畑でカルチャーを育む28歳の挑戦

2024.10.03
畑でカルチャーを育む28歳の挑戦

ワークゼミ&コンテスト「NEW WORKING」連動企画、「武蔵村山の実践者たち」の最終回は、武蔵村山市で農場「若松屋 武蔵村山農場」を運営する赤塚功太郎さん。2020年に東京農業アカデミーの第1期生として入学し、2022年4月に新規就農(土地や資金を独自に調達して自ら農業で起業すること)。「多種多様な人とカルチャーが集まる場所を作りたい」という思いで若松屋を開業した赤塚さんに、農業を志したきっかけや起業までの道のり、事業を通じて叶えたい今後の展望についてうかがいました。

新たな生きがい、農業との出会い

小学1年生から高校3年生まで、サッカー漬けの毎日を過ごしていた赤塚さん。大学入学を機に、「やり切った」という気持ちと、集団競技から離れて自由になってみたくて、サッカーを離れるように。大学ではマーケティングなどを学びますが、周囲が就活を進める中で、違和感や劣等感を感じるようになったそうです。

「就活説明会には一度だけ行きましたが、周りにいる全員が呪われたかのように同じ道を進もうとしていることが気持ち悪かったです。一方で、みんなと同じ道を自分にはできないと劣等感も感じていて。それ以外の進路に進むこともできず自己嫌悪に陥って、気持ちが病んでしまったんです。会社員として働くイメージが湧かず、結局就職先も決めないまま大学を卒業しました」

畑での働き方は、季節や天候により異なる。「夏は早くて朝4時から作業します。昼間は暑いので、袋詰めや出荷、栽培管理などの業務をこなして、夕方頃から畑に出ます」
畑での働き方は、季節や天候により異なる。「夏は早くて朝4時から作業します。昼間は暑いので、袋詰めや出荷、栽培管理などの業務をこなして、夕方頃から畑に出ます」

そして、しばらく練馬の実家に引きこもっていた時期があったと言います。そんな時、実家の隣のブルーベリー農家さんからアルバイトに誘ってもらい、働かせてもらうことになりました。

これまでは親の家庭菜園を手伝う程度の経験しかなく、農業は未知の世界。「当時は農業の仕事のイメージが湧かなかったのですが、せっかく声をかけてもらったのでやってみようかなくらいの感覚でした」と振り返ります。しかし、この体験が赤塚さんにとって人生に大きな影響を与えるきっかけとなりました。

「視野が狭くなっていたところで農業に触れて、『こんな仕事もあるのか』と概念が変わったような感じです。朝早くから体を動かし、その土地で採れた新鮮なものを食べていたら、引きこもって体調を崩していた時とは一変して、すごく健康的な生活になっていました。元々ずっとサッカーをしていて体を動かすことは好きでしたし、この働き方も意外と自分に合っているなと思ったんです」

赤塚さんが働いたブルーベリー農家では、一般の方向けに収穫体験や市民農園も運営されていたそうです。世代や年齢を問わず、さまざまな人が集まって交流している様子も、農業に興味を抱いた一因だったと言います。

「畑は健康的な生活の基盤を作れるだけでなく、人との関わりもある場所だと感じたんです。自分もこんな空間を作ってみたいと、働きながらそう考えていました」

人気の小松菜。収穫では根っこを切り、枯れ葉を取り除く
人気の小松菜。収穫では根っこを切り、枯れ葉を取り除く

ブルーベリー農園でのアルバイトを始めたことで、赤塚さんは新たな人生の目標を見出しました。「地元の練馬区でも、若い人が農業に興味を持つのが珍しいようで、皆さん色々と気にかけてくださいました」と、農園で出会う人々との交流も楽しんでいたと言います。その中で、次のステップへとつながる貴重な情報を得ることになりました。

「東京農業アカデミーが新設され、第1期生を募集しているという話を聞きました。ちょうどこのままアルバイトを続けるかどうかも悩んでいましたし、しっかり学んで独立するにはいい機会だと思って入学を決めました」

