井の頭公園のすぐそばにある洋菓子店、「パティスリー・サロン・ドゥ・テ・ゴセキ」。オーナーでパティシエの五関嗣久さんは、お菓子で体験した2度の感動をきっかけに、自身のお店を開業しました。この道40年にわたって追い求めて来たのは、本場フランスで人気の味を日本でつくり出すこと。古典菓子の研究、日々のお菓子づくりからたどり着いた、“フランス正統派”の極意とは。
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現在お店を開いているのは、土日祝日の15:00〜19:00。コロナ禍を経て、夫婦2人での営業にシフトしたそう。木曜、金曜に1人で仕込み、営業日の朝から焼きの工程へと進めます。スペシャリテは、タルトを中心とした“フランス正統派”のお菓子。具材にあわせて生地を使い分けるのがこだわりです。
「初めてフランスへ行ったのは1982年。製菓学校の卒業旅行でした。パリで食べたフランボワーズのタルトに感動して、『いつか店を開いたらこういうものをつくりたいな』と。日本でメディア受けするのは華やかなお菓子ですが、パリで愛されているものは意外とシンプル。それも、エクレアやタルトのようなしっかり焼いたものが人気です。フランスは食料自給率が高いので、とれたてのフルーツをふんだんに使ってつくる。そのスタイルを日本でも再現したいと思ったんです」
五関さんが洋菓子づくりの道を志したきっかけは、小学生時代にあります。
「洋菓子好きの祖母の家に遊びに行ったとき、『ユーハイム』のクッキーを出してくれました。駄菓子とはまったく違って、『こんな美味しいものがあるんだ!』とびっくり。あれが第1の感動ですね。両親からも、これからは手に職をつける仕事がいいよと背中を押されて、製菓学校に進みました」
2度の感動を体験した五関さんは、都内の洋菓子店で修行後、大手食品メーカーに約10年間勤務。そして、2001年に自身のお店を開業しました。
「吉祥寺は住まいからも近く、幼少期から馴染みがありました。井の頭公園をはじめ、遠方からでも人が集まって来ますし、こだわったお菓子を求める人も多いですよね」
お菓子づくりを極める中で、「本当に美味しいものはなんだろう」と考えるようになった五関さん。行き着いたのはフランスの古典でした。
「基礎とかいいものって、古典の中にあるんじゃないかなと。100年以上前のフランスの本を読んで、翻訳するわけです。中には500年前に書かれたものもあって、これはフランス語ではなくラテン語。当時を想像しながら、本をもとにお菓子を再現しています」
研究成果は、洋菓子業界の専門誌などに掲載され、日本中、さらには本国フランスでも読まれているそう。古典研究を含む五関さんの知識と技は、若いパティシエたちにも受け継がれています。
「専門学校で教鞭を取って、もう17年になります。1000人近くいる教え子たちの中には、独立してお店を構える子も増えてきました」
体力的にも精神的にも、一筋縄では進むことができない職人の世界。五関さん自身が40年経験してきたからこそ、学生たちに伝えたいことがあると言います。
「何と言っても基礎。フランスのお菓子には、材料の配分にも基礎があります。それから、技能と技術。技能は、例えば絞りの作業のように、回数を重ねて身につける技。技術は、本を読んで覚えていく技。理論的に教えて、そうした基礎を伝承していけたらと思います」
「古い言い方かもしれませんが、職人の仕事は、“どっぷり浸かる”ことが必要だと感じます。勤務時間じゃないときに、自分で勉強しないと越えられない部分がある。例えば、製菓の賞を狙ったりですね。『努力しろ』『頑張れ』だけでは通用しませんから、興味を持つ、夢中になる、惚れ込むのが一番早いと思います。感動を感じることですね。僕が心を動かされたのは“味”でした」
「お客さんにも学生にも、感動に出会ってもらえたら一番うれしい」と話す五関さん。愛しむようにつくり出されるお菓子が、今日もファンを集め続けています。
1962年生まれ。東京製菓学校を卒業後、都内洋菓子店、大手食品メーカーへの勤務を経て、2001年、井の頭公園ほど近くに「パティスリー サロン・ドゥ・テ・ゴセキ」をオープン。都内製菓学校の非常勤務講師、公益社団法人東京都洋菓子協会理事を務める。