【特別対談 vol.1】10年経った今だから改めて考えたい「まちづくり」論

2020.07.30
【特別対談 vol.1】10年経った今だから改めて考えたい「まちづくり」論

「まちづくり」とは……? 郊外において、人と地域との関係づくりに取り組んできたタウンキッチンの本質的な問いです。もしかすると、その答えを見出すための10年間だったのかもしれません。都市計画の専門家である、東京都立大学 都市環境科学研究科の饗庭伸教授と北池で語り合いました。

※リンジンを運営するタウンキッチンの創立10周年特別対談です。

まちの経済を動かすしくみが変わってきた

―北池さんと饗庭先生は、谷保にある「やぼろじ」で出会ったと聞いています。2012年ころですね。

饗庭:やぼろじは江戸時代から続く、旧家の敷地にある民家を活かした施設。10年ほど空き家だった住宅を、地域に開かれた場所にできないかと始めたプロジェクトでした。爆発的に増えていく空き家の問題を、行政だけでは解決しようがない。ならば都市を豊かにする形で何かできないかと考えていたところに、偶然が重なって始まったプロジェクトでした。

北池:立ち上げのタイミングに、知人を通じてご一緒させていただきました。

饗庭:企画を考えるワークショップを開いた当初、実はそんなに人が集まるとは思っていなかったのですが、若くて感度の高いプレイヤーが集まって来ました。持続するためには、ある程度お金が回るしくみにしたかったのですが、しっかりと経済活動ができる人たちでした。結果的にうまくいって、おもしろいことができたのは発見でした。

国立市谷保にあるやぼろじ
国立市谷保にあるやぼろじ

北池:“コミュニティビジネス”という言葉が広がった当時、いろいろな会合に行くと、自分よりも1世代も2世代も上の方が大半を占めていました。先生のおっしゃるようなプレイヤーは、まだまだ少なかったのかもしれませんね。

饗庭:ただ、今も行政の会議に出向くと、大学の先生や地域の重鎮みたいな人がズラリ、みたいなことはよくあります。

北池:最近は、若者を中心に地域への関心が広がった印象があります。大企業や有名企業に就職せずに、NPOとかソーシャルビジネスといった分野に飛び込んで来る。3・11やリーマンショックなどの影響も、多分にあるように感じています。

饗庭:そうかもしれません。大学院を出てすぐに地域おこし協力隊になる人もいますけど、昔だと考えられなかったですからね。

―饗庭先生は先ほど、やぼろじの運営について「ある程度お金が回るしくみにしたかった」とお話されていました。少し表現を広げると、市民経済圏の創出ともいえます。

饗庭:私が研究者として動き始めた1990年代は、まちづくりにおけるお金の使い方の移行期でした。それまでは、公園や施設などのハードを市民参加型でつくることがゴールで、市民もそれで納得していました。でも2000年代以降は、公園や施設をどう活かし、それに市民一人ひとりが自分の資源を組み合わせていくかを考えることも大切だということになります。

北池: 小さくても経済が回ってないと、立ち行かなくなってしまいますからね。補助金などに頼っていては、なくなった途端に終わってしまう。地域で活動することと経済を回すことは、同じフィールドで捉えていくことが大事だと思います。

饗庭: そうですね、人が替わっても安定的なサービスを持続的に提供する行政と比べて、地域のプレイヤーは本質的に安定的でも、持続的でもないということには注意しないといけません。小さなNPO等は、自分たちが切り開いた活動を若い人に渡そうとしますが、世代間に物事の考え方に決定的な溝があることがあり、うまくいきません。その溝を頑張って埋めようとか、先代の思想を引き継ごうとかを、あまり意識しないほうがうまくいくことが多いので、小さなNPO等が早い新陳代謝をしながら市民経済圏を構成しているというのが今の状態です。これは2000年代に小規模な社団であるNPOという形式が大流行したからで、例えばもし、1920年代の日本のように協同組合が流行していたら、違う市民経済圏になっていたでしょうね。協同組合はNPOよりも全体性を持って市民経済圏を組み立てられると思います。