東京農業アカデミーは、都内で農業経営を目指す方を対象とした研修施設です。栽培管理やマーケティング、農家への派遣研修など、2年間のプログラムを通して独立の準備を進めることができます。一期生は、赤塚さんを含めた計4名。最初の年は皆で同じ作物を育てながら、基礎を学びます。そして、2年目には個別に作付(作物を田畑に植えつけること)を計画し、派遣研修や就農先の準備を進めるなど、より就農に焦点を当てた内容に。アカデミーの紹介で、赤塚さんは都内4ヶ所の農家さんの元で派遣研修としてお手伝いをしたそうです。

「出荷や、経理などの事務作業から機械メンテナンスまで、農家って一人でなんでもこなすんです。初めて知った時は、とにかくすごいなって印象でした。僕は社会人経験がなかったし、やったことないことばかりで楽しかったです」
「出荷や、経理などの事務作業から機械メンテナンスまで、農家って一人でなんでもこなすんです。初めて知った時は、とにかくすごいなって印象でした。僕は社会人経験がなかったし、やったことないことばかりで楽しかったです」

独立への道と屋号への想い

新規就農するためには、農地の確保が欠かせません。しかし、希望する地域で農地を借りられるかは“運次第”と言われることも多いのが現状です。東京農業アカデミーでは、希望に近い土地を見つけるため、都内各地の農家との交渉や仲介を行っています。赤塚さんも2年目の在学中、農家への派遣研修を通じて、現地の農家や地主の方との交流を深めました。

「就農先は人が集まりやすい立地を希望していたので、都心に近い東寄りの地域を考えていました。そうしたら武蔵村山市で農業改良普及員(農業者に栽培技術を指導したり、経営の相談に乗る支援員)として働いていた先生が、武蔵村山市はどうかと提案してくれて。そして市内の農家さんたちとお会いしていく中で、今借りている農地の地主さんもご紹介いただき、ご挨拶に行ったら『このまま、ここの畑を使って就農しなよ』と言ってくれたんです」

様々な地主さんの計らいで、4つのビニールハウスと露地を合わせて30a(=約3,000平方メートル)の農地が借りられることに。無事に契約を結びましたが、赤塚さんは当時東京農業アカデミーがある八王子に住んでいたため、新規就農の準備を進めながら、引っ越しの手続きも同時に進めなければなりませんでした。「就農する農地がない、家もない、現地に知り合いもいない、そんな何もない状態から自分で決断していかなければなりませんでした。時間はかかりましたが、周囲の方々に助けていただいてなんとかやってこれました」と赤塚さんは言います。

「武蔵村山市で働いていると、農家同士の横のつながりや地域との連携といった結びつきの強さを感じます。僕がお世話になっている地主さんのように、親切な方も多いです。都心などの消費地と近いのも魅力ですね。都内で、これだけ畑がまとまっているエリアも珍しいですし、山も見える自然の多さも気に入っています」

例えばおよそ10a(=約1,000平方メートル)相当のビニールハウスを建てるには、1千万円からが相場と言われている。「資金的な面でも建てるのが難しいので、一年目から4棟も使えるのは恵まれていました。カラスや霜などが原因で、露地では育てにくい作物を育てています。農業用機械も貸してくださって本当にありがたいです」
例えばおよそ10a(=約1,000平方メートル)相当のビニールハウスを建てるには、1千万円からが相場と言われている。「資金的な面でも建てるのが難しいので、一年目から4棟も使えるのは恵まれていました。カラスや霜などが原因で、露地では育てにくい作物を育てています。農業用機械も貸してくださって本当にありがたいです」

そして2022年3月に東京農業アカデミーを卒業し、4月1日に「若松屋 武蔵村山農場」を開業しました。屋号「若松屋」は、赤塚さんの祖父母が営んでいた小売店の名前を引き継いだもの。「祖父母も、鍛冶屋である先々代からこの屋号を継いだそうです。店は既に閉めた後でしたが、名前だけでも継げば、二人の想いも一緒に引き継げるかなと思いました」と赤塚さんは語ります。

