デザイナーの江藤梢さんは、2008年、東京都西多摩郡瑞穂町でデザインを通じて農家と地域を結びつける取り組みを始めます。その活動は注目を浴び、次々と依頼が寄せられ、2016年には「地域と農のブランディングデザイン」として、株式会社コトリコを設立。現在は国内外からの依頼に奔走する江藤さんにお話を伺いました。
東京都西多摩郡瑞穂町で生まれ育った江藤梢さんは、デザインの専門学校を卒業し、デザイン会社で働き始めます。そして、造形施工会社、一般企業のデザイン部門など、複数の職場を経験しました。中でも、造形施工会社での2年間の経験は、その後の人生に大きく影響したといいます。
「デザイン会社に勤めていた時はデザインが主役だと思っていたのですが、自分が思っているよりもデザインの力って小さいのかも、と気づくことができました。企画や事業づくりをしっかりとやることでデザインが生きてくるし効果が出る。大本となる企画の重要性と、空間づくりを学べました。飲食店などの外装・内装のデザインや施工のアシスタントをしていたのですが、プロが集まれば何でも作れることに毎日刺激を受けていました」
そして、より企画の段階から携われる仕事がしたいと転職しますが、激務で体調を崩し退職。次の一般企業での経験も、起業後の今の江藤さんに生きています。
「デザイン制作と総務業を兼務していたのですが、事業会社は事業を継続するために、あらゆる地道な仕事を積み重ねていく必要がある。社会ってそうやって回っていたんだなと、デザイン会社との違いにとても驚きました。電話対応などの接客経験も今につながっています」
種をまかれたように、一つひとつの経験が江藤さんの中に吸収されていきます。
大量生産、大量消費されるデザインの仕事に次第に違和感を感じ始めた江藤さんは、ネットで仕事を探し始めます。そして目についたのが“農業”。江藤さんが27歳の時でした。
「全く違う仕事をしてみたいと思いました。その頃、小さい農業ブームが生まれていて、私もやってみたい!と思って地方で農業のアルバイトをしました。帰ってきて、瑞穂町にもたくさんの生産者さんがいることに気づいたんです」
2007年、まだデザインに強い意識を持つ農家が少なかった時代、江藤さんは一軒の生産者と出会います。瑞穂町の茶農家「東京の茶工房 西村園」 でした。西村園の収穫アルバイトに応募した江藤さんのプロフィールを見た西村さんは江藤さんにロゴマークのデザインを依頼。これが「地域と農のブランディングデザイン」という今に続く始まりでした。
「西村園さんでの仕事は驚くことばかりで。実際に農作業を経験したことで、人の手で丁寧にお茶が作られていく過程を知り、その感動を込めてロゴマークをデザインしました」
こうして生まれた、人の手の温もりを感じるデザインは西村さんの心をつかみ、江藤さんは西村園のオリジナルパッケージのデザインや商品の企画開発へと関わるようになっていきます。そして江藤さんにも「自分のやってきたデザインで瑞穂のために何かできるかもしれない」という思いが芽生え始めました。
江藤さんが手がけたプロジェクトの一つに、2008年にスタートした「東京みずほ学校」があります。瑞穂町の生産者・職人を先生に、地域に住む人を生徒に見立て、商品や商品に込められた思いなどを紹介。地元の人も知らない生産者・職人の技術やまちの歴史、伝統などの良いモノを伝えるイベントプロジェクトです。始まりにはこんな経緯がありました。
茶葉の収穫時期が終わり時間ができた江藤さんは、「地元のホームセンターで瑞穂町の生産者やお店の魅力を紹介したい!」と思い立ちます。瑞穂町の産業祭でバラを販売していた「みずほ食彩工房」の長谷川正明さんをはじめ、一軒一軒に足を運び、ぜひ紹介したいと思う方に声をかけていきました。そして、西村さんの紹介もあって15組の生産者、職人が集まりました。
「当時の農業界にはデザインやブランディングが今ほど浸透していませんでした。そこで、『想いやバックグラウンドをデザインで伝えませんか?宣伝させてください』と一軒ずつお願いして回り、一軒2、3時間くらいずつお話を聞いて一冊の冊子にまとめたり、紹介するパネルを作っていきました」
地域の生産者・職人と住む人を結びつけたイベントは、出店者にもお客さんにも大好評でした。町長や農協の職員も訪れ、それがきっかけで江藤さんは町内外のデザインを担当するようになります。
「行政の方やJA職員さんなどにいろいろ教えてもらって、瑞穂町や周辺地域の農業を学ぶことができました。『生産者』と一言で言っても一軒一軒全く違うお仕事をされているんだなと改めて感じました」
農協とつながったことで、いろいろなところから声がかかるようになります。行政や農業支援機関から依頼された販促物研修セミナーは都内全域まで広がるように。一方で、瑞穂の生産者や職人と共に、東京みずほ学校の一環として銀座でのイベント販売や高田馬場での飲食店向けの商談会などにも積極的に参加していきました。
「当時はまだマルシェという言葉も馴染みが薄く、『生産者が直接販売して魅力を伝える』というコンセプトでプロデュースされたマルシェも少なかったので、いろいろなプロジェクトから声をかけていただきました。東京みずほ学校が全てのはじまりでした。今思うと、何であのイベントを実現できたんだろう、と奇跡的に感じます。皆さんの懐が深かったのだと思います」
江藤さんは2008年に開業し、2016年に株式会社を設立しました。法人化してどんなことを感じたのでしょうか。
