動き出した探究型の塾構想

2019.04.05
動き出した探究型の塾構想

子ども自ら課題を探し、探究することを目的とした新しいスタイルの塾であるベースクールがこの春、本格的に始動しました。これは、国立駅近くのシェアスペース・くにきたべーすにて、2018年5月から始まった探究型の塾で、従来のテストや受験に対策するのためのものとは大きく異なります。主宰者のひとりである幡野雄一さんの半生から、塾の構想に至る経緯を伺いました。

探究型の塾、ベースクール

「親はどうして話が長いんだろう」「水の中で息ができないのはなぜ」など、疑問に思ったこと、不思議に感じることからテーマを選び、子ども自身が探究する。それがベースクールの基本的スタイルです。一般的な学校や塾は、与えられた課題を理解させ、“わかる”ことを大切にしますが、ここでは広く深く考えることによって“わからなくなる”ことを大切にします。

「わかったつもりになるとそれ以上考えなくなります。わからないからこそいいんです」と語る幡野さん。子ども自ら課題を見つける、といってもすぐに見つけられないのは普通のこと。そんなとき提案はしてもやらせることはしません。子どもが自発的に動くまで注意深く見守り、子どもの主体性を尊重しつつサポートしていきます。そうして、子どもが自分で選んだテーマに集中して取り組み探究した結果、大人がびっくりするような力を見せてくれるといいます。

ベースクールのコンセプトには、「子どものときからもっといろんな生き方の大人と出会ってほしい」という思いもあります。「そうすれば、興味も、考え方も、はたらき方も、どんどん広がって、子どもの可能性を広げることにつながる」と幡野さんは考えます。自発的に考える場所であり、大人と子どもが出会う場所でもある。“学び”をとても広くとらえた塾なのです。

自分から問題をみつけて、解決方法を考えます
自分から問題をみつけて、解決方法を考えます

生き方について考え続けた

長年塾の構想をあたためてきたという幡野さんは、いわゆる就職をしたことはなく、一時は「ヒモだった」という経歴の持ち主。「今まで、はたらくなんていうほどしっかりはたらいたことはないです。僕の話はまったく参考にならない」と笑います。

国分寺で生まれ、何に関しても「やりたいならやってみたら」というスタンスの両親のもとに育った幡野さん。なぜか中学生の頃から“人間とは何か” “いかに生きていくべきか” など、生き方について考えるようになりました。

高校卒業後は就職も進学もせず、自分がそのときやりたいと思うことをやってきました。まわりの友人たちが大学へ入ったり卒業して就職したりしたときも、不安や焦りはなく常に“生き方”について考え続けた幡野さん。ホームレスに憧れヒッチハイクで大阪まで行き、そのまま四国お遍路の旅に出るなど、その時々の自らの意志にしたがって行動していました。

19歳、ヒッチハイクで大阪へ
19歳、ヒッチハイクで大阪へ

大学へ入り、学問に没頭する

「僕がよく考えていたのは、自分が自分として存在しているのかどうか、それはどういうことのなのか、ということ」そんなとき禅の本を読んだことがきっかけで、「自分が今まで持っていた視点とは違う角度から生き方を提示しているように感じた」という仏教を、もっと深く学びたいと思うようになります。

一念発起し、23歳で曹洞宗を起源とする駒澤大学の仏教学部禅学科に入学。勉強嫌いだった高校時代までと打って変わって学問に没頭します。「自分の興味ある分野を探究することの素晴らしさ、楽しさを初めて知りました」。学ぶよろこびを実感し、卒業時には総代をつとめるほど熱心に取り組みました。

子どもには何かをやらせるのではなく、自発的に動くのを待ちます
子どもには何かをやらせるのではなく、自発的に動くのを待ちます

哲学対話をはじめる

大学在学中に偶然に出会ったのが、フランスのある幼稚園で3歳からの2年間哲学の授業を設けるという、世界的に見ても画期的な取り組みを記録したドキュメンタリー映画『小さな哲学者たち』。「幼い子どもたちが、“愛ってなに”などの普遍的な問いについてしっかりと考え表現している。衝撃的でした」

自分も子どもと哲学対話をしてみたい、と思うようになり、NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダの講座を受講します。その後、狛江の学習塾、寺子屋一心舎を飛び込みで訪問。哲学対話の構想を持ちかけるとすぐに話が進み、授業を持つようになりました。

この頃は、子どもたちが楽しめるようにプログラムをしっかりと設計し、授業を行っていました。あるときから子どもたちに、「先生、きょうは何するの?」と聞かれることに違和感を覚えはじめます。