「元々、屋号に“農園”という単語を入れるつもりはありませんでした。農家出身でもないですし、農業以外にも服やサッカーなど、自分の様々な興味関心を取り入れていきたかったので、“農園”という名前でイメージが固定化されるのを避けたかったんです」

赤塚さんにとって農業は、好きなもののひとつに過ぎません。他の好きなものも同様に、自身の人生や働き方に上手く組み込んでいきたい。そんな想いが、祖父母が大切にしてきた「若松屋」の名を受け継ぐ決断につながったのかもしれません。

「普段は寡黙な祖父ですが、店を閉めた翌年の正月、家族が集まった時に『継いでくれたら良かったな』と言っていたのを覚えています。その後僕の独立が決まって、若松屋の名前を使いたいと話した時も普段通りでしたが、後で周りから祖父が喜んでいたと聞いて嬉しかったですね。祖母も喜んでくれました」

農家として生きるのではなく「自分の好きなものの中に、農業があるというだけ」と語る赤塚さん。あくまで彼にとって仕事は自分の個性や好み、興味関心の延長線上に位置するもの。だからこそ、自分の人生をかけて楽しむことができるのかもしれない
農家として生きるのではなく「自分の好きなものの中に、農業があるというだけ」と語る赤塚さん。あくまで彼にとって仕事は自分の個性や好み、興味関心の延長線上に位置するもの。だからこそ、自分の人生をかけて楽しむことができるのかもしれない

「一年目の経験を踏まえて、二年目には自分一人でも回せるだけの量が分かるようになりました。ただ、野菜は単価が高くないので、ただ作って売るだけでは大きな売上は見込めません。何を作ってどこでどのように売るのか、マネタイズは現在進行形で模索中ですね」

若松屋の主な事業は野菜の生産販売・卸売の他、収穫体験などのイベント運営、援農ボランティアの受け入れ、アパレル商品・グッズの販売などです。収穫体験は不定期に開催され、その時々の季節の野菜を収穫することができます。援農ボランティアも一般の方の応募が可能です。収穫作業や草取り、袋詰めまで、商品になるまでのさまざまな工程のお手伝いをお願いしていると言います。

「アパレル事業ではTシャツやマグカップを販売していて、僕がデザインしています。若松屋の名刺や、野菜の袋に貼るシールも僕が制作しました。HIP-HOPも好きなので、最近は楽曲制作もしています。農業だけでなく、自分が興味を持っていることを広く事業にして、それぞれで収益を上げたいです」

若松屋のECサイトで販売中のTシャツ。デザインには以前から興味があり、独学で学んだという。父方の祖母は服屋を営んでおり、自分の事業に入れることでこちらの想いも継ぎたいという意向もあったようだ
若松屋のECサイトで販売中のTシャツ。デザインには以前から興味があり、独学で学んだという。父方の祖母は服屋を営んでおり、自分の事業に入れることでこちらの想いも継ぎたいという意向もあったようだ

“人とカルチャーの交流”とは

畑を「多種多様な人とカルチャーが集まる場所」にしたいと活動してきた赤塚さんは、若松屋の未来をどう描いているのでしょうか。

「今後は日々の生産事業と、一般参加の体験事業の二つを主軸に、カルチャー系の事業も展開したいですね。野菜や農作業の他にも、絵や音楽、料理やスポーツなど、いろいろな興味の入り口を作って、人が集まれる場にしたいと思っています」

サッカー少年だった赤塚さんだからこそ、実現したいアイデアも。

「幼稚園の頃から現在まで途切れることなく好きなサッカーは自分の血液です。サッカー選手にはなれなかった代わりに、農家という立場から何かしらサッカーに貢献できたら楽しそうだなと思っています。農業とサッカーを結びつけたイベントを企画したり、サッカー選手の方々にお手伝いいただいたり、農作業体験で自然を感じてもらったり、サッカー選手を目指す子たちに栄養のある野菜を食べてもらって、試合で闘う所を想像するとわくわくしますね」

現在制作中の楽曲のテーマは“ニンニク”。「今年はニンニクも育てるので、曲が完成したら畑で流す予定です」と語る赤塚さんはとても楽しそうだ
現在制作中の楽曲のテーマは“ニンニク”。「今年はニンニクも育てるので、曲が完成したら畑で流す予定です」と語る赤塚さんはとても楽しそうだ

