東京都福生市に蔵を構え、157年の歴史を歩んできた石川酒造。緑に包まれた広大な敷地には、酒蔵・ビール製造所のほかにもレストラン、直売店、史料館が並び、そこはまさに酒飲みのテーマパークです。国内外から日本酒やビール、ここでしかできない体験を求め多くの客が訪れます。そんな現在のにぎわいや地域での存在感は、世代交代と変革により作り出されてきたものでした。コロナ禍の今、苦境を乗り越えるために実施したクラウドファンディングは開始3時間で目標達成。改めて大勢のファンの姿が可視化された今、いかにして石川酒造をアップデートさせてきたのか、営業部長の小池貴宏さんと杜氏の前迫晃一さんにお話を伺いました。
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拝島駅から歩くこと20分。都道7号線を一本入ると、車道からはうって変わった雰囲気を醸し出す、石川酒造の広大な建造物とケヤキが目に飛び込みます。この場所で現代の石川酒造を変化させながら守る先頭にいるのは、営業部長の小池さんと杜氏の前迫さん。今を担う世代の一人ひとりとして、酒造のこれまでを見てきた先に新しい風を吹かせています。
「世の中の流れで酒蔵という場の概念自体が、従来の酒を造り卸すだけのところから人が訪れ体験をする場所へと変わっていきました。石川酒造も蔵見学やレストランの開業によって、足を運んでもらい、味わい、楽しみ、そして買って帰ってもらう場所へと変化してきました」
小池さんのその言葉通り、当代で20年ほど前にオープンしたレストランは、今では予約必須となるほど多くの人が訪れるスポットになり、月に一回感謝祭として開かれるイベントには地域の人から遠方の観光客まで、たくさんの人が集う場となりました。
創業157年、これほど確固とした基盤があると、今日までの歩みや変化はその歴史と地域での存在感に支えられ順風満帆であったように想像されるかもしれません。しかし、話はそんなに単純なものではありません。
学生時代から石川酒造ではたらき、新卒入社をした現杜氏の前迫さんは、当時からある種の危機感や酒造を変革させる必要性を感じていたと言います。
「入社してまだ間もない12年ほど前、出店した地域のお祭りで、『多満自慢ってどこのお酒?』と聞かれてしまう現実を目の当たりにしました。150年以上続く酒造なのだから、地域で知られてないわけがない。そんなふうに長い歴史の上にあぐらをかいていた過去があったことは否めないと思います」
実際に、当時売上げは減少しており、ただでさえ日本酒の消費量が減っている中、前迫さんは「このままではいけない」と強く感じます。
入社から9年目、それまでの想いを形にできる転機が訪れます。前迫さんは酒造りの最高責任者である杜氏に抜擢されたのです。若い世代を積極的に前に出し、酒造に新しい風を吹かせようとする組織の決意を表す変化でした。
杜氏となった前迫さんは、課題であった認知度の向上のため、さっそくこれまで効果を発揮できずにいた広告に代わる方法を模索します。そこでまず始めたのが、地域の人たちから持ちかけられる話や提案を、とにかく受けるということでした。農家や取引先、関係する様々な人の話に耳を傾けていると、そこには提案や困りごと、他の酒造の情報で溢れていたのです。
周りの声に応えていくと、一つのしごとが次の取り組みにつながり、連鎖や影響はおもしろいように広がっていったといいます。結果的に、‟まずはやってみる“の姿勢で取り組んだことが、多くの人に商品を知ってもらうきっかけとなります。
軽やかな挑戦を代表する一つのエピソードが、都立瑞穂農芸高校との連携商品、ブルーベリーエールの誕生背景にあります。偶然にも教員研修の一環で酒造を訪れた農業高校時代の恩師と再会した前迫さんは、酒造で出る大量の酒粕やビール粕、米ぬかの話をしたところ、高校側にも育てた野菜など生産物を売ることができずにいるという課題があることを知ります。ここでの会話をきっかけに、酒造で出る酒粕やビール粕は畜産科で使う飼料や肥料として引き取ってもらい、高校で作ったブルーベリーを石川酒造が買い取り、これを原料にビールを作るというプロジェクトが生まれました。
