編集者として多摩に飛び込む

2018.01.11
編集者として多摩に飛び込む

やりたいことをしたい、家族もしごとも大切にしたい。日常に追われながら、そんな風に生きられたらどんなにいいかと理想を描いている人は多いのではないでしょうか。
今回ご紹介する小崎奈央子さんは、立川を拠点に36年続く出版社・けやき出版の社長。2人の子どもを持ち、母として、女性として、そして社長として日々奮闘しています。
他の人にはできない離れ業をやってのけているように聞こえますが、そこには、ただわがままに自分の願望を追求したわけでも、環境に恵まれていたわけでもない、ひたむきな想いと決意があります。小崎さんが強い意志で叶えていく人生、そのはたらき方に迫ります。

好きなことを全部

小崎さんが“編集をしごとにしたい”と思ったのは学生のとき。就職活動も出版社一本。新卒で車雑誌を発行する会社に入ります。日付が変わるまで都心のオフィスにいてタクシーで帰り、2時間の満員電車に揺られて朝一番で出勤する毎日。今振り返れば大変なはたらき方だったといいます。
数年後、学生時代から交際していた人と結婚、第一子にも恵まれました。激務との両立はできず退職して出産と育児の日々を送りますが、専業主婦でいた期間は1年も続かなかったそう。

「周りの友達が自分のために時間を使っている20代の間、わたしは子育てしかしていませんでした。専業主婦の大変さを実感すると同時に、“物足りなさ”を感じていたんです。だから、どうかはたらかせてくれって(笑)子どもがいて時間が限られる中でも、自分の好きなことを全部やろうと思ったんです」

三大趣味である本・映画・雑貨のうち、本は出版社、映画は学生時代にアルバイトをした映画館で経験済み。そこで今度は大手雑貨店でアルバイトをはじめます。夕方になると保育園に子どもを迎えに行きながら、週4、5日を2年間。じっとはしていられない小崎さんの性格が伺えます。

学生時代、当初は図書館司書になろうと思った小崎さん。周囲から「あなたがずっと座っていられるわけないでしょ!」と反対されたそう。
学生時代、当初は図書館司書になろうと思った小崎さん。周囲から「あなたがずっと座っていられるわけないでしょ!」と反対されたそう。

そしてけやき出版へ

転機は28歳のとき。2人目の子どもが欲しかった小崎さんは、じっくり腰を据えてはたらける場所を求め、生まれ育った国立からも近い立川のけやき出版に入社します。当時は社員が10人ほど、一番年の近い上司が50代と、長くはたらいている人が多い会社でした。小崎さんにまず任されたのは、単行本やガイドブックの制作。お店などを回っては、「私は地域のことを何にも知らなかったんだ」と感じながら、編集に打ち込む日々がはじまります。

「一人でやるのが当たり前で、待っていても誰も教えてくれない。単行本を作ったことなんてなかったので、製紙会社に行って用紙を見たり、一冊作るための原価計算をしたり、“やるしかない”状況でした」

人数の少ない会社だけに、初めてのこともすべて一人でこなさなければいけない環境。不満を持ってもおかしくはありませんが、当時どんな風に思っていたのでしょうか。

「高校1年生のとき、ファストフード店で初めてアルバイトをしたのですが、その時から“お金をもらっている以上プロ”という考えでいます。どんなはたらき方だろうが、受け身の姿勢でいるのは失礼。だから、自分でしごとをつくるという姿勢でいなきゃというのは、その時も強く思っていました」

けやき出版では書籍や雑誌に加え、自費出版、多摩地域の会社等が発行するリーフレットの編集も行なっています。
けやき出版では書籍や雑誌に加え、自費出版、多摩地域の会社等が発行するリーフレットの編集も行なっています。

地域との出会い

入社して8年ほど経った頃、小崎さんは多摩エリアの季刊情報誌たまら・びの編集長に就任します。多摩信用金庫が企画し、けやき出版が編集するたまら・びは、30の市町村をめぐりながら、まちに暮らす人たちとつくる地域情報誌です。

「それまでは全く関わっていなかったのですが、突然することになったので、とても大変でした(笑)」

たまら・びでは毎号一つの地域を特集し、住民をはじめ30人前後の有志を集めて編集会議を開きます。この雑誌の編集に携わることで、世界観がガラリと変わったと小崎さんはいいます。

「本の制作というよりは、人との出会いが生まれることの方に圧倒的にびっくりしました。号を重ねるごとに関わる人がバッと増えて、急に多摩のネットワークがつながりはじめたんです」

編集長になって初めて担当した西東京特集号。「人生が変わったきっかけと言っても過言ではない」と小崎さん。当時出会った人と一緒にラジオ番組をスタートするなど、関係は現在まで続いています。
編集長になって初めて担当した西東京特集号。「人生が変わったきっかけと言っても過言ではない」と小崎さん。当時出会った人と一緒にラジオ番組をスタートするなど、関係は現在まで続いています。

けやき出版に入る前、「地域愛は正直なかった」という小崎さん。少しずつ地域を知っていく中で、感じていることがあるといいます。

「編集会議をする度に、どの地域でも同じフレーズを聞くんです。ここは“とかいなか”だねとか、自然が豊かで子育てしやすくて、でも便利だよねとか。多摩県作ったらいいんだっていう方もいたり(笑)まちに関心がある人は当たり前にコミュニティを作っていますが、他の市や隣の駅になるとまるっきりわからなくなってしまう。住んで、はたらいているだけの人たちに地域を見てもらうきっかけとして、たまら・びも使っていきたいと思っています。多摩エリアがもっと深く仲良くなって、自分のまちを好きな人が増えたら面白いなと」

西東京市で開催された、やおよろずのさんぽ市にけやき出版として参加。読者と直接話せる機会をつくっています。
西東京市で開催された、やおよろずのさんぽ市にけやき出版として参加。読者と直接話せる機会をつくっています。

地域情報誌の編集長になることで、多摩エリアの中に飛び込んだ小崎さん。楽しみながらバリバリとはたらきますが、けやき出版の中では一社員、それも、30代の女性で子育て中。そんな小崎さんが一体なぜ、歴史ある出版社を継ぐことになったのでしょうか。第二話では、普段は取材をする側の小崎さんがあまり語ることのなかった、社長就任までのいきさつをお聞きします。(國廣)

連載一覧

出版社の後継者になった二児の母

#1 編集者として多摩に飛び込む

#2 創業36年の会社を継ぐ決意

#3 逆風を乗り越え新しい道へ

プロフィール

小崎奈央子

1978年東京都国立市生まれ、国立育ち。立川のけやき出版にて書籍編集者、地域情報誌たまら・び編集長を経て2015年に4代目代表取締役社長に就任。経営と編集長を兼務しながら多摩エリアの情報発信を行う。
http://keyaki-s.co.jp

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