今回酒場で語らうのは熊井晃史さん。前職は子どもたち向けのワークショップを企画運営するNPO。創業初期から関わり、プロデューサー・クリエイティブディレクターとして“教育”をテーマに最前線を走って来られました。一昨年前に独立し、新しい自分のページを刻む熊井さんにお話を伺ってみました。
北池
熊井さんってSNSとかで一切情報発信されていないので、日々何をやってらっしゃるのかよくわからないんですよ、ってイキナリでスミマセン(笑)全国津々浦々お忙しそうですよね。
熊井
そうなんですよ、やっぱり見た目も含めて、怪しいですよね(笑)最近だと、動物園とチルドレンミュージアムがある施設の夜の時間の活用方法を考えたり、まちづくりの一環として商業施設でのイベントやブランディングのあり方を考えたり、はたまた小学生向けの放課後施設をつくる事業の立ち上げに関わったりしています。それに、とある自治体の認知症対策に関わるプロジェクトの企画も進めていたりしています。だいぶ幅広いですよね。あと、ここ小金井市では、北池さんにもお世話になって、学芸大学の先生方とのトークシリーズを進めていますよね。
北池
職種をあえてつけようとすると、プランナーでしょうか?
熊井
なんでしょうね。自分のやっているしごとって、たぶん明確な名前がついてないような気もしています。いろんな専門家の方や当時者の方々などに囲まれながら、コンセプトを考えて、それを実際の体験に落とし込むという意味では、編集者に近いしごとなのかも。
北池
そういうしごとって、どんな風に依頼されるんですか?ガツガツ営業している感もないですし。
熊井
目の前のことを一生懸命やっています(笑)本当にそれに尽きるんですよね。プロジェクトが発展していけば、また別のしごとが生まれたりしますし、クライアントと向き合っていくことで、新しいニーズがみつかっていったりもしていくことが多いです。
北池
なるほど。とことん、お客様に寄り添うと。
熊井
ただ逆に相手を気にしすぎるのも問題ですよね。一人称の考えがなくて、相手に合わせている。それって実は自分が傷つきたくないだけで、結局、自分のことしか見られていないのだと思う。なので、一人称、二人称、三人称を行ったり来たりするという感じですかね。
北池
ほう…。相手を見つつ、自分の考えを出す。
熊井
ですね。言うは易しですけどね。
北池
熊井さんにお会いしたのは2年位前ですかね。ずっと思っていたんですけど、熊井さんって、抽象度の高い話が好きというか得意ですよね。「あっちの方が面白そうだから行こうよ!」っていう。でも、その行き方は自分で考えてって。
熊井
そう。好き(笑)
北池
それができる人って、すごいと思っているんです。いろんな会社の人と話をしていると、あっち行きましょう、って言える人が全体的に少ないのかなって。もちろん創業者や経営者はそれを語り続けなきゃいけないのだけど、これまで会社員をやっていた人が急にビジョンを語れるものでもないように思う。
熊井
確かにそうなのかも。
北池
NPO時代は組織のまとめ役もしていらっしゃったんですよね。創業者がビジョンを語り、熊井さんはそれを遂行するためにチームをマネジメントする立場だったと思うんですけど。
熊井
NPO時代は、大世帯の組織でしたので、メンバーがどうしたらモチベーションを高めたり、組織全体として良いしごとができるか、もちろん抽象度が高いことだけでなく、具体的なことも頑張っていたはずですよ!
北池
ちゃんとマネジメントもできるけど、今はビジョンを語る役割を意識してやっている。自分のポジションによって使い分けているのかなって。それって、例えば複業しようと思っている人たちにすごく大事なんじゃないかなと思ってます。
熊井
なるほど。自分では客観視できてなかったけど、そうなのかも。プロジェクトごとに、どういう立ち居振る舞いをすべきかは結構気にしています。
北池
熊井さんが、前職のNPOに入ったのはどんな経緯ですか?
熊井
大学では、哲学と前衛芸術を学んでいました。あとは、音楽をやったり、写真をやったり。就職活動を全然してなくて、行きたい企業探せなかったし、でもお金も必要だしで、三鷹の貸しビデオ屋さんとか、博物館の展示を作るバイトをしていたり。「公務員は安定していていいぞ〜」って言われたりもしましたが、若気の至りで、安定が欲しいんじゃないんだよなあと(笑)
熊井
当時はちょうどNPO法ができたあとで、世の中的にNPOブームでもあったんです。それに今みたいに “ワークショップ”というものが世間に浸透してなくて、僕自身もワークショップのワの字も知らなかった。でも、先に友人がはたらいていて、誘われるがままに参加させていただいたことで、たまたまそんな世界があることを知って、その可能性をすごく感じたんです。それと同時にワークショップでメシを食える人を増やしたいとも思いました。
北池
なんでそう思うようになったのですか?
