリニックの扉を開くと、目に飛び込んでくるのはシンプルな板作りの動物の診療台。診察内容もできるだけシンプルに。クリニック内で難しい処置や検査などは、提携病院や検査機関と連携をしているそうです。

「入ってすぐに、動物たちの処置ができるようにしているんです。ここは病院だと身構えさせないように、“散歩のついで”くらいにフラッと来るくらいの方が無理なくここで過ごせるのかなと思って」

飼い主の方や動物たちを思いやり、「誰でも気軽に」クリニックに入れる環境を意識している阿部さん。ちょっとペットの相談に行く“まちのかかりつけ”として、まるでカフェのような感覚で訪れることができます。

明るく清潔感のあるコンパクトなクリニック。中には診察台のほか、簡単な検査機器、注射などの薬剤もある
明るく清潔感のあるコンパクトなクリニック。中には診察台のほか、簡単な検査機器、注射などの薬剤もある

クリニックを構える一方で、最近は往診の比率が高まっているそうです。往診について、「ワンちゃんや猫ちゃんは、みんなが思っている以上に怖がりだから」と阿部さんは話します。

「怖がりな動物たちは、採血するの一つでも本当は大変なんです。病院だと時間がなく、体を“ガシッ”と押さえつけて処置を施すことがほとんどですが、動物にだって“嫌だ”という気持ちや“恐怖心”ってやっぱりあるんですよね。私も、できれば動物たちを無理やり押さえつけるより、行動をみながら、“診察する”より“仲良くなる”という気持ちで接したい。そのためには、時間をかけたいんですよね。往診だとゆっくりじっくり、動物たちにとって安心感のある環境で向き合うことができるんです」

注射は人間にとってもストレスだけれど、動物とってもストレス。少しでもストレスが緩和できるように丁寧に向き合っている。医学の世界でも、最近は「動物行動学」という分野が認知されていて、動物の気持ちや行動を考えることを重視しているとか
注射は人間にとってもストレスだけれど、動物とってもストレス。少しでもストレスが緩和できるように丁寧に向き合っている。医学の世界でも、最近は「動物行動学」という分野が認知されていて、動物の気持ちや行動を考えることを重視しているとか

とはいえ、動物たちは言葉を話すことができません。気持ちや症状をくみ取るのはとても繊細で難しいため、飼い主さんとのコミュニケーションも大切にしているそうです。

「ペットの代弁をするのは飼い主さんなんです。症状を聞くとただ“何かおかしいんです”の一言で包括されやすいんですが、その一言からどんな症状があるのか、どんな変化があったのかを引き出していくかをとても大切にしています。時間をかけて丁寧に聞き取り、動物たちの気持ちを想像しながら接することが必要です」

やり取り一つひとつについてうかがっていると、獣医さんって単に病気を治すだけではない。カウンセラーやセラピスト、あるいはコーチのようにも感じます。

治療をすることも大切だが、予防をすることはもっと大切。もちろん処方もするが、予防の基本概念についても飼い主さんに繰り返しお伝えしているそう
治療をすることも大切だが、予防をすることはもっと大切。もちろん処方もするが、予防の基本概念についても飼い主さんに繰り返しお伝えしているそう

そして、阿部さんは獣医の仕事の意義について、こう語ります。

「獣医って、一見命を救っているように見えますが、それだけが仕事ではないんです。生き物は必ず“お迎え”の道を辿ります。飼い主さんはどうしても病を治すことに強く願いを注ぐ方が多いですが、それでも“終わりがある”ということを、しっかりと伝えていかなければならないんです。そして、そもそも病気にならないようにする予防医学の知識を飼い主さんにも知ってほしいし、私が飼い主さんたちのメンターになりたい。そう思っています」

レクターとして伝える、知ってもらうこと

阿部さんは自身のことを“アニマルレクター”と名乗っています。それは、ただの病を治すドクターとしてだけではなく、レクター(教え伝えていく人)でもありたいという思いがありました。

今、阿部さんのレクターとしての活動はぐんぐんと範囲を広げていっています。「病になる前に、病のことをもっと知ってほしい」と、飼い主さんだけではなく、獣医師や医師の卵である学生への教育にも力を入れているそうです。

