街で安心を届けるトリミングカー

2023.09.07
街で安心を届けるトリミングカー

ペットは大切な家族の一員。彼らが心地よく暮らすためには、例えば近くの医療機関や、美容院、レストランなど、ペットにとってホッとできるお気に入りの場所があれば毎日がもっと健やかに過ごせるのではないでしょうか。人間も、自分のお気に入りの場所やいざという時の“お守り”のような場所が暮らす街にあることで心と体がふんわりと安らぎ、そして救われています。犬や猫にだってきっとその思いが胸の中にあり、人間以上に繊細に何か違いを感じているかもしれません。

こうした違いを安心に変えたいと立ち上がったトリマーがいます。福生市在住の石川美穂さんです。愛犬を迎え入れたことをきっかけに、自分でケアしたいという思いからトリマーになり、ワークゼミ&コンテスト「NEW WORKING」を経て、出張トリミングサロンをオープンすることとなるのです。

暮らす街にトリミングサロンがやってくる

2023年5月にオープンした、出張トリミングカー「CCcornet(シーシーコルネット)」は、移動ができるトリミングサロンです。軽トラックの車両は、まるで移動スーパーマーケットのような外見。ふわりと柔らかなプードルのイラストと、大きな電話番号の表示が目に留まります。

「プライベートでスーパーに買い物に行くときなども、ついこの車で移動してしまうんです。ほら、駐車場で停車していると目立つじゃないですか。宣伝になるかなあと思って(笑)」

と朗らかに笑うのは、CCcornetを立ち上げた石川美穂さん。トリマー歴12年以上のベテラントリマーです。

この辺りはトリミングサロンの数も少なく、移動ができるトリミングサロンはまだまだ珍しいそう。飼い主のお客様からオーダーをいただき、福生市から10キロ以内の範囲で、石川さん自ら運転をしてお客様が希望する場所に向かいます。

パステルカラーのワンちゃんのイラストがパッと目に留まるトリミングカー。街で走っていたらすぐ気がつきそう
パステルカラーのワンちゃんのイラストがパッと目に留まるトリミングカー。街で走っていたらすぐ気がつきそう

「運転は好きですが、とはいえ毎回慣れない道のりなのでドキドキしながら出かけているんです。時には青梅市の山奥の方にも向かうことも。隣町にも向かうようになって、近くの街を知っているようで実は知らなかったのだなあ、と新鮮な気持ちを抱いています」

飼い主さんは、主にご自宅の駐車場への出張を希望するよう。ご要望の場所に到着すると、石川さんはトラック後部の扉をパンと開きます。すると目の前に飛び込んでくるのは、人がやっとふたり通ることができるほどの小ぢんまりとした空間。

中には中型犬がすっぽり収まるサイズの体を洗うシンクと、ワンちゃんたちをトリミングする作業台が揃っています。車両の横部には発電機や貯水タンクが備わっているので、もちろんシャンプーやブローもお手のもの。この小さな車両の中には、街中にあるトリミングサロンが、コンパクトに収められているのです。

車の後部扉を開くと、簡単に中に入れ、中には作業台とシンクの姿が。見た目は、まちの中にあるサロンと少しも変わりない。窓も開くので景色や外の空気も感じられるところは、さながらキャンピングカーのよう
車の後部扉を開くと、簡単に中に入れ、中には作業台とシンクの姿が。見た目は、まちの中にあるサロンと少しも変わりない。窓も開くので景色や外の空気も感じられるところは、さながらキャンピングカーのよう

まさに私たちの街にやってきてくれる“心のお守り”。自分の住む街に気軽に通えるサロンがなくても、いつでも自分のお気に入りの場所に来てくれることほど安心なものはないのではないでしょうか。

「日頃ワンちゃんたちが暮らす環境に近い場所でトリミングできると、ワンちゃんや飼い主さんにとって負担が減ります。サロンへの往復もないですし、見知らぬ場所で緊張する時間もなくなりますから。サロンを移動してこうした心や体の不安を取り除いてあげることができるのは、私にとって嬉しいことです」

