そばではたらく
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夫婦で営む、捨てないパン屋

「向いているしごとに行き着くまで、逃げ続けたっていいんじゃないかと思うんです」。JR南武線稲城長沼駅からすぐ、夫婦で小さなパン屋を営む冨永佳道さん。市街地からは離れた店舗が少ない地域で、2018年の開業以降、地元の方に愛されているお店です。新卒でサラリーマンとして社会に飛び込んだ冨永さん。どのような選択を経て、パン屋というしごとにたどり着いたのでしょう。

朝一番から40種類を届ける

赤いひさしが目印のBoulangerie道。毎朝、40種類を超えるパンが一気に並びます。こんがりとした焼き目のバゲットや食パンから、手の込んだスイーツ系、趣向を凝らした創作系まで。次々とパンが運ばれてくる工房を覗くと、見えるのは店主である冨永さん一人。どんな魔法で大量のパンを作っているのか気になります。

「『あなた何時に来てるの』ってよくお客さんに言われるんですけどね(笑)朝から一気に並べるのがうちのこだわり。前日から低温で長時間発酵させる製法を取っているので、1人でも何とか作れるんです。朝は5:00くらいに来て、2時間で焼いて仕上げ。17:00には奥さんに上がってもらって、残りの仕込みは僕一人で接客しながら終わらせます」

お客さんの少ない時間帯に路面店をしていることに疑問を感じ、売上の柱の一つとして検討するためパンのサブスクリプションサービスに参加。全国発送もはじめた。

19:00に閉店して、片付けが完了するのは20:30。作業が立て込んでいる日でも21:00にはその日のしごとを終えて帰宅します。お店から自宅までは自転車で5分。営業中に翌日の仕込みをほぼ済ませる効率的なパン作りです。早朝から稼働することが一般的なパン屋さんの負担が軽くなり、毎朝フルラインナップを揃えられるのなら、お客さんとしてもうれしいばかり、と思いきや、そう簡単には変わらない根強い感覚が日本にはあるのだそう。

「飲食の小売店は売れ残りを廃棄しますよね。パン屋も同じで、焼きたて至上主義と言ってもいいくらい。でも時代は変わっていると思うんです。食材廃棄に対する考え方も、材料費も昭和の頃とは違う。パンの本場フランスでは、二次加工品って主流なんですよ。トーストにチーズをかけて焼いたクロックムッシュとか、クロワッサンのザマンドとか。うちは極力“捨てないパン屋さん”になりたいんです」

経営的な目線、食品廃棄を減らす目線、そして「朝一番からたくさんのパンを選んでもらえるように」というお客さんへの想い。それぞれの角度からパン屋のあり方を考える冨永さんの目標の一つです。

営業職の挫折

社会人1年目はサラリーマン。話すことが好きで明るいキャラクターから、友人や周りの大人たちに「営業職が向いている」と背中を押され、自分でもそう考えていた冨永さんですが、就職した化学製品の商社で過酷な環境にぶつかります。 

「就職した年にリーマンショック。原油に関わる業界だったので、あっという間に大変な状況になりました。正社員以外はどんどん切られてしまって…」

人員が削減されたぶん、残った社員は夜中の3時や4時まではたらかないと業務が終わらない。とはいえ、冨永さん自身はまだ不慣れな新入社員。できることはないものの一人帰ることはできない雰囲気の職場で、明日の見えない日々を過ごしました。
さらに、冨永さんにとってハードルになったのが、担当となった営業職の業務内容。会社が扱っていたのはプラスティックをはじめとする製品。営業職として売り込みをするためには、会社が扱っているものを100%覚えることが大前提でした。

「暗記をすることが本当に苦手で。しかも、何かルールを決められると背中がかゆくなるタイプなので、“こうすべき”“これじゃなきゃいけない”というのがガチガチに存在している日本の会社が合わなかったんですね。そもそも、当時はかなりの売り手市場と言われていたのにうまくいかず、21社目でやっと決まった会社だったんです」

自分にはどんなしごとが向いているのか。何でなら力を発揮できて稼ぐことができるのか。迷わず選んでいた営業職に限界を感じ、1年で潔く退職を選びます。

外交官だった父親のしごとにあわせ、海外を転々としながら幼少期を過ごした帰国子女の冨永さん。「人生どこに行ってもマイノリティーだった」と振り返ります。

「今でも営業職時代に感じた電話への恐怖を覚えてますけど、目覚ましの1時間くらい前から頭の中で電話がなっていました(笑)『はたらくの恐いな』『次やってもやめそうだなぁ俺…』とか思いながら、ハローワークにも通って、次どうしようと考えていたとき『そうだ、手先のしごとにしてみようかな』と」 

会社借り上げのアパートを出て、稲城の実家へ。海外赴任する両親から離れ、中高一貫校への進学を機に15歳で独り立ちしてから、久しぶりの実家暮らしです。そのせいもあって、最初は「こっぱずかしくて」実家に戻ることをなかなか言い出せなかったそう。

「実は親父が、昔から『コックさんになりなさい』と言っていて。子どものころから料理が好きだったので。他の家族より早く親元を離れるだろうと、親父も考えていたんだと思いますよ。だけど、ハローワークの求人に料理人は意外となくて、洋菓子には興味が持てない。じゃあ、パンかなと。子ども時代にフランスやスイスに住んでいて、食文化としては散々触れて来たから馴染みもありました」

