「自分のしごとが社会にどう役立っているのか」。誰もが一度は考えたことがある問いではないでしょうか。最高学府からトップ企業へ。エリートの道を進んできた岩井さんも、この壁に直面しました。
「この世の中はどのようにできているのだろう」。好奇心旺盛な岩井さんは、その答えが知りたくて、物理学を専攻します。研究テーマを探す中で、1億年かかる計算が一瞬で解ける量子コンピューターの存在を知り、東京大学大学院へ進学します。
しかし、実際に研究を重ねてみるものの実現への手がかりが一向に見えてこない。やがて、キャリアを考える時期に差し掛かると、物理学者を目指していた岩井さんの中で、あるしごと感が芽生えたそうです。それは“自分が作ったものを社会に役立てたい”ということ。研究自体は楽しいものでしたが、そこに社会的意義を見出せず虚しさを感じるようになっていました。自分自身の知的好奇心を満たすことよりも私たちの現実生活をより良くするようなしごとがしたい。そう考えた岩井さんは、物理学者の道に進まず事業会社への就職を選択します。
最初の就職先は、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)の知的財産部でした。当時、知的財産の重要性が高まる中で、最先端技術に触れることができる点にやりがいを感じていました。その一方で、自分のしごとが社会とどうつながっているのかを見出だせずにいました。知的財産という顧客との接点を持つことのない職種が、それを加速させます。そんな葛藤を抱えたまま、新興国企業が台頭しはじめ、技術力だけではこれからのグローバル競争に勝つことは難しいと感じ始めます。「自分の価値観を見直すためには、一旦その価値観の外側に飛び出る必要がある」。そう思い立ち、岩井さんは松下電器産業を退社します。両親や友人たちは「もったいない」と口を揃えたそうですが、迷いはありませんでした。
当時、27歳の岩井さんは旅に出ます。言語を覚え、現地の人々の家に泊めてもらいながら訪れた国の数は2年間で80カ国以上。
世界を横断して強く気付かされたことは、“人は価値を感じるものにお金を払う”ということでした。しかし、日本で会社に属していると給与が毎月振り込まれるため、そんな当たり前のことに気付きにくい。
顧客を見据えて価値を創り出せばお金は入るし、それができなければお金は稼げない。そんな基本に立ち戻り、スモールビジネスで良いから自分の能力でできる範囲で一から価値を創り出すしごとをしてみようと、岩井さんは事業を起こすことを決意します。
岩井さんのビジネスアイデアは、ICTを活用し、市民が主体となって行政サービスを実現するプラットフォームづくり。それを形にするために、一橋大学のMBAコースで経営を学びながら、大学時代からの親友と一緒に会社を立ち上げます。アプリ開発を親友に任せ、自分はマネジメントをする、そんな構想ではじまった事業の立ち上げでしたが、大きな落とし穴がありました。
親友は大企業に働きながら、夜間や土日などの空いた時間で開発を進めていたため、全てを捧げる岩井さんとの間に温度差が生じてきます。さらに、MBAで“経営はこうあるべき”ということを叩き込まれた岩井さんはそれを実践しようとしますが、現実はその通りには進みません。このままいくと友人関係までもが壊れてしまう、そう思った岩井さんは親友と別の道を歩む決断をします。「理想や理論だけでコトは前に進まない。もっと柔軟性が必要だった」と、岩井さんは話します。
振り出しに戻った岩井さんは、プログラミングを一から学び直し、自分の手でシステム開発を続けます。並行して、システムの受託開発やプログラミング教室を開くなど、必要な稼ぎを補っています。様々なトラブルもありますが等身大の姿で接している分、ストレスから解放されていると言います。
「時代の急速な変化に対応できず、大企業であっても倒産の危機に晒される現在。大企業ではたらくという選択は、決してリスクの低い安全な道ではなくなってきているように思います。大企業にいると、事業の一部しか担うことができず、会社の看板が外れたときに、自分の価値を社会で発揮することが逆に難しいように感じます。重要なことは、給与以上の価値を作り出す能力を正しく蓄積しているかどうか。AIでしごとのあり方が大きく変化することが予想されますが、ビジネスの基本は変わらない。自分に溜め込んだ能力自体が最大のリスクヘッジになると思います」
“自分の価値を社会に役立てたい”。その思いを軸に、視野を広げ、時代を感じ、新しいことにチャレンジし続けてきた岩井さん。そんな自分らしいキャリアを重ねていく先にどんな風景が待っているのでしょうか。(北池)
京都大学、東京大学大学院を経て、松下電器産業株式会社の知的財産部に入社。2年後に退社し、バックパッカーによる世界一周旅行、特許事務所を経て、プライムサーバントを創業。東小金井事業創造センターに事務所を構え、ドライブレコーダーを防犯カメラとして利用する市民参加型防犯システムCETRAと対話型人工知能KARENのサービス化に取り組む。
株式会社プライムサーバント
http://www.primeservant.co.jp/
市民参加型防犯システム:CETRA
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