愛犬がトリマーになるきっかけに

石川さんが最初にトリマーとして歩み始めたきっかけは、ご自宅に迎え入れた愛犬コロネだったと言います。今から12年前のことです。

「私、小さい頃から犬のことが大好きなのです。でも、当時実家は自営業をしていたので、犬を飼うことができなくて……。いつか自分が犬を飼いたいという夢をずっと持ちつづけていました」

時を経て家庭を持った石川さん。飲食店でアルバイトをしていた30代前半の頃、アルバイト先の先輩から生まれたての子犬を譲ってもらい、長年の夢を叶えます。しかし、石川さんはそれだけでは飽き足りませんでした。

「せっかく迎え入れた愛犬・コロネを、自分の手でケアをしてあげられたらいいのに、と思ったのです。というのもコロネは幼犬時代に、ドッグランで一緒に遊んでいたワンちゃんにしっぽを噛まれ、ほかの犬がとても苦手になってしまったのです。以降はトリミングサロンに連れて行っても、コロネにとっては辛い思い出ばかりに。それならば私が家でトリミングできたらなという気持ちでいっぱいになりました」

長年の犬愛を語る石川さん。「年を重ねて迎え入れたのも何かの縁なのかも」と振り返る
長年の犬愛を語る石川さん。「年を重ねて迎え入れたのも何かの縁なのかも」と振り返る

石川さんの思いは行動を引き出し、トリマーを目指すべく、通信教育のトリマー養成講座を受講し自宅で勉強し始めます。当時の石川家は、小学生になる二人のお子さんがいる環境。毎日ドタバタなことは想像に難くなく、決して学ぶ時間を多くは取れなかったでしょう。とはいえ、幼少期を過ぎたお子さんとの暮らしには少し余裕が生まれていて、何か新しいことを学びたい、という気持ちにも溢れていたと石川さんは振り返ります。

「“新しいことを学びたい、そして働きたい”と家族に話すと、“やってみればいいんじゃない?”と意外にも明るい反応でした。学ぶこと、働くことに前向きな姿勢だった家族がいたからできたのかなと思います」

そして、家事や育児、アルバイトのスキマ時間を活かしながら学び続け、半年間にわたる座学を全うし、さらに半年実務研修を履修。晴れて卒業した石川さんは、ついに駆け出しトリマーとしてトリミングサロンで働き始めるのです。

取材中、室内でゆったりとくつろぐ石川さんの愛犬コロネ。時折石川さんの元へ訪れては体を寄せており、心から信頼している姿が
取材中、室内でゆったりとくつろぐ石川さんの愛犬コロネ。時折石川さんの元へ訪れては体を寄せており、心から信頼している姿が

トリミングは命にも関わる繊細な営み

石川さんは、「トリミングはとても繊細で緊張感がある仕事」だと語ります。

「トリミングって、軽やかな仕事に見えるかもしれませんが、実は命を預かる仕事。だからとてもとても緊張感があります。ワンちゃんたちは人間以上に皮膚が薄く、体毛の近くに皮膚や血管がある。人間と違って簡単に動くし、じっとすることが難しい。スッと動いた瞬間にハサミが触れて肌が傷付けば流血することもあるのです。命を預かる仕事だな、と身が引き締まる思いで取り組んでいます」

駆け出しの頃、トリミング中に犬を傷つけてしまいそうになった石川さん。その時はすぐには立ち直れないほど落ち込んだ、と振り返ります。心が痛くなるほどの経験をして初めて「単にカットをする仕事ではなく、医療従事者にも似たような営み」であることを思い知らされたそうです。

ワンちゃんの毛はクルクルカールから直毛、長短様々なタイプが。毛のすく量に応じて、ハサミのタイプを変えて人の髪の毛をカットする以上に細かく調整するそう
ワンちゃんの毛はクルクルカールから直毛、長短様々なタイプが。毛のすく量に応じて、ハサミのタイプを変えて人の髪の毛をカットする以上に細かく調整するそう

