店舗を持たない自転車ビジネス

2020.01.23
店舗を持たない自転車ビジネス

自転車出張修理の専門店、古田輪業を2014年に開業した古田裕介さん。店舗をもたず、在庫もほとんど持たずに車一台ではじめた個人事業は6年目の現在、軌道にのり安定しています。出張修理のニーズは確実にありそうですが、古田さんは事業の拡大を目指さず、独自のペースを貫いています。

出張修理専門というスタイル

古田輪業の出張エリアは、小金井市全域のほか武蔵野市、三鷹市、小平市、府中市、東久留米市、国分寺市、調布市、西東京市、国立市の各一部。小金井市にある自宅から車で20分程度を目安としています。営業は平日の9時から19時まで。当日の受付は18時で終了、土日祝日は完全休業しています。パンク修理の代金は1000円と、一般的な自転車屋と同程度。出張料金は取りません。これでビジネスを成り立たせています。

古田さんによると、一般的に小規模なまちの自転車店では原価率の高い自転車を販売して利益を上げることがとても厳しいそう。その点、必要なだけ仕入れた部品を持ってお客さんのところへ自ら出向いていく出張スタイルでは、余分な在庫をかかえることはありません。仕入れた部品のほとんどが1ヶ月以内に現金化でき、支払いは数週間後。キャッシュフローがいいので固定費の支払いや在庫に悩まされることがないため、「実店舗を持つよりずっと気が楽」なんだそうです。

キリっと引き締まった表情の中に挟む古田さんの笑顔が、安心感を与えてくれます
キリっと引き締まった表情の中に挟む古田さんの笑顔が、安心感を与えてくれます

クリエイティブなしごとがしたい

学生時代から、サラリーマンには向いていないと感じていたという古田さん。漠然とクリエイティブなしごとにつきたいと、高校卒業後は日本映画学校へ進学します。卒業後はテレビの番組制作会社に就職し、公共放送の情報番組の音響効果担当としてはたらいていました。

本格的に自転車にハマったのはこの頃。ロードバイクで毎日職場まで往復約40kmを走り、休日には1日200km以上、月にすると軽く1000km以上走るほどでした。

しかし朝から夜遅くまで局につめて、上司に従いながらしごとをこなす毎日に「全然クリエイティブじゃない」と疑問を抱き、3年で退職。友人2人とマーケティングの会社を起業します。試行錯誤しながら事業を軌道に乗せたこのときの体験が、古田さんにとってのクリエイティブに結びつきました。

「0から1にするのが面白いなと。何もなかったところからしごとをつくり、そこに人やお金が集まってくる。会社で映像制作するよりこっちの方がずっとクリエイティブだと感じたんです」

事業は順調だったものの、その後は金銭トラブルなどもあり会社を閉めることに。運営したのは3年間ほどでしたが、立ち上げから何でも自分たちで取り組み、ホームページ制作などのスキルを得たことは今に生きています。

素早く的確な作業で定評がある古田輪業。お客さんはリピーターも多いそうです
素早く的確な作業で定評がある古田輪業。お客さんはリピーターも多いそうです

自転車問屋での経験と、はたらき方の模索

無職になり、特に大きな目的もなく気ままに過ごしていた古田さん。世田谷の実家近くにあったむかしなじみの自転車屋に出入りして修理を手伝ううちに、自転車部品問屋の社長と知り合います。ちょうど社員が辞めて人材を探していたとのことでトントン拍子に話が進み、その問屋に就職することに。つきあっていた現在の妻である彼女に「いい加減にはたらけ」と言われ、そろそろはたらこうかと思っていたタイミングでした。こうして、まちの自転車屋さんとして販売や修理をし小売店向けに部品の販売もしている会社で経験をつむことになります。

「自転車修理という自分のスキルを提供して、お客さんに“ありがとう”と感謝され、お金がもらえる。なんてシンプルなんだろう、と」
サラリーマンには向いていない性分ながら、好きな自転車を触りながら、お客さんと直に接することが出来る環境は性に合っていたそうです。自転車整備のスキルはこの会社ではたらきながら習得しました。

自転車問屋に勤務して2年ほど経った頃、彼女が勤務先を退職し独立。自宅を兼ねて一軒家を借り、未就学児を対象とした英語と音楽のプレスクールを立ち上げました。彼女と結婚しプレスクールの運営に関わりはじめ、自転車問屋での勤務との両立が難しくなってきた古田さんは、会社を辞めて両立できるはたらき方を模索しはじめます。

古田さんのはたらきに対する考え方には、アメリカ人である妻のスタンスが大きく影響しています。夜遅くまではたらいて、プライベートな時間がないという生活は、彼女にはまったく理解されません。そんなパートナーに合わせるうちに、古田さんのはたらき方に対する感覚も自然に変わっていったそうです
古田さんのはたらきに対する考え方には、アメリカ人である妻のスタンスが大きく影響しています。夜遅くまではたらいて、プライベートな時間がないという生活は、彼女にはまったく理解されません。そんなパートナーに合わせるうちに、古田さんのはたらき方に対する感覚も自然に変わっていったそうです

自分の出来ることをしごとに

自宅での事業に関わりながら自分で稼げるしごとって何だろう、と考えたときに、思いついたのが自転車の出張修理専門店でした。問屋での経験から、修理にかかる手間や時間、部品の原価を把握していたこと、必要な部品は都度問屋から調達すれば店舗を持たずに固定費を抑えられると考え、起業することを決意します。