「これだと、子どもたちは与えられた課題によって考えさせられているだけで、自ら問題を発見したり、主体的に考える姿勢は身につかないのではないか。自分が子どもたちの主体性を阻害してしまった、という罪悪感がありました」

このことをきっかけにスタイルを変え、子どもたちが行きたい方向に進ませてあげることを第一に心がけるようになったそう。

幡野さんが思い描くのは、子どもたちが自分で考える場。自分がここにいて、どうありたいのか、何をしたいのかを自分で考える。そんな塾を生まれ育った国分寺で開きたい、と考えるようになりました。

同じころ大学時代から6年間続いていたヒモ生活が終わりを迎え、2016年に実家に戻り、「ヒモからスネかじりになった」と言う幡野さん。国分寺で活動の場を広げるべく、ワークショップなどさまざまな企画に参加するようになります。

はたけんぼでのワークショップのようす
はたけんぼでのワークショップのようす

地域でのつながりから活動がひろがる

そして、活動が広がる大きなきっかけとして、小坂昌代さんとの出会いがありました。国分寺にて地域でおとなと子どもが交わる場をつくる、まちのおやこテーブルが主催した講座に参加し、そこで運営をしていた小坂さんに出会います。小坂さんが哲学対話に興味を持っていたこともあり、まちのおやこテーブルで哲学対話をやることに。小坂さんはその後も、幡野さんの活動を支えてくれています。

他にも、住まないシェアハウス・国立五天や、つくし文具店の小さなデザイン教室のメンバーになったり、国分寺周辺で人とのつながりが増えていきます。さらに、小金井のシェアする教室・CO-舎や、国分寺の胡桃堂喫茶店など、様々なところで哲学対話を行うようになりました。

軽トラを改造した、走る小屋とテーブル・ポイトラの運営に携わりながら、大人向けの哲学対話を開いています
軽トラを改造した、走る小屋とテーブル・ポイトラの運営に携わりながら、大人向けの哲学対話を開いています

長年あたためていた塾の構想が動き出す

そして、2018年。とある会合の場で、くにきたべーすを運営する“うぉーりー”こと佐藤和之さんと、明星大学教授でデザインディレクターの萩原修さんの3人で意気投合。一晩のうちにベースクールの構想が出来上がりました。数ヶ月でくにきたべーすを会場にベースクールのプレ授業を開始するまでに。年が明け、今年2月にはクラウドファンディングで支援を得ることにも成功し、この春から本格始動させるに至ります。

3人で運営するうえでお互いの思いを共有するとき、Facebookのグループで険悪な雰囲気になったりすることもありますが、「僕とうぉーりーがバチバチやりあってると、修さんが顔合せて打ち合わせしようと提案してくれたり」と、3人でバランスを取りながら取り組んでいます。家が近所なのですぐ集まれることも良好な関係づくりに役立っていたりと、すごくいい3人が集まったなと実感しているそうです。

「以前は塾をひとりでやろうと思っていたけど、今はひとりでは絶対に出来なかったと思う」と話すとおり、資金のことや長期計画、広報など、それぞれ得意なことをお互いに補い合う関係が出来ています。
「修さんは大学教授だし、うぉーりーも一橋大卒なので、塾を運営する側の経歴としては十分。多様性を大事にする場としては、僕は元ヒモくらいでちょうどいい」と語る通り、絶妙な3人組かもしれません。

ベースクールを主宰する3人。左が萩原修さん、右が佐藤和之さん
ベースクールを主宰する3人。左が萩原修さん、右が佐藤和之さん

哲学対話が自然に生まれるようなまちにしたい

「ベースクールは、自分が欲しいと思う場を作っているだけ」と語る幡野さん。塾という場だけではなく、誰でも自分らしくいられるまちや地域を作りたいという思いを持っています。

「僕らがこんな塾をやらなくても良い社会になることが一番いいんです。哲学対話も、限定された場所だけではなく、街中のベンチで自然と対話が生まれたり、地域でそういう文化が広がっていけばいいなと思います」

生まれ育った地で、社会の枠にはまらず、けれども社会のことをしっかりと考えながら、幡野さんはこれからも正解のない課題を考え続けていくのでしょう。(安田)

プロフィール

幡野雄一

1987年国分寺市生まれ。バーテンダーや職人の弟子入り、ホームレス体験からお遍路めぐりなどを経て仏教に興味を持ち、23歳で駒澤大学仏教学部に入学。在学中から哲学対話をはじめ、卒業後は学校や塾、地域などで実践するようになる。長年あたためていた塾の構想を2018年にベースクールとして立ち上げた。野球と自転車をこよなく愛する。
http://baseschool.net/

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