自転車と住民を見守るまちの門番

2023.03.24
自転車と住民を見守るまちの門番

住宅地を行き交う人と挨拶を交わす、自転車店の店主。数十年前までは武蔵野市内だけで25店舗ほどありましたが、毎年少しずつ減り、今では5、6店舗に。インターネットや家電量販店で買えるようになった今でも、壊れた自転車を押して駆け込める近所のお店は住民を救う存在です。
昭和58年から現在まで、「ムサシノサイクルセンター」を営む有馬生祉さん。自転車整備士として働く、自営業の支えになる存在とは。

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職場は自宅の1階

「今年93歳になる親父が、1本向こうの道で自転車の修理と販売の店を開業したのがはじまりです。僕の代と合わせると60年くらいかな。当時も今も、1階がお店で2階が住まい。お袋ともう1人従業員がいて、3人が働く姿を子どもの頃から見ていました」

父から「お前がやるんだよ」と声をかけられ、2代目を継ぐ道筋がはっきりしたのは大学生のとき。

「別の仕事がしたかったような気もするけど、家業ですからまあ仕方がないなと。それでも、同世代の友達がスーツを着ているのを見たり、忘年会の季節に胃薬のCMなんかを目にすると、最初はちょっと寂しかったですね。みんなが都会で賑やかにやっている頃、僕は家の2階から降りて仕事をして、夜になったら階段をまた登って。同僚がいないという寂しさもあってね」

有馬さんが2代目となり、現在の場所に移転してきた頃
有馬さんが2代目となり、現在の場所に移転してきた頃

歳を重ねるごとに、「この仕事もいいものだ」と思うようになったという有馬さん。きっかけになったのは、地域との関わりをつくったことでした。

「地域の消防団に36年間入って、一昨年60歳で定年を迎えるまで副団長をしていました。若いときには青年会にも入ったり。それで仲間がたくさんできて、会社には属していないけど、地域に同僚ができた感覚になれたんです」

お店の前で語らう有馬さんご夫妻
お店の前で語らう有馬さんご夫妻
技師の免許は20年前に取得。店舗に1人以上いれば商品や部品を仕入れることができる
技師の免許は20年前に取得。店舗に1人以上いれば商品や部品を仕入れることができる

あの人は「うちのお客さん」

初代が現役を退いた現在、有馬さんご夫妻が二人三脚でお店を切り盛りしています。

「うちのお客さんが前の道を通りかかれば挨拶するし、『あの人最近見かけないけど元気かな』と思ったり。地域を見守る、民生委員に近いところがあるかもしれないですね。昔のように自転車に名前や住所は書かなくなりましたけど、お客さんの顔は覚えています。それに自分のところで売った自転車はかわいくて、うちのシールを貼った自転車が倒れてるのに遭遇すると、そっと起こしちゃったりね(笑)」

店頭での販売と修理だけでなく、武蔵野市内の小学校や警察署のマナーアップキャンペーンに技師として出向いて、自転車点検を行う活動も。失敗も含めて実務を積み重ねてきたからこそ、身についた技術を地域で活かしたいと話します。

販売した自転車を20年近く愛用しているお客さんもいるそう
販売した自転車を20年近く愛用しているお客さんもいるそう

「自営業はやっぱり甘くないよ。サラリーマンみたいに○○課なんてないから、雑務まで全部1人でしなきゃいけない。休めないしね。自転車が壊れたときにお店が閉まってたら、お客さんが困ってしまう。その代わり、修理してよろこんでもらえるという経験は、何にも代えがたいものですね。コンビニで買い物をしても、お客さんはなかなか『ありがとう』なんて言わないでしょう。自転車の修理は、お金をいただいておいて直接感謝までしてもらえるなんて。『また来ますね』という言葉を聞けるのが一番うれしいです」

東京都自転車商協同組合の武蔵野支部長も務める有馬さん。静かに幕を下ろす店舗が多い中、次世代へと存続させる方法を探しながら、今日も自転車の安心安全を守り続けています。

「起伏が少ない武蔵野市は自転車に乗りやすい」と有馬さん。まちの景色が変わっても住民の足であり続けている
「起伏が少ない武蔵野市は自転車に乗りやすい」と有馬さん。まちの景色が変わっても住民の足であり続けている
武蔵境駅から自転車で3分ほど。玉川上水沿いからもほど近い
武蔵境駅から自転車で3分ほど。玉川上水沿いからもほど近い

プロフィール

有馬生祉

武蔵野市境にある自転車販売・修理店「ムサシノサイクルセンター」の2代目。東京都自転車商協同組合武蔵野支部支部長。昭和36年生まれ。
※お名前の「祉」は、示に止が正字

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