「府中にある問屋に部品の在庫を持っているという感覚で、必要なものをその都度調達してお客さんのところへ行く。移動する時間を考えても店舗を構えて待っているより、はるかに効率がいいんです」

こうして3年ほど勤めた問屋を退職し、2014年に「古田輪業」を開業します。設備投資は車一台。工具や部品を搭載し、自転車を乗せられる仕様の営業カーは、自分の手で塗装を施しました。マーケティング会社時代に会得したスキルでホームページを立ち上げ、宣伝を始めました。

「最初の1年はまったくダメでしたね。チラシを作ってポスティングしたりもしましたがまったく効果ありませんでした。2年目からぼちぼちと良くなってきて、3年目からは軌道に乗りました。」

宣伝はほぼホームページのみ。簡素な作りながら、情報をしっかりと掲載し、必要な人にきちんと届くものになっています。利用した人からの口コミも大きな宣伝。そのためにはまず利用してもらい、信用してもらうことが一番大事だと、古田さんは語ります。

しかも、「本当はパンク修理は無料でもいい」と言うのでおどろきます。出張にかかる時間や燃料代を考えれば、赤字ではないのでしょうか。

取材中も、自転車修理の依頼の電話が。丁寧な古田さんの対応も古田輪業の魅力のひとつです
取材中も、自転車修理の依頼の電話が。丁寧な古田さんの対応も古田輪業の魅力のひとつです

拡大していくことに興味がない

「パンク修理で儲けようと考えてなくて、1000円払って広告しているんです」

困っているときに電話したら来てくれて、自転車を直してもらって助かった、という体験は、周囲の人に話したり、またお願いしようという信頼につながります。出張代金を含め2000円以上にしたいところを半額以下の1000円にして利用のハードルを下げ、口コミにつなげるという宣伝効果を狙ってのこと。パンク修理の依頼の中には、実際にみてみるとパッチ修理だけでは対応できないほど傷んでいる場合が多く、その場合チューブ交換などの修理が必要になるため、結果的に売上として成立しているそうです。

また、土日を完全休業にするというスタイルは、妻の希望に合わせて設定したもの。当初は土日の問合せの電話にも対応していましたが、土曜日に受注を受けても対応できるのは最短で月曜日。その説明をする心苦しさから電話対応もやめ、完全にクローズしているおかげで、プライベートの時間をしっかり持つことが出来ています。

「もっと儲けようと思えばしっかり稼ぐことも出来ますけど、基本はたらきたくないので…。このしごともはたらいている、という感覚よりも、困っている人を助けるという感覚が近いです」

自分がもっているスキルを提供することでお客さんから感謝され、お金をもらって生活できている。自分の価値と社会のニーズが分かりやすく、自分には合っていると話します。

「0を1にするのが面白くて、2とか3にすることに興味はないんです。いまも続けているのは、依頼が来るので行く、という状況をつくっているから。単純に必要とされるのはうれしいですし」

クレジットカードやpaypayなど電子決裁にも対応しています
クレジットカードやpaypayなど電子決裁にも対応しています
車に積んだキャビネットには、工具や細かい部品などが入っています
車に積んだキャビネットには、工具や細かい部品などが入っています

何のためのはたらくのか

個人のお客さんだけでなく、シェアサイクルや、大学や企業などが所有する自転車の保全・整備など、法人からの仕事も増えているそうです。出張修理のニーズはこれからの自転車ビジネスとして需要の高まりが予想されますが、古田さんは事業を拡大する方向には考えていません。

いまは「がんばって休んでいる」という古田さん。夏期や冬期には長めに休業し、現在の営業日数は年間200〜220日ほど。土日を完全休業としてから、時間に対するパフォーマンスは逆に上がっているそうです。自転車出張修理がビジネスモデルとなり得ることを古田さんが証明しています。

「自分にも出来そうだと思ったらどんどん始めればいいと思う。稼働時間を増やせばもっと稼げると思いますよ」と話す古田さん。その結果、同業者が増えて飽和状態になったら…?と質問してみると、「そしたら、やめて何か違うことを始めます」とのこと。自分の力でしごとを生み出し、生きて行くことが出来るという余裕を感じます。

「自分はいま、はたらいているという感覚がない。だから例えば宝くじで大金が当たって生活のためにはたらく必要がなくなっても、自転車修理は続けていくんじゃないかな」

プライベートな時間を確保しながら、自分のスキルを使って工夫しながら無理せず生活を成り立たせていく。シンプルで迷いのない古田さんのはたらき方には、たくさんのヒントが隠れているように思います。(安田)

3年後に同じしごとを続けているかはわからないという、ベンチャースピリットたっぷりの古田さん。古田輪業としてyoutubeの配信を始めるなど新しいことに取り組んでいます。
3年後に同じしごとを続けているかはわからないという、ベンチャースピリットたっぷりの古田さん。古田輪業としてyoutubeの配信を始めるなど新しいことに取り組んでいます。

プロフィール

古田裕介

1982年東京都世田谷区生まれ。日本映画学校(現在の日本映画大学)を卒業後、テレビ番組制作会社やマーケティング会社を経て、自転車問屋に就職。2014年に自転車出張修理専門店「古田輪業」として独立。自宅を拠点にアメリカ人の妻とともに、未就学児向けの英語と音楽の教室「pitterpatter preschool」の共同代表もつとめている。

http://古田輪業.com

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