吉祥寺駅から離れた住宅街に佇む、大正12年から続くそば屋「きそば 中清(なかせい)」。手打ちそばと地酒を取り入れ人気店にしたのが、3代目の清田治さんです。78歳になる今も、家族と一緒にそばをつくりお店を営んでいます。どんな道のりを辿ってきたのでしょう。
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末っ子で跡取り息子ではなかった治さんは、元々そば屋を継ぐつもりはなかったとか。音響関係の仕事をしようとしていたところ、家族の事情もあり、22歳で急遽3代目としてお店を継ぐことに。当時、そばづくりは未経験で叱られながら仕事をする日々。最初はやる気を持てなかったものの、結婚して一家の主となったことで意識が変わったそうです。
「昔は普通のそば屋だった」という中清は、約30年前、治さんが手打ちそば屋に変えました。
「先代の頃は普通にそばをつくれば売れたけど、どんどん景気が悪化。近所にフレンチやビストロなどの新しいお店もできて、そばは売れなくなっていきました。それに、自分がつくるそばに納得できなかった。それなりにはおいしいけど、お客さんが何度も食べに来てくれることはないし、『お宅は何がおいしいんですか?』と聞かれても答えられない。それで、ずっと機械でつくっていたそばを手打ちに変えようと。当時は東京でも手打ちはめずらしかったですね」
そして、本を読んだり、実際に手打ちそば屋を訪ねたり、1年かけて独学で技術を習得。新しいそばに合う汁も一から開発していきました。さらに、地酒で名高い石川県出身の妻のつながりで日本酒を仕入れるように。こうして“本格的な手打ちそば屋であり居酒屋”に変わった中清は、新聞やTVなどに取り上げられ、徐々にお客さんが増えたといいます。
製麺機などを使わず、すべて職人の手でつくられる手打ちそば。そば粉の状態を見極め、加水して練り、麺棒で延ばして、包丁で切って茹でて。機械より手間も時間もかかります。お客さんの待ち時間も長いですが、ここでしか味わえないおいしさに多くの人が訪れます。
「自分がどんなにおいしいと思っても、お客さんにまずいと言われたらそれまで。お客さんにおいしいと喜んでもらうのが一番大切なことじゃないですかね」
別の分野からそば屋に転身した治さんだからこそ、ユニークな視点で新しい試みを続けています。
「みんなが『右を向きましょう』と言う時、僕はわざわざ左を向く。できるかは別にして、みんなと同じじゃなくて逆はどうかって発想した方が面白いんじゃないかな。それではじめた一つが、熟成そば。そばは寝かせると汁物が劣化するという考え方もあるけど、あえて3日寝かせて熟成させました」
熟成そばは時間がかかるため1日5食の限定ですが、濃厚な味でそれを目当てに来る人も多いと言います。
武蔵野市で生まれ育ちお店を営んできた治さんは、長年、まちの移り変わりを目の当たりにしてきました。
「昔はこのまちにそば屋はいくらでもありましたが、どんどんやめていきました。つまり、そば屋は魅力がないということ。だから、僕は後を継いでもらえるだけのものを残したいと思っていました」
現在は息子である泰允さんが中清の4代目に。治さんは独自のそばの技術や酒の知識はもちろん、地域の人との結びつきも次代に繋いでいます。吉祥寺の土地柄もあり、近くに住む文化人との交流も多いとか。
「詩人や落語家、舞踏家など、いろいろな方がお店に来てくれて。来た人がまた誰かを呼び、交流が広がっていきました。それでお店で落語会やライブをやったりね。そばでも詩でも芸能でも一つの世界を突き詰めている人は共通項があるみたい」
昨年、中清は100周年を迎え、多くの人がお祝いに駆けつけました。それも、治さんの技術と熱量で新たな道を切り拓いたからこそ。老舗そば屋の新たな挑戦はこの先も続いていきます。
武蔵野市にある老舗そば屋「きそば 中清」の3代目。昭和20年生まれ。武蔵野市で生まれ育ち、昭和43年に店を継ぐ。平成7年、手打ちそばをスタート。そば業界のパイオニアとして、今も現場の第一線で活躍。
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