稲城エリアの創業者にフォーカスした連載の第二弾は、自転車店「TRYCLE」を営む田渕君幸さん。「たまリバー50キロ」とも呼ばれる多摩川沿いの道は、絶好のサイクリングスポット。南多摩尾根幹線道路、通称オネカンとあわせて、サイクリストたちの聖地となっています。その両方が通る稲城市は「自転車のまち」。東京2020オリンピック競技大会では、自転車競技(ロードレース)のコースにもなりました。田渕さんは、2022年、オネカンの入口である矢野口駅近くに、自転車店「TRYCLE」を開きました。「タブチン」の愛称で国内外のサイクリストたちと交流を持つ田渕さんは、現在29歳。実業団に所属し、レースにも出場しています。「起業するなんて思ってなかった」という会社員時代を経て、なぜお店を開き、いま何を思い描いているのでしょうか。
八王子出身の田渕さんと自転車の出会いは、高校生のとき。テニスをしようと入学した小金井の強豪校で、思ったようにプレーに打ち込めず、挫折を感じていたころでした。偶然手に取ったのが、自転車競技に挑む高校生たちを描いた漫画『弱虫ペダル』。アニメ化や舞台化もされた大人気作です。主人公たちの姿を見て「すごく楽しそうだ」と感じた田渕さんは、大学進学後、仲間を5人集めて自転車サークルを立ち上げました。
「自転車って、人力で動かす最速の乗り物。レースのために開発された『ロードバイク』は、瞬間的に時速70kmまで出ます。大学に自転車部はあったんですけど、練習に縛られて活動するのは嫌だったのでサークルをつくりました。みんなで北海道まで旅したり。車とも、歩くのとも違う目線で風景を見られて、好きなように移動できるところがすごく好きです」
就職活動と大学卒業を考えたときに直面したのは、「自転車は趣味か仕事か」という分かれ道。迷った田渕さんは、思い切って1年間休学。海外へと渡ります。
「半年ほど滞在したのがフランスです。4年に1度開催される『パリ・ブレスト・パリ(PBP)』という大会に参加したくて。世界最古の自転車イベントと言われていて、サイクリストなら一生に一度は行きたい。制限時間の中で、パリとブレストという街を昼夜通して往復するんです。食事を取るのも自転車の上で、意識朦朧となりながら1200kmを走り抜いた、ものすごい体験でした」
そんな経験の末、田渕さんがたどり着いたのは「仕事にしよう」という答え。
「『趣味を仕事にすると嫌いになるよ』とか、一通りの言葉は親からも友人からもかけられました。業界自体がニッチですし、想像できなかったという心配もあると思います。でも、嫌なことをするよりは、やっぱり好きなことをしたい」
そして帰国後、自転車メーカーに就職。営業職として、ノルマを持ちながら自転車店に製品を売り込む日々がはじまりました。
悩んだ末に選び取った自転車の仕事。どのようなきっかけで会社勤めから離れることになったのでしょうか。
「いい会社ではあったんですよ。勤めながら実業団に所属してレースに出ていたので、自転車を提供してもらったり。でも、淡々と働きながら、上司の姿が未来の自分なのかなと思ったときに、モヤっとした。尊敬はもちろんしてたけど、憧れとはちょっと違ったんですよね。そういうときに、自転車旅の様子を発信しているYouTuberとかを見ると、キラキラと眩しくて。ちょうど僕も実業団の選手としてSNSをはじめた時期でもあって、もっとできることがあると感じていました。『20代のうちに何かしたい』という思いに駆られて、アメリカ横断をしてみようと」
そして2019年、会社を退職。3ヶ月間のアメリカ横断の旅へと繰り出しました。メディアや広告など、“発信”の仕事に興味を持ちはじめていた田渕さんは、自らスポンサーを集め、SNSで旅の様子をアップし続けました。
「初めてのアメリカ。銃声を聞いたり、川で洗濯していたらワニが出てきたり、色々ありました(笑) 大きな交差点を通り抜けようとしたとき、『あっタブチンだ!』という声が聞こえてきたこともあって。SNSを見ていた人と偶然出会って、1週間その方の家に泊めてもらったこともあります。帰国した直後にコロナ禍になったので、あのときアメリカに行ってなかったら今はない。まだ結婚もしてなくて守るものがなかったから、何とかなるだろう精神でチャレンジできたなと思います。今でも、『あのときに比べれば』と思って乗り越えられることはすごく多いですよ」
その旅の最中、大きな転機となる1本の連絡が入ります。それは、かつて田渕さんが所属した立川の地域密着型ロードレースチーム「東京ヴェントス」の監督からでした。