北池:協同組合が、まちづくりと親和性が高いということでしょうか。

饗庭:関係を長きにわたって築き、持続的な経済サイクルを確実につくり上げるので、ややもたもたして見えるかもしれない。でも、非常に地に足のついた活動だと思います。別の可能性として、例えば町内会や自治会が2000年代にもっと流行していたら、市民経済圏はまた違ったものになっ
ていたはずです。町内会や自治会は行政に対する政治的な力を持てるので、“市民政治経済圏”が出来ていたかもしれません。こういった、「ありえたかもしれない歴史」を妄想して、現在の市民経済圏を少し軌道修正してみてもいいと思います。

北池:地域活動イコール“ボランティア”みたいな感覚ではなく、経済活動が中心の企業活動とも違う。地域に暮らす人達で地域を経営していく、という感覚としくみが、これからのまちづくりに求められているということですね。

日野市にある空き家跡地を整備した広場で行われたイベント
日野市にある空き家跡地を整備した広場で行われたイベント

10年のつながりと広がりがマッチングをうまくした

―ところで饗庭先生にとって、“よいまち”ってどのようなものでしょう。

饗庭: ひとつは能動的な人に対し、公平に試す機会があることかな。がんばって暮らしを豊かにする、事業を成長させようという人たちが、アクションできるのが“よいまち”。例えば、北池さんって大阪出身だけれど、東京・小金井で活動していて、いわば“よそ者”にあたるわけですよね。けれども、きちんと事業ができている。

北池:なるほど。

饗庭:もうひとつは、たいして能動的でない人も、肩身の狭い思いをせずに健康的に暮らせることでしょうか。能動的な人を後押しできるのも“よいまち”、そうでない人の居場所が確保されているのも“よいまち”ということです。

北池:先生のお話を聞いて、“まちづくり”という言葉も、行き着くところは“人”なのかなと。人は地域の資源であり、人材育成のニュアンスを多分に含んでいる。人のディベロップメントが重要じゃないかと感じています。

小金井市高架下のシェア施設
小金井市高架下のシェア施設

饗庭:よくヒト・モノ・カネって言いますけど、基本はヒトとモノなんです。お金って、ヒトとモノの代替手段に過ぎないですから。そしてヒトとモノの需給バランスがとれて、うまくいきわたっている状態が地域社会にとって望ましい。まちづくりとは、お金を潤滑油にヒトとモノの関係を最適化することなのだと思います。要はマッチングですね。

北池: そのマッチングというのが、一筋縄ではいかないとも感じています。合理的にしようとしても、人には感情があり、理屈だけでは動かない。楽しさ、美しさ、気持ちよさといった部分が大事だと痛感します。加えて、それをマネジメントしようとすると、めちゃくちゃ消耗する。あるとき、逆のスタンスに変えたらうまくいったんです。ヒトはやりたいと思ったことしかやらないので、周囲がおせっかいを言いすぎない。そのスタンスの中でマッチングを図っていくようにしています。

饗庭:それは高度で、マッチングをしすぎないマッチングができるようになったと言えますね。タウンキッチンも10年続けてきたことで、マッチングがうまくなった、ということだと思いますよ。地域のヒトとモノをよく知る存在として、より複雑なことができるようになったのかと。

北池:そう言っていただけると、少し自信になります(笑) 一方、行政や大企業からいただくご相談は、“人”に着目せず、理論上の方程式が重要視されていることも多くあります。庁内や社内の決裁が通らないんですよね。でも、やはり理論だけで押し通そうとしてもうまくいかないことが多く、モヤモヤを感じてしまいます。

饗庭:タウンキッチンの事業は、マッチングという言葉の枠組みでは足りないのかもしれないですね。そんな単純じゃないというか。

北池:行政や企業からご相談いただくことが増えてきたのはうれしいです。中には「この地域をこうしたい」という思いが出発点の方もおられて、そういった方のご相談は非常に楽しいです。一緒になって考えることは、私たちにとって幸せな瞬間であり、これからも続けていきたいですね。

