寂しさを原動力にカフェを育む

2022.03.25
寂しさを原動力にカフェを育む

自分のお店を持ちたいと思うときって、一体どんなときなのでしょう。「一国一城の主になりたい」、「お客さんにおいしいご飯を振る舞いたい」……。その人が歩んだ人生によって、答えはきっと違うものになるでしょう。「自分が寂しかったから」と答えてくれたのは、武蔵小金井で「すうぷ屋 でみcafé」を営む店主のでみさんこと、嶋岡秀美さん。人とのつながり、社会とのつながりを強く意識する嶋岡さんの背景には、ご自身の過去と、これまでのしごとで感じた葛藤がありました。

孤独の中で、見つけた夢

一般企業に22年勤め、就労支援の作業所に転職。その後、地域課題をビジネスの手法で解決するコミュニティビジネスを学び、再び福祉業界へ。そして、知人の紹介でカフェ業をスタートと異例の経歴を持つ嶋岡さん。なぜ、カフェを始めることになったのでしょうか。それは学生時代に感じた“孤独”が根底にありました。

「10代の頃に、自律神経失調症と診断されました」

自律神経失調症は、ストレスなどで自律神経のバランスが崩れることにより、体や心にさまざまな不調が現れます。保健室登校が増え、友だちと離れて授業を受ける日々を「寂しかったですね」と嶋岡さんは振り返ります。そんな状況を救ったのは、当時、嶋岡さんのカウンセリングを担当した心理カウンセラーや精神科医でした。

「心理カウンセラーや精神科医の先生に、すごく良くしてもらったんです。こうやって人に寄り添えるしごとがあるんだと知りました。このとき、いつか自分も福祉のしごとがしたいって思ったんです」

人の生きる道を照らす福祉のしごとに感銘を受けた嶋岡さん。卒業後は福祉業界ではなく一般企業へ進みましたが、そこでの経験が福祉のしごとを通じて実現したい自分の姿を考えるきっかけとなりました。

「一つのプロジェクトをチームで一丸となって成功させたことで、“はたらく楽しさ”を知りました。かつて自律神経失調症を患った自分がこうして楽しくはたらけるのだから、同じように精神疾患を持ちながらも夢を実現させたい人たちを、私なら応援できるんじゃないだろうかと思ったんです」

自分の経験が、今悩んでいる人たちの力になるのではないか。かつて自分が救われたことで抱いた福祉のしごとへの憧れと、はたらく楽しさを体感した経験が“ピタッと”ハマったと嶋岡さんはいいます。そして精神保健福祉士の資格を取得し、精神疾患を抱える方の就労をサポートする作業所に転職が決まりました。

すうぷ屋 でみcaféの店長・嶋岡秀美さん。おだやかな表情で、熱い想いを語ってくれました。
すうぷ屋 でみcaféの店長・嶋岡秀美さん。おだやかな表情で、熱い想いを語ってくれました。

理想の支援のカタチを追い求めて

いざ福祉の現場に入ってみると、利用者によって悩みや求めるニーズは違うのに、一人一人に合わせた支援がしにくい現状があったとか。そんなギャップに悩んだ嶋岡さんは一度、福祉業界を離れ、コミュニティビジネスの中間支援を行うNPO職員に転職。そこで、理想の支援のカタチを見つけます。

「相談者の悩みに一対一で真摯に向き合い、どうしたらいいかを一緒に考えるんです。『一人一人に寄り添うことが、自分のやりたかった支援だ!』と思いましたね」

そして再び福祉業界に戻り、コミュニティビジネスで学んだ支援のカタチを取り入れていきます。次に入所した生活訓練事業所では、利用者一人ひとりに寄り添って自立した生活を送るための支援を行いながら、地域に根ざした福祉×アートの拠点づくりに仲間と一緒に取り組みました。

武蔵小金井のでみcafé店内の様子。オープン前には鷹の台、国分寺時代に通ってくれたお客さんだけでなく、昔からシャトー(でみcaféがあるコミュニティ施設)を知っている常連さんとも一緒になって店内の壁を塗り直したそう。
武蔵小金井のでみcafé店内の様子。オープン前には鷹の台、国分寺時代に通ってくれたお客さんだけでなく、昔からシャトー(でみcaféがあるコミュニティ施設)を知っている常連さんとも一緒になって店内の壁を塗り直したそう。

地域の人から提供してもらったガレージを改装してアート作品やハンドメイド作品を展示しようと、寝食を削る思いで取り組む日々。大掛かりなプロジェクトでやりがいを感じていたものの、無理がたたって体調を崩してしまったそうです。「就労支援をしながらギャラリーを作って、さらに様々なプログラムも担当するのはハードでしたね(笑)」と当時を振り返る嶋岡さん。「人を大切にするのも大事だけど、自分も大切にしないと」と感じ、次のステップを歩む決意をします。