「廃校になった小学校を活用した『たちかわ創造舎』という施設にヴェントスの拠点があって、サイクル・ステーション事業の一部を担いながら、自転車店を開いていました。2019年に残念ながら解散してしまったんですけど、それにともなって拠点も閉鎖する。それで、『ぷらぷらしてるなら、アメリカから帰って来たら何かやらない?』というお話をいただきました。『半年あるから考えてみて』と」
思いもよらない突然のオファー。実はそのとき、メディア関連企業への内定をすでに獲得していました。けれど、馴染みのあるまちで、自分が好きな自転車の仕事をすぐにスタートできる。そう考えたとき、田渕さんの中にある思いが浮かびました。
「自転車屋って売るのが得意で、予算にあわせてパパッとセレクトして説得力を持って販売できる。だけど、どう使ったら快適に通勤できるのか、サイクリングをどう計画したら怪我なく楽しめるのかを教えてくれる人っていないんですよね。会社で営業をしているときも、『買った後の方が大切じゃん』とずっと思っていました。だから、僕は足りてない“ソフト”の部分をしたい。そのためにはぴったりの場所だと考えて、話を引き受けることにしたんです」
最初は1人ではじめようと考えた田渕さんですが、いくらソフト面の事業とは言え、ビジネスとして回していくためには自転車のメンテナンスから離れられないことに気が付きます。
「レンタルバイクにしても、ツアーを組むにしても、整備や修理は不可欠。僕もいじれるけど、料金を取れるほどの技術ではありません。どうしようと思っていたとき、のちに共同代表になる橋本を紹介してもらいました。店舗で整備士をしながら『いつか独立を』と思いつつ、きっかけをつかめずにいたらしくて。アメリカ横断のSNSを見て僕を知ってくれていたので、話もスムーズでした。最強のメカニックで、ブラックジャックと呼んでいます(笑)」
そして、アメリカから帰国した翌年の2020年に登記。同年4月、メンテナンスとイベント企画を軸としたサイクルショップ「TRYCLE」をオープンしました。順調な滑り出しと思いきや、わずか1ヶ月後、コロナ禍による緊急事態宣言。施設自体も一時は休館してしまいます。自分たちの給料は確保しようとなんとか経営をつないでいた中、さらに1年も経たず、施設の運営方針が見直され、退去せざるを得ない状況になるという想定外の事態に直面しました。
「本当に大変でした。はじめたからには続けたかったのですが、出ていかなくてはいけないと決定してから半年で次の場所を探して、資金調達もしなくてはいけなくて。物件はあちこち見ましたよ。聖蹟桜ヶ丘駅、八王子、橋本、武蔵小金井…どこになる可能性もありました。多摩川沿いの矢野口がロードバイク乗りの集まるいい場所だっていうことはもちろん知っていたんですけど、物件がすごく少ないんですよね。梨農園がオーナーさんのこの場所が空いた瞬間に、知り合い経由で『どう?』と聞いてもらって、すぐ決めました」
移転に向け、まず取り掛かったのはクラウドファンディング。
「切り札として、ずっと勉強していたんです。思ったより使うの早いなとは思いましたけど(笑) スタートの瞬間もYouTubeでライブ配信して、10分で目標の50万円を達成。最終的に200万円まで支援してもらいました。サポーターは、僕のことを知っていた人や立川時代のお客さんが多いですね。矢野口に来ると知ってもらえて、広告宣伝としてもすごくいい結果だったなと思います」
そして2021年に漕ぎ着けた2度目のオープン。蓋を開けてみると、移転を経て売上はアップ。当初は1階のみでしたが、2022年10月には2階の1室を事務所兼倉庫として追加で借りることにしました。
「自転車って、買ったお店で修理するのが基本のスタイルなんです。リスクもあるので、他の自転車屋さんのものはあまり受け付けません。でも今って、ネットで買ったり、メルカリで譲り受けることが増えてきた。昔ながらのスタイルを続ける時代じゃないなと思うんです。だから、うちは持ち込み歓迎にしようという理念を最初に決めました。依頼がない限り本体販売はしていなくて、『ハードは自転車屋に任せた』という気持ちでいます」
稲城での経営が軌道に乗り、早くも田渕さんは新しい動きをはじめています。
「叔父が代々木で割烹の店をしていて、あるとき、『橋本駅前のショッピングモールのフードコートに1店舗空くらしいから、1年限定でやってみないか。テーマは何でもお前らが決めろ、チャレンジするならできるぞ』と。まったく未経験だったんですけど、これはありえないチャンスだと思って『ぜひしたい』と返答しました」