駅前の開発計画をワークショップで検討している様子
駅前の開発計画をワークショップで検討している様子

じんわりとそのまちのサイズでナレッジを伝播するコツとは

―あるまちの成功事例が、違うまちでは参考にならない、というのはよくある話です。一方で、知見のシェアは欠かせないはず。タウンキッチンも10年を迎え、ナレッジが蓄積されています。普及には何がポイントになるのでしょうか。

饗庭:僕のような研究者が話すときは、どうしても概論的になってしまいますので、役に立つナレッジは伝えられないです。実践知は、体を使って伝えるほかない。

北池:先生が大きな方向性を示してくださり、それを現場で回していくのが私たちの役割なのかもしれませんね。難しいのは、現場を丸ごとコピー&ペーストできない、ということ。フランチャイズビジネスのようにお作法を全部マニュアル化していくというのを、まちづくりに当てはめるのは
難しい。

饗庭:やはりそのまちのサイズで置き換えたら、というプロセスが必要なのでしょうね。まちって結局、一気に変わることはないですから、人を介してじわじわと伝播するものなのかなと思います。

大船渡で行われた津波被災地の復興計画ワークショップ
大船渡で行われた津波被災地の復興計画ワークショップ

北池:暮らす人が主人公なので、それを無視して、外から来たコンサルタントが脚本をいくら書いてもうまくいかない。一方、主人公だけで物語をつくろうとしても、それはそれでうまくいかない。両方が大切な存在であり、役割分担が必要なんでしょうね。

―饗庭先生のご専門である都市計画の観点から、タウンキッチンをどのような位置づけにあると捉えていらっしゃるのでしょうか。

饗庭:近代都市計画の役割は空間の関係を整えることです。住宅を中心とした暮らしの空間、第一次から第三次までの産業の空間、つまり農業や工業や商業などの働く空間、そして“自然”のそれぞれが混ざらないように分けましょうというのがこれまでの近代都市計画がやってきたことです。混ざることによって起きる問題は殆どなくなり、逆に寂しくなってきたので、今は、それぞれをどう混ぜていくかを模索している時代です。

北池:東京の郊外だと、住宅地の中に畑があるし、商業も混在しています。

饗庭:タウンキッチンは、住宅、第1次産業、第3次産業、という3つを扱っていて、絶妙なバランスを試しているのが興味深いと思っています。別々だった空間が一緒になることで生まれる価値は、必ずあると思うんです。あとは、第2次産業が入ってくると、もっと面白くなるなと思っていて、北池さん、何かやりませんか?

北池:やりたくなってきちゃいました(笑) 一方、都市計画法が絡んできて、郊外は住宅しかつくれない用途地域が多く、空間を混ぜ合わせることの難しさもあります。

饗庭:意外と自治体との交渉で、何とかなる部分もありそうですけどね。法律も変わってきましたし、市の裁量が大きくなってきていますから。意外と、担当者が気づいていないことも多いんです。

北池: そうなんですね。これまで創業支援や空き家利活用など、いろいろな角度からまちづくりに取り組んできましたが、先生のおっしゃるとおり、別々だったヒトやモノが一緒になることで、新しい価値は生まれてくることを実感しています。次の10年も、まちの素材を混ぜ合わせることで、価値を生み出していければと思います。今日はありがとうございました。

プロフィール

饗庭伸

1971年生まれ。東京都立大学 都市環境学部 都市政策科学科/都市環境科学研究科 都市政策科学域 教授。長年にわたり、都市計画とデザイン及び、まちづくりにまつわる市民参加の手法、市民自治の制度、NPOなどを研究する。岩手県大船渡市、山形県鶴岡市、東京都世田谷区明大前駅前地区、中央区晴海地区、日野市、国立市、多摩市など、まちづくりプロジェクトに専門家の立場で多く携わる。

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