熊井
ワークショップって、何が起こるか分からなさのワクワクもあるし、“教育”というものを、学校や先生だけでなく、いろんな人や場所で起こしていけるということにもワクワクしました。ただ一方で、当時のワークショップは、企業の社会貢献活動とかボランティアとしてされていることが多くて、市場としては成立してなかった。色んなクリエイターが一生懸命考えてワークショップを作るけど、何か明確なモノができるわけではないので、その権利の扱いも曖昧です。やっぱり生計が立てられる人がいない分野というのは、発展性がないですよね。
北池
価値が正当に評価されていなかったんですね。
熊井
あと、ワークショップの参加費相場も、無料とか原材料費のみとかが当たり前だった。そんな状態で「よし3000円じゃい!」って値付けしたら、「ワークショップでお金をとるとはどういうことだ!」と業界関係者から怒られたこともありましたね。大概、その人はまあお金に困っていない立場にいたりするんですがね。
北池
その頃から考えると、時代は変わりました?
熊井
変わりましたねー。だって、プログラミングスクールとか、探求型の塾が注目されて、ビジネスとして成り立ってますもんね。それに、今、文部科学省が提唱している“主体的・対話的で深い学び”というのは、まさにワークショップのプレイヤーたちがずっと考えてきたところですよ。教育や子どもに関心を持つクリエイターも、最近すごく増えた気がします。
北池
なるほど。偏差値の高い大学に行って、大企業に行くことが成功だった時代から、教育に対するニーズも変わってきたのでしょうね。そんな中、ワークショップ市場も成立しだした。
熊井
そうだと思います。一方で、ワークショップというのは、良くも悪くも定義が曖昧ですから、その中にもいろいろ方向性はあるものです。中でも、あらかじめ正解や答えを用意しておくようなスタイルには、限界も感じていました。試行錯誤や失敗をする余白がないというか。
北池
ワークショップも万能ではない。
熊井
とかなんとか、偉そうなことを言っていますが、この前、自分の子どもや近所の子どもたちにワークショップをやってみたら、すごい疲れましたね。息子に対して寛容な気持ちになれない(笑)
北池
自分の子どもって難しいですよね。僕も子どもに水泳を教えようと思っても、全然言うこと聞かなかった。でも、最近スイミングスクールに通いだしたら、周りに自分より上手い人がいるのが刺激になったみたいで、急に「教えて」って。
熊井
ほんと、親だと距離が近すぎるんですかね(笑)ワークショップが社会に求められてきたのって、近所の一緒に遊んでくれるお兄さんやお姉さんとか、挨拶を交わせる商店街のおじさんやおばさんとか、まちから無くなったものの代替になっているような感覚もありました。地域やコミュニティの力というものですかね。
熊井
地域という意味では、僕ね、“郊外の逆襲、立ち上がれベッドタウン”というフレーズが頭にずっと浮かんでいて。
北池
なんの話ですか?(笑)
熊井
いや、郊外でいかに経済圏を起こすかという話なんですけどね。発注側の心構え次第だと思うんですよ。例えば、行政だってしごとを地元のクリエイターに発注すればいいと思うし。いきなり大きな企業を誘致しよう、とかではなく、地元の面白い人を血眼になって探すという覚悟。地元で何かしたいというクリエイターやデザイナーも多いはずですよね?
