郊外に実るオリーブのしごと

2019.10.31
郊外に実るオリーブのしごと

トラピターラ代表の島田まり子さんは、地中海の恵みが凝縮したオリーブのおいしさに開眼し、オリーブやオリーブオイルを日本の食卓に広めることを、自分のしごとにしました。念願だった店を持つまでのプロセスは、どの段階も外すことはできなかったと語ります。

4畳に広がる南欧の片田舎の世界

パスタやアヒージョなどで、日本人にも馴染みのあるオリーブオイル。本場イタリアやスペインでは、オリーブの産地や生産者、製法の違いによって格付けもあるほどです。そしてワインのように、オイルを目利きし相性のいい食材や調理法を提案するしごとがあります。オリーブオイルのソムリエです。トラピターラ代表の島田まり子さんも、その一人です。

島田さんの店舗兼事務所を訪ねました。場所は、今年6月に小田急多摩線の黒川駅前にできた複合施設の一画、キャビンと呼ばれるシェアオフィスです。施設内にはダイナーやコンビニもあり、ランチどきには多くの人が訪れます。島田さんの自宅からも歩ける距離です。

4畳程度の店内は、オリーブオイルをはじめ選りすぐりの食材や雑貨でいっぱい。什器代わりの棚は程よく使い込まれ、壁にはイタリアの地図。ナチュラルな色調とモチーフのエプロンやクロスも並び、まるで南欧の片田舎の雰囲気です。

店内にはオイルをはじめ、島田さんがセレクトした食材がズラリ。
店内にはオイルをはじめ、島田さんがセレクトした食材がズラリ。

「オリーブオイルの違いをぜひ試して」と、島田さん。オイルがしみ込んだパン片を口に含むと、マイルドなものからピリリと辛さがきいたもの、青々とした香りが鼻の奥に広がるものと、それぞれの個性に驚かされます。

ところで島田さんは、どのようにしてオリーブオイルのソムリエというしごとに出会ったのでしょう。またどうやって今のはたらき方に行きついたのでしょう。

価値観を変えるオリーブとの出会い

百貨店勤務のお父さまと、料理好きのお母さまとの間に生まれた島田さん。台所はいつも湯気や食べ物の匂いに包まれ、デパートの地下食品街に足しげく通った子ども時代を過ごしていた島田さんにとって、食にまつわるしごとに就くのは自然な流れだったといいます。

「最初の就職は老舗の食品メーカーで、後の会社もニューヨーク発祥のデリ&グロサリー(食料雑貨)チェーンでした。店舗勤務のため、メインのしごとは接客。パンと製菓の部門にいましたが、店頭に並ぶ食材がどれも興味深くて、貪欲に情報をインプットしていました。特に社内研修で試食した、北イタリアで採れるタジャスカ種のオリーブオイルは絶品でしたね」

バケットやパン・ド・ロデヴなど、シンプルなパンのうまみを引き立て役として、オリーブオイルの存在に俄然興味を持った島田さん。それから数年後、南フランス出身の社長が営む食品の専門商社に転職したことが、人生の転機となりました。

「商談では食材の説明だけでなく、使い方やレシピの提案も行います。相手はレストランのシェフやブーランジェなど食のプロばかり。何より社長が買い付けてくるものは、どれも本当に質がよく、おいしかった。だから商材の持ち味を知り尽くしたい思いで、試食も勉強もいっぱいしました」

お店の目の前には芝生の広場が。ピクニック気分に浸れます。
お店の目の前には芝生の広場が。ピクニック気分に浸れます。

中でも島田さんの心をわしづかみにしたのが、オリーブでした。オイル漬けや塩漬けはテーブルオリーブと呼ばれ、おつまみやパンに用いるほか、現地ではサラダや煮込みなど家庭料理に欠かせないものです。

「この会社に入るまで、テーブルオリーブを特別“おいしい”と感じたことなどありませんでした。でも価値観がガラっと変わりましたね。それに自宅の料理にも取り入れてみると、家族にも好評で。実は国境を越えて老若男女に受け入れられる食材だと気づき、もっと広めたいと思うようになったのです」

テーブルオリーブが好きになれば、オリーブオイルにも関心を持つのは当然のこと。意外とどんな料理とも相性がよく、体にやさしいところにも惹かれました。自社商材のほか、イタリアやフランスの展示会に通っては新たな個性を発掘し、次第にオリーブオイルの奥深さにはまるように。島田さんの台所には、オリーブオイルの瓶がいくつも並ぶようになりました。

今までのしごとの全部が独立につながった

それから数年が経ち、島田さんは自分のはたらき方を振り返るタイミングに直面します。

「子どもが小学校に上がるのがきっかけです。これまでフルタイムではたらき続けてきたけれど、ずっとこのままでいいのかと。多くのワーキングママと同じように、自分も迷いを抱えていました」

しごとは楽しい。でも、もう少しペースを自分で加減できるはたらき方があるのではと、しばらくモヤモヤと考え続けていたある時、昔からの夢だった“自分の店を持つ”という選択肢が浮かび上がってきました。

「すぐに会社を辞めるつもりはありませんでしたが、いつ独立してもいいようにできる準備を進めようと決心しました。まずは、オリーブオイルソムリエの資格を取りました。AISOという、オリーブの本場イタリアの認定資格です」

