1歳から100歳の髪を整える

2024.11.28
1歳から100歳の髪を整える

三鷹駅から歩くと15分ほど、三谷(さんや)通り商店街にある「ヘアーサロンヨコヤマ」。都外に引っ越してからも毎月通ってくるお客さんがいるという、愛され続ける理容室です。1973年から店に立つのが、3代目の横山育三さん。70歳を迎えた今、横山さんは「できるところまで働きたいんだ」と語ります。その胸の内にある思いとは。

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戦後の三鷹で理容室を開く

終戦からまだ数年、1948年に開業した「ヘアーサロンヨコヤマ」。今のようにあちこちに理容室がなかった時代、お店をはじめたのは横山育三さんの祖母でした。

「戦後、焼き出されて三鷹駅北口のこの辺りに一家で引っ越してきた。中島飛行機の軍需工場があったから、危ないということで疎開した人が多くて、床屋の居抜きが貸しに出されてるのを聞きつけたみたいね。祖母は証券会社に勤めていたけど戦争で辞めて、床屋を開くための免許を活かして心機一転はじめたと聞いたよ」

一家が引っ越してきた頃には、お店前の三谷通りに馬車が走っていたそう。「五小通りに材木屋があって、そこに木を運んでたんだね。わたしは当時子どもだったからにんじんをあげるのが楽しみだった。そのうち、うちの前に来ると馬が立ち止まるようになってね(笑)」と横山さん
一家が引っ越してきた頃には、お店前の三谷通りに馬車が走っていたそう。「五小通りに材木屋があって、そこに木を運んでたんだね。わたしは当時子どもだったからにんじんをあげるのが楽しみだった。そのうち、うちの前に来ると馬が立ち止まるようになってね(笑)」と横山さん

時は流れ、祖母からの代替わりの際、「いい職人はいないか」とお婿さん探しをはじめた横山家。2代目として迎えたのが横山さんの父、友吉さんでした。

「道具屋(ハサミなどを扱う理容業界者)さんに相談して、紹介してもらったのがお父さん。8人きょうだいで、全員揃って床屋なんだよ。お父さんは長男じゃないから、床屋をするなら外に出なきゃならなかった。母は『好きになったのはお父さんだからね』と言うけどさ(笑)、話してるうちに仲良くなったんじゃないかな」

きょうだいたちは、腕を磨くためヘアーサロンヨコヤマに修行をしに来たそう。

「みんな、わたしの子守りをしながらここでインターンをするんだよ。お父さんのきょうだいに育ててもらったね。本当に頭上がらないよ」

60歳で追いついた父の背中

「四谷生まれのお父さんは江戸っ子気質で、喋ってると喧嘩してるみたいだとよく言われたね。仕事場も同じだし、休みも連れ立って釣りに行って。妻に『毎日お父さんと一緒でいいわね』なんて小言をいわれるくらい仲が良かったね(笑)」

横山さんが3代目として後を継ぐのは、何の疑問もない自然な流れだったといいます。中学を卒業後、当時お茶の水にあった都立東京都理容学校へと進学しました。

「いわば生まれたときから、継ぐものだと思ってたから。お父さんもお店に来る人も、みんな楽しい人だったしね」

カットをしているのが父の友吉さん。横山さんは「髪を切られているこの子が60歳になったとき、『きっとこの床屋だ』ってこの写真を持ってきてくれてね。70年も生きてると、そんなサプライズが舞い込んでくることもあるんだね」と、店先にこの写真を飾っている
カットをしているのが父の友吉さん。横山さんは「髪を切られているこの子が60歳になったとき、『きっとこの床屋だ』ってこの写真を持ってきてくれてね。70年も生きてると、そんなサプライズが舞い込んでくることもあるんだね」と、店先にこの写真を飾っている

勤続50年の中で一番困ったのは、お父さんが亡くなったときでした。

「お父さんのお客さんを初めて担当することになって、『お前免許持ってんのか』なんて言われちゃったときはショックだったね…。うまくできるようになるまで、4、5年かかったかな。自信を持ってやると、お客さんに肌から伝わるんだよね。理容師ってそういう商売だと思うよ」

理容師が落ち着いていれば、お客さんはシャンプーをしてる間に眠ったり、髭剃りでかみそりを当てたときの緊張感もまったく違うという。肩を揉んで凝っていると、「力入れないで生きた方がいいよ」と声をかけることも
理容師が落ち着いていれば、お客さんはシャンプーをしてる間に眠ったり、髭剃りでかみそりを当てたときの緊張感もまったく違うという。肩を揉んで凝っていると、「力入れないで生きた方がいいよ」と声をかけることも

「若い頃は見た目がこわいお客さんにビビってたけど、今は『まぁまぁ任せて頂戴よ』と言える。60歳になった頃やっと、自分の技術もお客さんの気持ちも、お父さんの言ってたことも、全部わかるようになったと感じたんだよね」

タオルを殺菌・消毒するためのスチーマー。使い込まれた道具たちが信頼の証だ
タオルを殺菌・消毒するためのスチーマー。使い込まれた道具たちが信頼の証だ

孫たちの声に「はいよ!」と答えるために

「理容室って、1歳の子どもから100歳のおじいちゃんまで来る。障がいがある人もいるし、どんどん忘れっぽくなっていく人もいる。客商売ってこっちから話しちゃいけないんだよ。話を聞いて、好きな話題を投げかけたりさ。だって、『わかってくれてる』と思ってもらえなきゃ、駅前でもないお店になかなか通わないよね」

すぐ近くで農業を営む常連さんは、畑仕事を終えて朝一番にやって来る
すぐ近くで農業を営む常連さんは、畑仕事を終えて朝一番にやって来る

常連さんの中には、遠く都外へと引っ越してもなお、通い続けるお客さんがいるそう。

「『ほかとちょっと違うんだよな』なんて言いながら、毎月のように千葉や神奈川から車で来てくれるんだよ」

うれしそうに話す横山さんは、お客さんだけでなく、大勢の家族にも囲まれて働いています。

「娘が2人、孫が7人。近くに住んでるから、店にもよく来るよ。70歳になっても、孫たちに『じいじ!』と呼ばれたら『はいよ!』って答えたい。元気で働いてなきゃ言えないじゃん。動ける間はこの仕事をずっと続けたいね」

時代が変わってもお店に集う家族や常連さんたちのにぎやかな声と信頼が、横山さんが長く仕事を続けていく一番の原動力になっています。

理容業界の定休日は原則平日。冠婚葬祭や同窓会は週末に開催されるため「ほとんど行ったことないよ」と横山さんは言うが、その日常がこの地域で暮らす人の生活を静かに支えている
理容業界の定休日は原則平日。冠婚葬祭や同窓会は週末に開催されるため「ほとんど行ったことないよ」と横山さんは言うが、その日常がこの地域で暮らす人の生活を静かに支えている

プロフィール

横山育三

JR三鷹駅から徒歩15分ほど、武蔵野市西久保の三谷通りにある「ヘアーサロンヨコヤマ」の3代目。都立東京都理容学校を卒業後、祖母、父の後を継ぎ、1973年から理容師として店に立つ。趣味は父とはじめた釣りで、店内にはルアーや釣り中の写真がたくさんあり、しばしばお客さんとの話題にも上がる。

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