「体に傷をつけてはいけない、命に関わるかもしれない。今思えばぐったりするほどに神経を研ぎ澄ませて大変な毎日でしたが、それすらも楽しかった。知識を深め、たくさんのワンちゃんと向き合い経験を積むことが、自身の地肉となっているのだと実感していたのだと思います。もちろん自分の至らなさから度々落ち込むことはありました。しかしそこで歩みを止めることは決してありませんでしたね」

繊細な思いを張り巡らせる一方、日々の勤務は肉体労働。想像以上のタフさに、心も体も壊れてトリマーの道から去る人も多いのだそうです。もちろん石川さんは諦めませんでした。その強さの秘密はどこにあるのでしょう。

「学び始めた年齢が若くなかったから、少しのことではへこたれなかったのかもしれないですね。子育てを経験し、何事にも動じなくなった30代の自分だったからこそ、トリマーになれたのかもしれない」

カットやシャンプー、ブローなどを行う時にワンちゃんたちとのコミュニケーションをとることが最も大変な営みです。なぜなら動物たちは話すことができないのですから。

「彼らが本当はどう思っているのか私は分かりません。だからこそ、ワンちゃんの気持ちになって相手を想像しながら、表情や声、仕草、ピクンと動く体の変化から意思を感じ取れるよう心がけています」

カットする際に心がけていること、気をつけていることを、自身の苦い思い出を交えながら話してくれた
カットする際に心がけていること、気をつけていることを、自身の苦い思い出を交えながら話してくれた

出張トリミングカーでの開業をかけた挑戦

お子さんが大学生になり、子育てが終盤戦に近づいたタイミングで、石川さんは一つの夢を叶えるべく独立を考え始めます。それは、移動ができるトリミングカーでの出張サロンの開業でした。

サロンで施術している際に、気がかりに思っていたこと。それはサロンという慣れない場所に行くと、緊張から思うように施術できないワンちゃんたちがたくさんいるということでした。なかにはトリマーとワンちゃんの関係が1回で関係が築けず、何度か触れ合うようになってようやく施術ができるという子もいるそうです。

石川さんはこうしたストレスを軽減してあげたいという思いから、独立を考えた当初は飼い主の自宅へ訪問する型で施術を試みていました。しかし、自宅の施術だと家の水回りが汚れることを気にする方も。悩んだ結果、家族みんながストレスにならないような形として、トリミングカーの導入を考え始めたのです。

開業するまでの心の不安、葛藤、挑戦を振り返る石川さん
開業するまでの心の不安、葛藤、挑戦を振り返る石川さん

一体どうやったら出張トリミングサロンを開業できるのだろう?開業する方法を模索した石川さんは、福生市の商工会議所に度々足を伸ばしていました。そこで2022年の11月から開催された福生・昭島市で開業を目指す人を対象にしたワークゼミ & コンテスト「NEW WORKING」への参加を勧められます。NEW WORKINGは事業計画の立て方を学び、グランプリ受賞者は報奨金や創業支援などのサポートが受けられるプログラムでした。

「自分のやろうとしていることはこれで良いのか?」と、誰かに思いを伝えてみたかった石川さんは、コンテストに参加することを決意します。しかし、これまでのキャリアは専業主婦、飲食店でのパートにトリマー。事務作業の経験がなかった石川さんにとってプレゼンテーション資料を作ることは初めてのこと。慣れないパソコン作業に悪戦苦闘が続きます。「あまりにもパソコンの使い方がわからなくて、娘に頼み込んでパワーポイントの使い方を教えてもらいながら、必死になってプレゼン資料を作りました」と苦笑いする石川さん。

NEW WORKING最終審査会でプレゼンテーションを行う石川さん。前日までに家族の前で何度も練習をしたそう
NEW WORKING最終審査会でプレゼンテーションを行う石川さん。前日までに家族の前で何度も練習をしたそう