「激務で自分を消耗してしまった分、今度は自分に栄養をあげようと思いました。コミュニティビジネスを学ばせてもらったから、車で全国を回ってコミュニティビジネスをしている人たちにお話を聞くのもいいかなって。辞めた当時はそう考えていました」

現在のでみcaféに設置された委託販売コーナーの一部。革小物からドライフラワー、木製の食器まで個性豊かな作品たちが並びます。<br />
現在のでみcaféに設置された委託販売コーナーの一部。革小物からドライフラワー、木製の食器まで個性豊かな作品たちが並びます。

鷹の台で運命の出会い、カフェをオープン

そんなとき、通っていた小平市の鷹の台にあるカフェで思わぬ提案を受けます。

「カフェの店長さんから『引っ越すからお店を引き継がないか?』って誘われたんです。それがでみcaféのはじまりでした」

コミュニティビシネスを学んだNPO職員時代に、人が集まる場所の重要性を知ったという嶋岡さん。これまで多くの現場で学んだことを糧に、今度は自分が人の集まれる居場所を作ろうとお店を引き継ぐことに決めました。

精神保健福祉士の資格も持つ嶋岡さんは、「障がいのある人もない人も分け隔てなく過ごせる居場所としてのカフェ」をつくりたいと思ったそう。
精神保健福祉士の資格も持つ嶋岡さんは、「障がいのある人もない人も分け隔てなく過ごせる居場所としてのカフェ」をつくりたいと思ったそう。

もともとお店で扱っていたスパイスやハーブを使用した濃厚な野菜スープの他、国産大豆のお豆腐屋さんから仕入れた新鮮なおからでつくったドーナツなど、食材からこだわったご飯や軽食を取り扱うカフェにリニューアルオープン。

また、これまでの職歴の中で大切にしていきたいと思った “音楽・アート・福祉”の3つのテーマを、カフェのテーマとして掲げました。何かを表現したいという人に店舗の一角を貸し出し、個展や落語、ライブ演奏などのイベントを開催したり、ハンドメイド作品の委託販売コーナーを設置したりと“夢を追う人たち”の活動を精力的に支援。

“夢を追う人を支えたい”という嶋岡さんの想いにたくさんの人がお店に集まり、お客さんが持ち出しで占いやマルシェイベントを開催することも多かったそう。「なんとなく、今やっていることの原型が鷹の台で生まれた」と嶋岡さんはいいます。

そして、お店の常連さんとのつながりで、国分寺に移転して「すうぷ屋 でみcafé」をオープン。国分寺でつくられた新鮮なお野菜、通称“こくベジ”を使用した季節野菜のスープをメニューに加えたり、国分寺の地域通貨“ぶんじ”の企画会議に参加したりと、より地域に根ざしたカフェに進化していきました。

国分寺時代にトレードマークとなった黄色いポストは、移転後の武蔵小金井でも変わらず店頭に。店内でもさまざまな形で姿を見せてくれます。
国分寺時代にトレードマークとなった黄色いポストは、移転後の武蔵小金井でも変わらず店頭に。店内でもさまざまな形で姿を見せてくれます。

武蔵小金井のシャトーへ

武蔵小金井のKOGANEI ART SPOTシャトー2Fにお店を移したのは、2019年の2月のこと。シャトーは地域の方の表現の場としてイベントやライブ、展示会などを数多く開催しているコミュニティ施設です。「シャトーでカフェをやってくれる人を探しているらしいよ」と友人から聞いた時、シャトーとでみcaféに親和性を感じたと嶋岡さんはいいます。

「運営団体のNPO法人アートフルアクションさんが、“地域におけるアートの可能性の追求”を掲げていらっしゃるので、でみcaféがずっとテーマにしている“音楽・アート・福祉”とも相性がいいなと思ったんです。ここなら自分が今までやってきたこともできるだろうと」

誰もが安心して過ごせる場所になるように、キッズスペースを設け、これまでカフェの看板メニューとして活躍してきたスープやおからドーナツ、敷居の低い価格帯もそのままです。

武蔵小金井にあるシャトー小金井。飲食店やNPO、東京学芸大 こども未来研究所、小金井市観光まちおこし協会などが集まっています。
武蔵小金井にあるシャトー小金井。飲食店やNPO、東京学芸大 こども未来研究所、小金井市観光まちおこし協会などが集まっています。
知り合いのツテで専門家に監修をお願いしたキッズスペース。年齢ごとの発達に合わせた玩具が並びます。カフェは親子の利用も多く、元気なこどもたちの笑い声が聞こえます。
知り合いのツテで専門家に監修をお願いしたキッズスペース。年齢ごとの発達に合わせた玩具が並びます。カフェは親子の利用も多く、元気なこどもたちの笑い声が聞こえます。

