住宅に囲まれた畑で、ブルーベリー農家を営む中村園の中村健ニさん。5代目として後を継いで44年。武蔵野市で初めてブルーベリー栽培をはじめ、「Kenchan Farm」と名付けて毎年収穫期に畑を開放しています。若手の新規就農、地域の緑地や避難場所としても注目される都市農業。この地で畑を守り、代をつないでいく中村さんのこれまでと今の思いを聞きました。
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4月に白い花が咲く、ブルーベリーの木。最寄りの三鷹駅から歩くと20分ほどの場所にある中村健ニさんの畑では、7月中頃から9月頭に収穫します。販売は、お客さんが自ら収穫する、量り売りの摘み取りがメイン。
「実を摘んでカゴに入れる作業が面白いようで、特にご家族でいらっしゃる方は、予定よりたくさん収穫しちゃったと言う声がよく聞こえてきます(笑) 多いのは、自転車や徒歩で来られる方。近隣のみなさんに畑にふれてもらえるのは、いいものだなと思います。東京の都市でもこれだけの農地があって、農業をしていることを知らない人は多い。武蔵野は農地が住宅地に変わってきたというまちの歴史があるから、新しく引っ越して来た方は気づきにくいのかもしれませんね」
中村さんがブルーベリー栽培をはじめたのは2007年。今では武蔵野市内で3軒の農家が栽培していますが、当時はまだ未開拓でした。もともと野菜をつくっていた中村園がブルーベリー農家に転向したのは、代替わりがきっかけ。
「父親と一緒にしていたころは、野菜を色々つくって、市場にも出荷していたんですよ。キャベツとか、ブロッコリーだとかね。だけど、一人で切り盛りする状況に変わると、できる作業に限界がある。それでブルーベリーならどうかなと。ブルーベリーがまちの名物になっている小平で、同じく農業をしているいとこから教えてもらってはじめました」
「野菜は畑の土が酸性だとだめですが、ブルーベリーは逆。育て方の要領がわからないし、最初はやっぱり苦労しましたね。1年目は土や木をつくる期間として、2年目から収穫をスタート。乾燥に弱い木なので、植えて3年くらいは水やりをして。育て方や剪定の仕方は人によって違うので、これじゃなきゃという方法はないんだと思います。もっと楽にできると言う人もいるけど、僕は手をかけたらかけた分だけ美味しくなると感じます」
作業の大変さには、都市農業ならではの特徴もあるそう。
「例えば北海道のように広大な敷地と違って、東京の農家は規模が小さいぶん、大きな機械は使えません。どうしても手作業が必要になる。あと、周りが住宅地だと、音や埃もすごく気にしますね。うちは住宅と保育園が隣になるので、基本的に土日と夜は、音や埃の出る作業をしないようにしています」
「親の姿は見ていましたが、いざ自分がはじめてみたら、思った以上に大変でした。『旬以外は何もしなくていいじゃん』と思われるけど、それなりにあるんですよ(笑) 実は60歳のころに色々なストレスで体調を崩して、なかなか働けなかったことがあります。それでもやっぱり、畑に出るとリフレッシュできた。代々受け継がれた農地があるからこそできる、限られた人の特権でもあるかなと思ったりもします」
この地で農業をはじめて5代目。地域の人に農地の価値を感じてもらうこと、さらに次の代へと家業を受け継いでいくことに、中村さんは特別な思いを持っています。
「住宅地で農業をしていると、通りかかった方に、あの野菜がほしいって言われたら『はい』って売れる。できたてを買って、家で食べる。それで、自分もつくってみたいと思ってもらえるとうれしいですよね。僕は親と一緒にやってきたからわかるけど、仮に農地だけあったとしても、どうすればいいかわからないと思うんです。散歩しながら農園を見て習ったり、農家と話したり、何かとっかかるきっかけがあるといいんだろうなと」
「義理の息子が6代目を継いでくれる予定です。農家は3代でなくなると言われるくらい税金も高い中で、この土地で続けて来られたのはよかったなと思います。代々受け継いだものだから残したい。老舗のお店と一緒だと思うんだよね」
中村さんの職場であり、住民にとっては、とれたての野菜や果物と、農業という仕事に出会える場所。都市の中に守られたこの土地が、農地であることの価値を感じます。
2007年、農家としては武蔵野市初となるブルーベリー栽培をはじめる。毎年7月中下旬から9月上旬にかけて、「Kenchan Farm」として摘み取り販売を実施。東京むさし農業協同組合筆頭理事、武蔵野市都市農政推進協議会会長を務める。