「食材のおいしさはもちろん、生産者さんの魅力なんかも伝えられる場所にしたい」と話すのは、昨年の2024年11月に定食と喫茶とお惣菜のお店「旬菜屋おん」を開業した店主の若木いく実さん。いつか自店舗を、と未経験ながら飲食業界に踏み込んで10年ほど。どんな道を歩み、進んだのか。自身と対話するように、ていねいに話しを聞かせてくれました。
昨年冬にオープンした「旬菜屋おん」は、武蔵境駅北口から徒歩20分ほどの場所にあります。1Fにカウンターとテーブル席、2Fにもテーブル席があり、外観からイメージしていたよりも広々とした店内。シンプルな内装ながら知人の花屋から仕入れるという季節の植物がそこかしこに飾られ、初めて訪れるのに友人の家に遊びに来た時のようにほっとします。
「手が回っていないところも多いですが、11〜15時までが定食、15時以降から喫茶の営業を。惣菜は、終日注文を受けています。地元に根付くお店になれたらと、食材の仕入れ先は近隣の農家さんだったり、周辺の精肉店や鮮魚店だったり」
自然、シンプル、当たり前を大切にした店作りを行う若木さんがふるまう一品は、どれも旬が溢れていて、毎日食べても罪悪感のない料理と味付けばかり。生産者が丹精込めて育てた素材そのもののおいしさを、素直に生かしています。
「元々はファッションデザイナーを目指していて、アパレル関係の会社で働いていたんです。けれど、ファッションデザイナーとして活躍できる人はひと握りなわけで……」
憧れだった業界に携わるものの、日に日に自分の手で何かを作り生み出したいという感情が増していく中で「これかも!」という手応えを得たのが料理だと振り返ります。
「ひとり暮らしを始めて、自炊することが楽しくて。ものづくりは、決して服だけじゃないと気づいたんですよね」
右も左もわからないまま飲食業界に大きく舵を切ることにした若木さん。ひとつの店舗や企業に正社員として就職しノウハウを学ぶのではなく、渡り鳥のように店から店へ。個人店やチェーン店など、アルバイトやパートとして研鑽を積んでいきます。
飲食業界が未経験ということで、キッチン業務に興味がありながらもホールからキャリアをスタートさせた若木さん。経験者が優遇される厨房での仕事に携わるため、ホール兼調理補助で募集されていた定食店で働き始めると料理を作ることへの関心がさらに高まったと言います。
「この頃からプライベートで友達を招いたごはん会や、レンタルスペースを貸りて一日限定のカフェ営業などをやり始めて。毎回すごく楽しかったので、いつか自分のお店ができたらなと思うようになりました」
定食店での調理補助の経験からキッチンスタッフとして採用される店舗が多くなり、一緒に働く料理人からも多くを学び、できることがどんどん増えていくやりがいのある毎日……そんな中、働き先で一番刺激を受けたというお店を辞めることに。
「独立するために辞めたわけではないけれど、今、このタイミングであれば開業のために動けそうと直感で(笑)。ただ、いきなり店舗を持つまでの勇気と覚悟が持てず、それであればとシェアキッチンでの営業をスタートさせたんです」
営業先として選んだのが、住まいから比較的近い武蔵境の「8K」と井の頭公園にある「場所#4」。貯金を切り崩しながらの営業だったため、生計を立てるためにも旬野菜を使ったお惣菜とお弁当を2箇所で販売します。
「野菜中心の商品を販売したのは、新型コロナウイルスのパンデミックで老若男女問わず、食への興味が深まっていると感じていたんです。健康面を気遣い、外食でも内食でも野菜を食べたい人が増えているなって」
時代の空気感をしっかり捉え、シェアキッチンでの営業で着実にファンを増やしていった若木さん。数々の飲食店での経験に加え、シェアキッチンでの取り組みが自信と開業への後押しになっていきます。
2拠点で週に3〜4日の営業を始めたものの、自分が生活するために必要な収入源にはならず、次の一手を模索し始めた若木さんは思い切った行動に出ます。
「料理以外で興味のあった分野のお店で副業を始めたのですがうまくいかず。他の副業先を探すことも考えたのですが、シェアキッチンでの実務に余裕があったわけではないので、これ以上新しいことを始めてもうまくいかないと思ったんです。とはいっても、シェアキッチンの営業だけでは金銭面が厳しく、一年続くかどうかという状況で。それなら自分のお店を作ってしまおう! と思ったんです」
悶々とする日々に、句点を打つように開業を決意。まずは、ご両親に報告しに行きます。
「元々、何事においても私の思いややりたいことを尊重してくれる親でした。シェアキッチンでの営業を始める時に、いつか自分のお店を持ちたいと話していたので、開業することに大きく反対されることはなかったです」
シェアキッチンの営業を始めて6ヶ月ほどが経った2024年5月。年内中のオープンを目指し、活動拠点となる小金井市を中心に物件を探す中、現在営業中の場所に出合い即決します。
「地域の新たな気づきや、人と人とのつながりを育む場をつくりたいという思いがありました。飲食店だけでなく、ワークショップやイベントといった自分がやりたいこと、できることにマッチしたキャパシティというのが決め手でした。ありがたいことに、シェアキッチンでの営業で顔馴染みのお客さまができたので、本当は常連さんが来やすい立地だともっとよかったんですけどね」
2024年8月に家主と契約を結び、9月にシェアキッチンを卒業。11月のオープンに向けて、怒涛の毎日を過ごします。
開店までの準備期間は約3ヶ月、店舗やメニュー作り、食器、インテリア用品の買い出しなど、想像するだけでも目が回るタスクの多さ。
「何をしていても、予測していてもずーっと不安なんです(笑) 買い物をしている時も買った後も果たしてこれは必要なものだったのかと思うし、資金はどんどん減っていくし。自分がイメージしているものを買うために、探したり見たりしなければいけないのにその時間はなくて。物件を契約している以上、お店の営業の有無に関わらず家賃も発生していますしね」
念願だった自分のお店ですが、ワクワクするよりも心配や不安が勝っているのは開店した今も続いていると言います。
「シェアキッチン時代の常連さんが来てくれたり、地元の人が定期的に通ってくれるようになったり、お店を始めて本当によかったと思う瞬間はたくさんあります。ただ、お店を続けていくためにはやっぱり売上げも大事なので、いつまでたっても悩みはつきませんね」
喫茶のメニューを充実させたい、手仕事やお話会といったイベント、ワークショップを開催したい。多くのやりたいこととやってみたいことに加えて、お客さんからの要望で若木さんもいいなと納得できるもの、ことを実践したり、利益を上げたりするには何が必要なのか。
「飲食業界に挑戦したときも開業を決めたときもですが、何事においても覚悟を持つことが大事。そのための努力や勇気も必要だと思っています。食事だけでなく地元の人や仕入れ先の農家さんなど、誰もが気軽に集まれる場所を作りたい。その想いが、原動力になっています」
見通しをしっかり立てることを怠らず、やるからには覚悟を持って届ける。たくさんの飲食店を経験し、紆余曲折を経た若木さんだからこそ、いつ何時でも地に足をつけて実直に取り組んでいます。(新居)
東京小金井生まれの埼玉育ち。小金井にある父親の実家でひとり暮らしを始めたことが、料理の道に進むきっかけに。飲食店経営のノウハウなどを学ぶために個人店やチェーン店で働き、「8K」や「場所#4」でのシェアキッチンでの営業、創業プログラム「まちのインキュベーションゼミ」への参加など開業に向けて、やれることをコツコツと積み重ねた後に「旬菜屋おん」をオープンする。