地域内での連携は年々増え、特にここ3~4年ほどは、これまでにないほどの勢いを感じていたと小池さんは振り返ります。
「近年、消費者側にも商品に地域性を求める気持ちが高まっています。地元でのコラボレーションや新商品開発にフットワーク軽く取り組める私たちの強みがまさに活かされます。新規事業は決して簡単ではありませんが、ここ数年、積極的に取り組んできたことが身を結び始めていると感じます。やってきたことは間違っていなかったな、と」
確実に良い波が来ている。新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたのはそんな感触を持てていた矢先でした。
外出自粛に伴う自宅での飲酒需要の高まりにより、酒店やスーパーなど小売への卸量はコロナ前を上回る状況がある一方、国内外から多くの観光客を迎えてきた石川酒造にとって、人を呼べなくなってしまったことは大きな打撃でした。それでも、これまで幾度となくしてきた決断の早さはここでも活かされます。
「緊急事態宣言も出て、特にレストランの営業は全く先が見えませんでした。そうした状況の中でも未来に繋がる売り上げを確保しようと、クラウドファンディングを利用した食事券の販売を決断しました。公開初日、開始3時間という早さで目標金額を達成し、最終的には460万円の支援をいただくことができました。正直、びっくりしました」
そう話す小池さんですが、購入した人のリストを見ると、そこにはいつもお客さんとして繰り返し酒造を訪れてくれていた、知っている名前がずらりと並んでいました。普段から、常連客はもちろんありがたい存在でしたが、こうして改めて未来の来店を約束し応援してくれる存在がいるとわかったのです。
石川酒造のクラウドファンディングは食事券だけにとどまらず、3月に中止となった中央線ビールフェスティバルや春や初夏に予定していたイベントのために限定で醸造していたセゾンビールの販売でも成功を収めます。
クラウドファンディングの成功は、これまで酒蔵やレストラン、イベントに足を運んでもらい、関係を築いてきたお客さん、ファンがいてこそのものでした。それも石川酒造が外へ、地域へ開かれた場づくりをしてきたからこそでは、と尋ねると、少し意外な答えが前迫さんから返ってきました。
「今でこそ、商品開発や酒造としての取り組みを通して、地域への貢献ができる、していきたいと考えていますが、そもそも地域の存在を必要としていたのは私たちの方だったんです」
「食品に関して、東京産というのはPRにならずむしろマイナスに受け取られることがあります。都内23区は常に新しい商品で溢れていますし、あえて参入することが自分たちにとって有益とも思えません。だから、地域で消費してもらうこと、土地を最大限活かすということが私たちにとっても生きる道だったんです。このエリアで一緒にお酒づくりをする生産者は、同時に消費者でもありますからね」
自分たちにとって必要だ、という出発点から地域の人々や資源とつながりを深め、やがてそれは巡りめぐって地域への貢献となる、そんなお互いを支える存在のしかたとなりました。
福生に石川酒造があってよかった、そんな存在でい続けるために、石川酒造の進化はこれからも止まりません。
【リンジン X たましん連携企画】
多摩信用金庫はコロナ禍での地域の飲食店や事業者を応援しようと、テイクアウト・デリバリー店舗やクラウドファンディングのプロジェクト情報を集約したウェブサイト「エールの扉」を開設しました。今回、エールの扉とリンジンがタッグを組み、そうした情報の裏にある事業者の想いや、コロナを乗り越える取り組みを記事でお伝えしています。
※特設ウェブサイトは公開を終了しています。
1998年に福生のビール小屋のオープニングスタッフとして入社。一度は会社を離れ、様々な職を経て再入社。培ってきた経験を活かし、通信販売への注力や敷地内でのイベント企画を通し、従来の小売業者への営業だけではなくBtoCの営業にも力を注いでいる。
大学で醸造学を専攻しながら石川酒造でアルバイトとしてはたらき始め、新卒で入社。2015年に副杜氏を務め、翌年32歳の若さで杜氏に抜擢される。酒造りにとどまらず、新規事業やイベントの企画、実施などにも精力的に取り組む。