鷹の台からはじまり、国分寺、武蔵小金井と二度の移転を経験したけれど「どれもタイミングがよかった」という嶋岡さん。一人では絶対にできなかったことを、誰かと協力して一緒に形にしているときに、心が満たされ、生きる原動力が湧いてくる。「振り返れば大変なこともたくさんあったけど、カフェが自分にとっての居場所にもなったからここまで続けられたんだと思います」と語ります。

でみcaféは多くの人が集まる場になっています。
でみcaféは多くの人が集まる場になっています。

いつしか、自分にとっても大切な居場所に

嶋岡さんの周りには人が絶えません。忙しいときに店を手伝ってくれる友だちから、近所の子どもたち、以前はたらいていた作業所の利用者さんや鷹の台の時代から通ってくれている常連さんまで、“店員とお客さん以上”の関係の方がお店に集まってきます。

「よく『どうしてそんなに人が集まるの?』とか『どうしてそんなに周りの人が助けてくれるの?』って聞かれるんです。それは多分ね、私が寂しいとか辛い、苦しいって恥ずかしげもなく言えるからじゃないかって。“弱みを見せられるのが強み”なんだなと」

自分の素直な気持ちを伝えるのと同時に、周りの人たちの“SOS”を注意深く見ることも必要だと、嶋岡さんはいいます。

「周りの人が辛そうにしているときに『大丈夫?何か困ってるんじゃないの?』と声をかける大切さは、コロナ禍で痛感しました。『以前お店に来てくれたあの人、今は一体どうしてるんだろう』って思ったときに声をかけないと、取り返しのつかないことになるんだなと。カフェをやっているからこそ、人のちょっとした変化を感じられるときもあります。スープもおからドーナツも、このカフェも、私にとっては人とつながるためのツールなんだと最近は思うようになりました」

でみcaféはお客さんやお友だちが積極的に関っています。絵を書いてくれたり(松下英彦さん)、でみcaféテーマソングをつくってくれたり(作詞作曲:ハワイラテオーレ、アニメーション:tonari)。どれも、嶋岡さんにとって大切な宝物。
でみcaféはお客さんやお友だちが積極的に関っています。絵を書いてくれたり(松下英彦さん)、でみcaféテーマソングをつくってくれたり(作詞作曲:ハワイラテオーレ、アニメーション:tonari)。どれも、嶋岡さんにとって大切な宝物。

なぜ自分はカフェを営むのか。その理由を考えたとき、「寂しいから」という感情がはじめに出てきたことが忘れられなかったという嶋岡さん。寂しいという気持ちは、いつでも嶋岡さんの原動力でした。自分の根幹にある寂しさに向き合いたくさんの人と分かち合うことで、人の優しさに触れ、多くの縁に導かれていたのです。そして今、確かな人とのつながりの中に、自身の存在を感じていました。

「かつて自分が救われたから、今度は自分が誰かを救うような、恩返しがしたかったんです。そうやって人のためにと思ってやってきたことが、自分のためにもなっていたんですね」

「今後は仲のいい友だち三人組で、お店をやりたいねって話してるんです。変なおばあちゃんがカウンターに立ってる、地元の変なお店(笑)」と笑顔で未来の話をしてくれた嶋岡さん。これからも人とのあたたかなつながりの中で、ご自身のやりたいことを貫いていくのでしょう。自分の居場所を探し求めていた学生時代。そんなかつての嶋岡さんは、今のご自身を見てどう思っているのでしょう。「大丈夫。あなたの居場所はここにあるよ」。そんなメッセージを受け取っているのではないでしょうか。(すずき)

「人は誰しも大なり小なり承認欲求を持っていると思うんですが、私の場合はこうして場作りをすることで心が満たされているのではないかと思います」という、嶋岡さん。
「人は誰しも大なり小なり承認欲求を持っていると思うんですが、私の場合はこうして場作りをすることで心が満たされているのではないかと思います」という、嶋岡さん。

プロフィール

嶋岡秀美

鷹の台のカフェを前店主から引き継ぎ、2015年5月にカフェ業をスタート。同年7月に国分寺市本町へ移転したタイミングで店名を「すうぷ屋 でみcafé」に改名。ダイニングバー「SORA(そら)」を間借りして営業を始める。2019年2月に武蔵小金井のKOGANEI ART SPOTシャトー2Fに移転し現在に至る。目印は、鷹の台時代から共に歩んできた“黄色いポスト”。

すうぷ屋 でみcafé
https://demisoupcafe.wixsite.com/demicafe

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