2009年、求人から見つけた足立区のパン屋に就職。自分への向き不向きから導き出したパン作りいうしごとで、修行の日々をはじめました。

生涯はたらく唯一の道は独立

事前の独学や経験はなく、生まれて初めてパンを作る冨永さん。修行の苦労はもちろんあったものの、しごととして取り組むパン作りは、自分に向いているとすぐ感じました。

「手を動かすしごとは、やっぱりね、自分にあってました。立ち仕事なので、人間関係で不穏な空気を感じたらちょっと厨房から避難したりもできますし(笑)」

冨永さんが足立区のパン屋ではたらきはじめたのは、リーマンショックの翌年。バブル景気で上昇し切った経済が急下降した時期でした。お店近くの公園で炊き出しをする風景も日常。不景気な社会状況の中で、否が応でも、自分の身の振り方も考えるようになります。

「お店はずっとピリピリした雰囲気。僕は、サラリーマンを落ちこぼれて、再起をかけてやってきましたっていう、どこにでもいる一人。いつも不穏な空気が厨房に漂っていて、その中でパン作りを覚えなくてはいけない。あのときは本当に必死でした。不景気な世の中で、雇われ職人のままだと多分40歳が限界だろうなと感じ、いつか独立起業しようと決意しました」

多店舗展開する企業系のパン屋であれば、あるいは別の道があるかもしれないと考えた冨永さんは、2014年、全国に展開するメゾンカイザーに転職。しかし、やはりある一定の年齢を超えたパン職人は、熟練の技術を持っていたとしても、厨房から出され中間管理職のマネージャー職に就くことが多いことを実感します。

「それはいやだと思ったとき、やはりパン職人が行き着く先は開業しかない。当時の僕は31歳で、ちょっと早いけど自分ではじめようと計画に取り掛かりました」

夫婦で営むお店のこれから

2018年、33歳の冨永さんは夫婦でBoulangerie道を開業します。妻のさおりさんは管理栄養士。10年ほど病院の食事を作るしごとに就いていましたが、365日営業があり、お正月でも早朝3時に起きて朝ごはんを作るハードな生活に悶々とした辛さを感じていました。開業にあたり、「夫婦2人でやっていけるくらいがいいよね」と話し合い、退職。主に接客担当として、毎日店頭に立っています。

「自分たち次第っていうところが、会社に使われるより納得がいきますよね(笑)会社員だと責任ばっかり押し付けられて、何倍はたらいても給料上がらないことがずっと納得できなかったんです」とさおりさんは言います。

栄養士としてさおりさんが担っていたしごとは、勤務時間的に子どもがいると続けられず、20代前半と40代より上しかいない厳しい業界だったそう。 

開業から2年目。順調に常連客も集まるようになり、次なる構想も動き始めました。

「奥さんと二人っきりでずっとお店を続けるのは当然無理なので、スタッフを増やさなくてはなと」

ところが、その矢先のコロナ禍。求人も出さず、「しばらくもじもじ」していた2人のもとに、求めていた人材が突然向こうからやって来ました。

「募集の張り紙なんてしてなかったのに、近所に住む大学生の女の子が、コロナ禍でそれまではたらいていた飲食店のアルバイトがなくなったと言って訪ねて来てくれたんです。壁を打ち破って来てくれて、救世主に見えましたよ(笑)この縁を信じてみようと。人を雇ったことがないので、手続きが全然わからなくて。税理士に聞いたり、ハローワークや厚労省に電話して四苦八苦しながらなんとか」

そろそろ製造を任せるスタッフを雇うことも考えていた冨永さんですが、「タイミングは必ず来る、チャンスを待つ」と焦りは見せません。そこには、“手に職”の強さがあると言います。

「リーマンショック直後もそうでしたけど、それまでの職を失った方が一念発起、パン職人を志す流れがあると感じています。手に職を付けようと思うんでしょうね。パン屋って0から1を作れる人たち。そういうしごとって世の中全体で言うと少ない。パン職人になって、将来自分のお店を持てたら、と考える方たちが今回のコロナ禍でもきっと沢山いらっしゃると思うんです。うちで修行してくれる人との出会いがあるといいなと思っています」

子どもたちの目線には、パンをテーマにしたかわいらしい絵本が並ぶ。

学生時代には、パン屋になろうと思ったことは微塵もなかった冨永さん。自分の向いていることで人から求められ、お金を稼いで、生活を送ることができる。しごととの一つの出会い方です。

「営業職もそうですけど、パン作りの修行時代も、30〜40人くらいの人が来てはいなくなって。総合格闘技をしてたから体力に自信あります!って言っていた人が3日で逃げ出したりね。向き不向きなんだなぁと気づきましたね。『こんなに簡単な事なのに、お前はどうしてそんなにしんどそうにするんだ』って言われることってあると思うのですが、今の時代、そんな事を毎日言われて、がんばり続ける必要はないとも思うんですよ」

「長い人生には卒業もゴールもない。先が見えなくて当然だから、生き急がずに進みたい」と話す冨永さん。自分に向いているしごと、したいしごとを探す道のり自体も、回り道をしたり立ち止まっているわけではなく、前進のひとつの形。現状にモヤモヤや辛さを感じるときには、思い切ってしごとを変えてみると想定外の天職に巡り会えるかもしれません。(國廣)

ディスプレイも一緒に考える2人。家とお店、夫婦で同じ空間にいないのは2、3時間ほど。さおりさん曰く、「でもけんかはしないです。お互いしたくないからか、火種が生まれないんですよね(笑)」。

プロフィール

冨永佳道

新卒で入社した会社で自分ができることとのギャップを感じ1年で退社後、「手先を使うしごと」を求めてパン屋に勤務。2018年、住まいからも近いJR南武線稲城長沼駅そばにBoulangerie道を開業。パンづくりは佳道さん、接客は妻のさおりさんが担当し、夫婦2人で切り盛りする。オープンと同時に約40種類を並べるラインナップがこだわり。

https://boulangerie-michi.com/