北池
それが郊外の逆襲なんすね(笑)まあでも、地域の捉え方を変えていく必要はあるのかもしれないですね。
熊井
僕はこのリンジンのコンセプトである“そばではたらく”って、かなり本質だと思っているんです。今までの私たちは“そば”であることを軽んじすぎていたんじゃないかな。
北池
そうかも。一人ひとりが自分の“そば”をもっと大事にしていくことがこれから必要なのかもしれないですね。
熊井
アメリカって、やたら家の壁を自分たちで塗るらしいんです。愛着とかアイデンティティをどう持てるか、コモンをどう作るかということが気になっていて。都市生活に置いて水田における水を擬似的にどう作るか、みたいな。
北池
確かに、生産緑地だったところが相続か何かで、緑がバッサバッサに切られて、急に建売住宅に変わる。ああコモンだったんだなと気づくことがよくあります。
熊井
まちの自然って、市民が当事者として酸いも甘いも一緒にやっていくことが必要だと思うんです。僕は生まれも育ちもこの辺なので、野川がまだ生活排水で汚かった頃から知っていて。川の再生はまちの再生って、本当にそうだなあと感じています。
北池
自然って、シビックプライドにつながりやすい、わかりやすいテーマですね。
熊井
その上で、遠くに観光しに行くよりもいかに“そば”を遊びこなせるかが大事だなと。遠くで遊んでいるうちに、気づいたら足元の地元が空洞化してる、なんて避けたいですよね。今考えているのは、地元を遊び尽くしたり、暮らしこなしたりするためのツアーガイドやローカルモビリティーサービスとかできるといいなあと企んでいます。
北池
いいですね!一緒にビジネスつくりましょう。
北池
熊井さんは、丸田ストアーの2階を拠点に、子どもたちの居場所として運営されているんですよね。武蔵小金井の駅からも結構離れた場所ですけど。
熊井
いやー、もう仲間たちと一緒にノリで借りちゃいましたよ(笑)元は住宅だったので、壁を壊すところから自分たちでDIYです。本当に、なんの目処もないままにはじめていますね。
北池
やってみてどうですか?
熊井
これまでずっとやってきたワークショップとかイベントという非日常ではなく、もっと日常の暮らしに近いところで、何かしたかったんです。毎週木曜日は、子どもたちの居場所として開放しているんですけど、子どももお母さんもすごく集まってくれる。子どもたちが勝手に入ってきて、たまに掃除してくれたり。
北池
この場所を拠点に熊井さんがこの先、何をされていくのか、すごく興味があります。
熊井
今、子どもたちもそうですが、高齢者の方々がまちでどうくらしていくのか、とか、街でのライフスタイルにとても興味があります。コミュニティカフェとかも結構たくさん見学に行っていて。“コミュニティ”って言葉がストレートについていることの居心地の悪さも感じるんですけど、家族で閉ざさない住宅の在り方とかも“懐かしい未来”というか、昔あったものと同じだと思っています。
北池
懐かしい未来っていいですね。確かにコミュニティカフェがどういう定義なのかはわかりませんが、昔の喫茶店ってコミュニティなカフェだったと思う。
熊井
コミュニティカフェって、人はコミュニティを求めてやってきて、カフェを体験して帰っていく。僕は、入口と出口の距離感の問題だと思っています。
北池
入口と出口の距離感?
熊井
例えば、丸田ストアーの1階に野菜を買いにきたけど、気がついたら2階で大根片手にワークショップに参加していた、みたいな。入口と出口が違っていて、“1+1=田”みたいな変数があることって、“教育”においてとても重要だと思うんです。で、それができるのが、本来のまちのあり方なんじゃないかなと考えています。
北池
そうですよね。コミュニティってお客さんに感じてもらえればいいわけで、自分たちでわざわざ表現する言葉じゃない。
熊井
そうなんですよね。住宅街の1階に日常使いのお店が集まっている丸田ストアーは、高齢者の方々や子どもたちも含めた暮らしの場としてすごく馴染みやすい場所なんです。
北池
入口はわかりやすくしないと人が来てくれないというのもありますよね。そういう役割でいうと、この2階は丸田ストアーの変換装置なんですね。
熊井
そう。変数とか乱数担当です。この間はギャラリーとして、作家さんの作品の展示販売をしていましたが、生活の中にそういうわからなさがあるのは、素敵ですよね。あ、でも、この話を丸田ストアーのメンバーの方々に話したことなかったなあ(笑)とはいえ、2階だけでなく、多分丸田ストアー全体が、街の変換装置なんだと思います。1階の方々は本当に素敵な先輩方で、昔バックパッカーだったんだろうなと勝手に想像していますが、かかっている音楽もワールドワイド。いつも、居心地のよさもありながら、遠くへ連れて行ってくれる感覚があります。
北池
熊井さんの思想がどんなふうに形になっていくのか、これから楽しみです。今日はありがとうございました!!
NPO法人CANVASプロデューサーと同時に、慶応義塾大学メディアデザイン研究科研究員、青山学大学ワークショップデザイナー育成講座講師を兼務。2017年6月より独立。NPO法人東京学芸大こども未来研究所の教育支援フェロー。子ども・街・遊びなどをキーワードに、様々なプロジェクトの企画立案・運営を務める。
丸田ストアー
http://marutastore.org/
まちのカルチャーカフェ
http://machinoculturecafe.org/
とをが
http://towoga.org/