資料の作成はもちろん、事業の計画やプレゼンテーション、スピーチの練習など、コンテストに向けてあらゆる観点で模索を重ねます。しかし、その時の経験は自分の考え方を形にでき、自分がトリミングカーのことを深く理解する場にもなってよかった、と石川さんは語ってくれました。

前日まで家族を目の前にしたプレゼンテーションの練習は続き、家族の応援を背に挑んだコンテスト当日。晴れて準ブランプリを受賞した石川さんは、いよいよ開業に向けて事業の船出をします。実際に銀行の融資を受けて、トリミングカーを購入し、開業の申請。営業準備に半年間の時間を費やし、とうとう開業を実現します。

始めた今、これからについて

そして石川さんは、念願のトリミングカーでの営業をスタートします。開業してから駆け抜けてきた2ヶ月間。石川さんは想像した以上に、出張トリミングサロンをお客さまに認知していただけているという実感があると話します。

「ワンちゃんはもちろん、ワンちゃんの飼い主さんも高齢化しているようなのです。ご自身の足が不自由になり、行動が制限されるようになると、ワンちゃんをサロンに連れて行くことが難しくなります。ワンちゃんと飼い主さんの老老介護のようなシチュエーションなのかもしれません」

こうした状況を気にした、飼い主さんの息子さんや娘さんが移動できるトリミングサロンを調べてご連絡をくださることがあるそうです。

コロネと向き合う石川さんはとてもやわらかく優しい眼差し
コロネと向き合う石川さんはとてもやわらかく優しい眼差し

「始まりは繊細でストレスを抱えるワンちゃんのために、という思いで立ち上げた出張サロンでしたが、このようなニーズもあるのだなと新たな気づきをもらいました。我が家のコロネも年齢は12歳。シニアの年齢に差し掛かってきたことから、より身近なテーマに感じています。これからはシニア犬のトリミングにも積極的に携わりたいですね」

自分の体が不自由になり、家族の一員をサポートできなくなったならば、とても心苦しいことです。こうした時に助けてくれるサロンやトリマーがいたら心強い。きっとそのように感じている人が多いのでしょう。

口コミやリピートを通じてじわりじわりとお客様が増えている現在。石川さんは週5日サロンの営業をし、1ヶ月で20頭のワンちゃんのケアをしています。中型犬から小型犬まで様々なワンちゃんたちとの出会いは、一つひとつが思い出深い時間です。困っているワンちゃんや飼い主さんとの関係を紡ぎ始めている石川さんは、これからは街の人たちとも関係を広げていきたい、と未来の展望について話しています。

「例えばふらりとお散歩している人が立ち寄って気軽にカットやグルーミングができる1DAYイベントのような試みももっとやってみたいですね。この街で年を重ねていっても困ることはない。事業を通してそう思える“お守りがある“。ワンちゃんを飼うご家族に、もっともっと寄り添っていけたら幸せです」

愛する看板犬に接するように、訪れるすべてのワンちゃんとご家族に温かな眼差しとコミュニケーション、ケアを届けていく
愛する看板犬に接するように、訪れるすべてのワンちゃんとご家族に温かな眼差しとコミュニケーション、ケアを届けていく

トリマーとして多くのお客様と関わる日々が楽しいと話す石川さん。今がまさに石川さんにとって充実期なのかもしれません。これほど使命を持ち向き合う人が暮らす街にいてくれたなら、人は犬と共にその街をより愛することができる気がします。石川さんの言葉の端々からにじみ出るあたたかさが、そう思わせてくれました。(永見)

プロフィール

石川美穂

東京都福生市在住。愛犬のコロネを迎え入れたことをきっかけに、「自分の手でトリミングしてあげたい」とトリマーを目指すことを決意。専業主婦中に、通信教育と実習でトリマーの技術を習得する。その後は動物病院やペットサロンで約12年間勤務。他のワンちゃんが苦手な子、外のサロン環境が苦手な子にも安心できる場所を作るために2023年5月より出張トリミングサロン「 CCcornet(シーシーコルネット)」」を始める。​https://koppem3s1miho.wixsite.com/trimmingcccornet

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