この挑戦には理由があります。
「アメリカ横断をしていたとき、自転車屋には絶対に飲食がセットになっていることに気がつきました。コーヒーを飲みながら、次はどこに行くかとかあのパーツをどうしようとか話す。日本にはいい自転車屋さんがたくさんあるし、いいカフェもあるけど、僕が思い描くような自転車乗りが集合できる場所はない。だから、自転車の楽しみ方を伝えられるような基地をつくりたくて、飲食業の経験を積みたかったんです」
どんなジャンルでも飲食店経営の本質は変わらないはずだと考え、フードコート内にライバルがいない海鮮丼を選択。叔父の教えを乞いながら、アルバイトの指導、シフト調整、新商品の開発、コスト管理と奔走しました。限定出店は2022年に無事終了。自転車のお店が軌道に乗り、飲食業の経験をし、いよいよ一体化したお店を構想中かと思いきや、田渕さんの計画はまだ途上です。
「まずは飲食店のブランドをしっかりつくって、アイコンを立ててから一店舗にまとめたいと思っています。自転車と飲食、どちらも中途半端だと崩れる気がして。自転車って外にあるものだし、カフェに置いてあるだけで違和感がある人も少なくないと思うんです。それだと、一般のお客さんは来てくれないので経営が厳しそう。ソフトをビジネスとして確立できたら、自転車だけじゃなく、ほかのスポーツにも応用できると思って、四苦八苦しているところです」
新しい動きはもう1つ。大学生時代は東京ヴェントス、会社員時代は実業団で、選手として活動していた田渕さん。2022年、自身が代表となって、実業団「TRYCLE.ing」を立ち上げました。
「売上が立って、経営が落ち着いてきたらつくろうと考えていました。僕自身がプレイヤーでいることって、自転車の楽しみ方やお店のことを発信する上で、とても大切だと感じていて。メンバーはすぐ集まったけど、みんなサラリーマンなので、どう時間を捻出して、どう関わるかが今の課題ですね。今年2023年にメンバーもまた増えて12名になったので、やっと本格始動という感じです」
さらに、アメリカ横断で感じた海外のパワーもまだ心のうちに。「いつかアメリカでも何かしたい」と野望は尽きません。老若男女に身近な存在の自転車。田渕さんの思いと発信を受け取ることで、まだ知らない楽しみが一気に広がりそうです。
八王子市出身。大学生のころ、漫画『弱虫ペダル』をきっかけに自転車をはじめる。大学卒業後、自転車メーカーに就職。2年間営業業務をしたのち、アメリカ横断を決意し退社。2019年に達成後、2020年に「TRYCLE」を創業。たちかわ創造舎内での開店を経て、現在は稲城市の矢野口駅近くで営業中。プレーヤーとしては2018年のジャパンプロツアー参戦ほか多数活躍。2022年には実業団「TRYCLE.ing」を結成。
5月1日、JR南武線・稲城長沼駅徒歩1分の高架下に、シェアキッチンやショップ、オフィスなどが並ぶ創業支援施設「SHARE DEPARTMENT (シェアデパートメント)」が誕生します。ぜひ、あなたもここで小商いを始めませんか?
SHARE DEPARTMENT(シェアデパートメント)
東京都稲城市東長沼516-2
JR南武線・稲城長沼駅 高架下徒歩1分
ROOM(48,400円〜)、8K(33,000円・13,200円)、BOOTH(19,800円)、CLASS(8,580円)、GARAGE(8,800円〜)
[集合時間]
4/7(金)16時、19時
4/10(月)12時、17時
[集合場所]
SHARE DEPARTMENT(建物南側の正面入口付近)
[所要時間]
所要時間約1時間(途中退室可)
[対象者]
施設のご利用を検討されている方
[申込方法]
事前申込不要、直接現地にお越しください
※メディア取材や視察については、以下よりご相談ください。
Mail:info@town-kitchen.com
Tel :0422-30-5800
【連載一覧】
SHARE DEPARTMENTオープンに伴い、稲城市周辺でユニークなお店や事業をはじめた人たちに取材した連載企画。地域で仕事を生み出すポイントや小商いをはじめるヒントが見えてくるはず。
VOL.1 “隣”のカフェで地元の縁を紡ぐ
ざるやのとなり となりさん
VOL.2 人生を駆け抜けるサイクリスト
TRYCLE合同会社 田渕君幸さん
VOL.3 ママが稲城の梨で起業するまで
ココロコ株式会社 山本友貴さん
VOL.4 ブルワリーをまちの社交場にする
稲田堤麦酒醸造所 石原健司さん