「使命をよりクリアにして、自分のできることや仕事としての価値をもっと尖らせたかったんです。当時は地方の仕事やブランド開発の仕事も増えていてやりがいは大きかったのですが、その反面、もっと瑞穂にデザインで貢献したいと感じるようになりました。皆さんとまた切磋琢磨できることを目標に、会社として成長するために試行錯誤していた時期でした。なので、少し後に東京みずほ学校をミニマム版で復活させて、いつもお世話になっている方々と一日限定大試食会や和菓子勉強会を開催して、地域の方々に直接触れていただけた時はとても嬉しかったです」
江藤さんは一人ひとりの歩幅に合わせて、丁寧に仕事を積み重ねてきました。依頼者の思いに寄り添った丁寧な対応と制作物は喜ばれ、そのほとんどがリピーターだといいます。今ではブランディングデザインに加え、映像制作も請け負うようになりました。
法人化してから8年、手掛ける仕事は農水省交付金を活用した「農福連携ブランドセミナー」の事業企画運営から南米生産者向けパッケージデザインコンサルティング、モンゴル養蜂家に向けたマーケティング支援など、その仕事の幅に驚かされます。
「私の視野も広がりました。農業の歴史や各国の歴史、文化や法律など以前より幅広く学ぶようになりました。人に伝えられるくらいは学んでちゃんと責任を果たしたいという想いが強くなっています」
今のデザインの仕事と、会社でデザインをしていた時の仕事では、全く違うといいます。
「今は直に想いやお話をお聞きして、あらゆる視点から質問をさせていただいた上でデザインしています。そうしないと逆にデザインできなくなってしまって(笑) お聞きした話を私がデザインという形で社会に届ける。そのためにご本人にもちょっと頑張っていただいて、その方だけの価値の言語化や分析を一緒に取り組んでいきます。すると、ご本人にとっても愛着を感じられるデザインになって、想いが乗った状態で伝えることができるようになるんですよね」
依頼者とデザイナー、と分けるのではなく、「二人三脚で共にやっていこう」という強い気持ちが伝わってきます。
「ここ数年で、農業や地域に関わるデザイナーさんも増えてきたように思います。また、生産者さん自身が自らデザインや発信をすることで売り上げや認知度が上がっている事例もよく見かけます。農業の関係人口が増えることも生産者さん自身が発信することも、とても素敵なことだと思っています」
時代の流れの中で、自分が次にできることを模索します。
「今、スマホで簡単に誰でもデザインできる時代ですよね。その中で、デザイナーの役割は一日ごとに変化しているように感じます。さらに今、農業界の法律が大きく変わっている最中なので、私たち生活者にとって農業はもっと近い存在になりそうです。現場に寄り添うからこそ、これからも新しいアプローチでお役に立つことができるデザイナーでいたいです」
職業や能力の開発について相談・助言を行う「キャリアコンサルタント」の国家資格を持つ江藤さんは、
資格を活かしてこんなことをしてみたいと話します。
「キャリアコンサルタントは企業内での活動が最も多いのですが、生産者さんやフリーランスの方にとっても、お役に立つことができるんです。『生産者さん』と一言で言ってもいろいろな方がいますよね。例えば、長谷川さんはもともと三鷹でクリーニング屋さんをやっていて、瑞穂町に来てバラを育てて今は蒟蒻を作っている。そんな長谷川さんのキャリアやこれまで蒟蒻を作ってきた想いを改めて言語化してみると、ご自身で気づかなかった価値を発見できる機会になります。その価値を今度は経営視点で捉え直してみると、蒟蒻を買いたい人、長谷川さんの元でボランティアしたい方が増えていくことにつながったり。ご本人がもともと持っている“価値“にいかに虜になってもらうか、そんなことを考えてみたい方のお手伝いができればと思っています」
地方や海外などさまざまな場所の農業を知ることで、そこで得たことを瑞穂町にも生かしたいと話します。
「瑞穂でご縁をいただいてきた皆さんと挑戦してきた経験は、私にとってかけがえのないものです。特に、数々の都市農業の難しさを乗り越えてきた生産者さんのクリエイティビティには多くの事を学び、私たちが地域にもっと虜になるヒントがあるような気がしています。私にとって都市農業は、とてもクリエイティブなパズルゲームに見えるんです。小さな農地の中でいかに品質と安全と面白みを日々担保するか、ここに生産者さんが蓄積してきた技術とオリジナリティが凝縮しているように感じています。自分の命を直接支えてくれている農と地域に対して何ができるのか、日々考えています」
創業してから16年になる江藤さん。最後に、今感じていることについてこんなお話をしてくれました。
「興味が尽きないですね。わりと飽き性なんですけど、特に農業では生産者さんごとに全く違ったクリエイティビティをお持ちなので、一軒一軒違う業種の仕事のように感じることも多いんです。知識がない頃は農業を一括りにして捉えてしまっていましたが、今はとてもそう思えません。私自身、まだまだ旅の途中だなと思います。途中がこんなに楽しいんだ、ということを皆さんが教えてくれました」
「農業はデザインよりよっぽどクリエイティブな仕事」と話すように、江藤さんのお話には、生産者へのリスペクトの思いであふれています。多数の大きなプロジェクトを手掛け、依頼は国内外から相次ぐも、その姿勢はどこまでも謙虚。そして常に新しい挑戦を続けようとする姿に、力強さを感じました。(堀内)
東京都西多摩郡瑞穂町出身。デザイン会社や造形施工会社など4つの会社を経て、農業アルバイトをきっかけに「地域と農のブランディングデザイン」の道に。2008年に開業し、2016年に株式会社コトリコ設立。現在は、ブランドデザイナー、キャリアコンサルタントとして、地域・農業を中心に、ブランディング、デザイン、研修セミナーなどを国内外で展開する。
https://www.cotoricozue.com/