往診先ですっかりなつくワンちゃん。阿部さんとまるで心が通じ合っているかのよう
往診先ですっかりなつくワンちゃん。阿部さんとまるで心が通じ合っているかのよう

時には獣医学生だけではなく、現役獣医師や看護師へも講座を開催します。それは、知識のアップデートを図ってほしい、という願いがあるから。

「動物医療業界の知識は、日々刻々と変わっていっています。もちろん獣医を志す人にも知ってほしいですが、現役の人たちがさらに知識をつけて、力強く働き続けることができるというのはとても大切だと思うのです」

阿部さんにとって、動物医療の知識を伝えることは、業界のクオリティがより高くなり、働きやすい環境にするために必要だと考えているそうです。

「今、過酷で厳しい業界を志す若者が減っています。そうすると、良い診察がますます提供されなくなる。そのことに危機感を感じています。そのために、自分は何が貢献できるのだろうか?と考えていて。それならば、まずは業界全体の教育を強化したら、もっと環境が改善されていくんじゃないかな、と思うんです」

動物医療のことを常日頃、熱心に考えている阿部さん。将来のことを話しながら自然と笑みが溢れる
動物医療のことを常日頃、熱心に考えている阿部さん。将来のことを話しながら自然と笑みが溢れる

「知識を教えていると成長している人の姿が見えるのが嬉しい」と阿部さんは話します。動物に対しても、人に対してもあたたかく、背中を押したい。そんな阿部さんの思いが言葉の端々からもにじみ出ていました。

往診先のペットたちとは、できるだけふれあいの時間を確保。コミュニケーションを取ることで、診察がよりスムーズになるそう
往診先のペットたちとは、できるだけふれあいの時間を確保。コミュニケーションを取ることで、診察がよりスムーズになるそう

新たに地域へ飛び込む人のハブとなれるように

2021年に開業して、1年が経過した「いぬねこクリニック小金井」。1週間のスケジュールは、往診・3つの専門学校での講師・クリニックでの診療と大忙しです。平日は学校での授業を中心に、合間を見ながらクリニックでの診察、土日や夜間に患者さんのお宅へ往診に行くフレキシブルな働き方をしています。

開業当初は仕事でゆかりがあっただけで、小金井の街のことをほとんど知らなかった阿部さん。それでも小金井の地に身をゆだねようと思ったのは、自然が多い豊かな環境が暮らしやすそうだなと感じたから。

「実家が長崎で、僕は島育ちだったんです。小金井には、その時に見た原生林に似た景色が点在していて、そういうところに魅力を感じました。都会にもこんな穏やかで過ごしやすい場所があるんだなと驚きましたね」

日ごろは仕事で精いっぱい。気づけば日も暮れ、また明日が来るという生活ですが、MA-TOにクリニックを構えていることで、徐々に近所の方やお店同士の交流が生まれました。

高架下のMA-TOに構えるクリニック。周辺には様々なお店たちが並ぶ
高架下のMA-TOに構えるクリニック。周辺には様々なお店たちが並ぶ

「縁もゆかりもなく知らない街。やっぱり誰かとつながりたいし、交流したいというのが本音なんです。お隣さん同士で挨拶したりなど、わずかなきっかけから、だんだんとつながりができることは嬉しいですね」

こうしたつながりたいという気持ちは、飼い主さんたちにもあるそう。阿部さんはその気持ちを尊重したいと言います。

「普段は往診がメインですが、クリニックの扉を開いているとフラッと訪れる人がけっこういらっしゃるんです。“引っ越してきたばかりでどこへ行けばいいのかわからない”と不安を抱えている人もいる。そんな人にとって、ここが交流やご近所付き合いをする人との出会いの場にもなっているみたいです」

地域になくてはならない獣医師として、アニマルレクターとして。これからも飼い主さん・動物たちと相思相愛の関係を築いていきたいそうです。

ご自身も、街へ新たに加わった市民であるからこそ、誰かとつながりたいという飼い主さんの気持ちが痛いほどわかるそう。動物へ・地域の人へ・獣医学を学ぶ人へ。知識とつながりを求める人への大切なハブ役として、これからも阿部さんの活動は花開いていくことでしょう。(永見)

プロフィール

阿部和樹 

アニマルレクタ―。鹿児島大学卒業後、首都圏の複数の動物病院で獣医師として勤務。2021年に東小金井駅近くの高架下にある創業支援施設MA-TOに、「いぬねこクリニック小金井」を開院。クリニック内での診療や、往診などをするほか、獣医師として、“治す”だけではなく“病気を減らす”ための医療や教育を広めるべく、講師・セミナーなどの活動も。

https://sites.google.com/view/inunekoclinic-koganei

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