現在お店には、イタリアトスカーナやシチリア、オーストラリア産のオイルが。その時々でベストなオイルをセレクトしている。
現在お店には、イタリアトスカーナやシチリア、オーストラリア産のオイルが。その時々でベストなオイルをセレクトしている。

そして独立のいろはを学ぼうと、地域の創業スクールにも入学。島田さんは通いながら、事業を興すのは思った以上にかんたんだと感じたそうです。けれどもそれは、今までの蓄積があってのことでした。

「会社勤めを続けてきて、料理や食材に関する知識のストックや、買い付け先との関係づくりができていたんですよね。それに商品の陳列や販促物づくり接客など、どの経験も店を営むうえで必要なことばかりだったから、“やっていける”と自信につながりました」

起業を決意して「これまでやってきたことが、どれ一つとして無駄にはならない」と感じたそう。
起業を決意して「これまでやってきたことが、どれ一つとして無駄にはならない」と感じたそう。

とはいえ最初から店を構えるのは、元手がかかりリスクを負うことになります。そこで島田さんは自宅やレストランなどで、オリーブオイルと料理の教室を開くことから始めました。またフードコーディネーターとして、会社員時代に担ってきたしごとも続けることにしたのです。

「私自身、これまでのしごとをゼロにするのは抵抗がありました。食品業界に触れていることで、市場感をつかむこともできますし。実際に業界の理解が、オリーブオイル専門家として自分の強みとなっていると感じます。今も展示会のサポートや商材PRのレシピづくりなど、企業向け案件のおしごとも喜んでお受けしています」

また会社を辞めた直後には、イタリアでAISOの上級資格を取得。講師としてのスキルを磨いた結果、レッスンは口コミで評判に。創業スクールの同期や飲食店とコラボイベントを行うなど、しごとの幅も広がっていきました。

イタリアのトスカーナでAISOの上級資格、コースディレクターを取得した時の写真。(右)テイスティングの準備をする島田さん。何百にものぼるオリーブオイルを味わい、舌を鍛えた。(左)留学中のレジデンスでの食事。この写真を見るたびに、初心にかえるのだそう。
イタリアのトスカーナでAISOの上級資格、コースディレクターを取得した時の写真。(右)テイスティングの準備をする島田さん。何百にものぼるオリーブオイルを味わい、舌を鍛えた。(左)留学中のレジデンスでの食事。この写真を見るたびに、初心にかえるのだそう。

徐々に事業も軌道に乗り、島田さんはいよいよ店を出そうかと考え始めました。そして出会ったのが、現在入居しているキャビンでした。緑々しい芝生の広場があり、木のぬくもりを感じさせる小屋が建ち並ぶ自然にあふれた雰囲気は、オリーブやオリーブオイルにピッタリ。場所も駅の目の前と立地にも恵まれていました。物件探しを始めてから1年、独立から3年越しの念願が叶った瞬間です。

お店“だけ”でないから気負わずにできる

「自宅の近く、それも小さな頃から住み慣れたまちに、店を開けたことが嬉しい」と語る島田さん。とはいえその場所は郊外で、かつ商業地域でも住宅が密集しているわけでもありません。不安はないのでしょうか。

「確かにお店“だけ”だったら、プレッシャーになっていたかもしれません。でも教室やフードコーディネーターのしごとも、これまでどおり続けています。ここが大きいですね」

島田さんは他のしごととのバランスも考え、お店を開く日は週4日程度にしています。ただ、施設全体の賑わいも考え、周りの入居者と営業日をなるべく揃えることにしました。

「地域との共存を図っていくことは、お店も含め、この施設の大きなテーマだと捉えています。そういえば小学生の娘が、ときどき店に訪れることがあるんです。どうやらこの場所を気に入っているようで、先日も友達を連れてきました。夫や母も応援してくれていますし、改めていい選択だったと思っています」

天気のいい日は、店の外に椅子やテーブルを出して接客。地元の人との語らいも楽しいと話す。
天気のいい日は、店の外に椅子やテーブルを出して接客。地元の人との語らいも楽しいと話す。

島田さんは今のはたらき方を続けながら、これからもオリーブやオリーブオイルのおいしさを広めていきたいと意気込みます。

「実は、自宅の食事は和食中心。ご飯と味噌汁がメインの献立でも、オリーブオイルの出番はたくさんあります。プロとして確かなものを揃えると同時に、いろんな使い方を提案していきたい。そしてお店のほうも、お客様が『オイルくださーい』と気軽に立ち寄れる存在となれたら嬉しいです」

インタビュー中、終始笑顔でいきいきとした姿が印象的だった島田さん。その秘密はオリーブオイルだけでなく、納得度の高い“ヘルシーなはたらきかた”にもあるのかもしれません。(たなべ)

プロフィール

島田まり子

短大卒業後、(株)中村屋に就職。ディーンアンドデルーカジャパン、食品専門商社のオリーヴドゥリュックで、輸入食材の知見を深める。2016年にオリーブオイルソムリエとして独立し、「トラピターラ」を設立。食品会社でのアドバイザー業務やセミナー講師を務めるほか、2019年には小田急多摩線黒川駅前に店舗兼事務所をオープンさせる。

トラピターラ
http://www.trappitara.jp

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