広大で緑豊かな畑という土地のポテンシャルを活かし、さまざまな切り口で何か面白いことができないか、日々考えているという赤塚さん。そもそも、こうした場づくりを目指すのは、引きこもりから一変したブルーベリー農家での経験を通して、「何かに悩んでいる人がいたらこんな世界もあるよと視野を広げてもらいたい」という思いからだと言います。

「感覚としては、溜まり場を作りたいんです。人とカルチャーが集まり、出会うことで、新しいものを生み出せるような場所。人はそれぞれ違う独自の文化を持っていて、好きなことや得意なことも違います。ですが一人では何もできないし、想像力も限られる。だから、そんな個々で違う人たちが集まったら自分の範囲外の可能性が生まれるんじゃないかなって」

援農ボランティアや収穫体験など、畑が様々な人が集まる場にもなっている
援農ボランティアや収穫体験など、畑が様々な人が集まる場にもなっている

「家に友だちを呼ぶくらいの気軽さで、来てくれた人同士が楽しく繋がってくれたら」と、日々、活動をInstagramで発信。ブルーベリー農家で働く前は家で一人過ごしていた赤塚さんだからこそ、人と人との出会いや、その中で生まれる新たな可能性を実感しているのかもしれません。

「農業であれ何であれ、自分が発信したものが人に届いてほしいですね。以前、Instagramの投稿を見た友だちの友だちが畑に来てくれたことがありました。共通の知り合いを介さずに遊びに来てくれて、本当に嬉しかったです。他にもアパレルグッズを買ってくれたり、投稿を楽しんでくれたり、そんな形で縁ある人の日常の楽しみの一つになってくれたらいいですね」

現在、農業の従事者は65歳以上の方が全体のおよそ7割を占めていると言われています。若年層の従事者が少ない点に着目し、「農業は今がチャンスではないでしょうか」と語る赤塚さん。

「農業の可能性は広がっていると思います。農地が空けばできることも増えますから。今の段階でしっかりと基盤を築き、野菜の生産販売事業を着実に進めていきたいです。そうすれば、将来新しく挑戦をしたい時にスムーズに取り組めるんじゃないかなと」

「いずれは人を雇いたいです。人手がいることで生産量を増やせるのもありますが、相談相手が欲しいんですよね。僕が今後やりたい農業以外の事業についても、意見がもらえたら」
「いずれは人を雇いたいです。人手がいることで生産量を増やせるのもありますが、相談相手が欲しいんですよね。僕が今後やりたい農業以外の事業についても、意見がもらえたら」

持ち前の行動力と創造性で、従来とは異なる自由な営農を楽しむ赤塚さん。多くの人の尽力のもと、農地を追加契約し、今では50a(=約5,000平方メートル)まで農場が広がりました。最後に叶えたい夢に一歩を踏み出せない方へ、アドバイスをいただきました。

「僕は農業以外の道を考えられなかったんです。他の選択肢がなかったからこそ、どうすればその目標を叶えられるか真剣に考えられたと思います。確かに障壁はありますが、まずは何をすべきか考え、思いついたことを実践する。農園で実際に働いている人に話を聞いてみるのもいいアイデアかもしれません。僕はブルーベリー農家で働いた経験があったからこそ、東京農業アカデミーに入学し、独立することができました。体験することが何よりも一番大切だと思います」

赤塚さんにとって、畑は作物を育てるだけの場所ではありません。祖父母から伝統を受け継いだ家業であり、自らの創造性を表現するキャンパスであり、出会った人々が新たなカルチャーを作り出す場所でもあるのです。赤塚さんはこれからもその自由で大胆な発想で、都市農業の可能性を広げてくれることでしょう。(すずき)

 「畑はなんでもできますよ。やり方次第で、農業という可能性は広がります」という赤塚さん
「畑はなんでもできますよ。やり方次第で、農業という可能性は広がります」という赤塚さん

プロフィール

赤塚功太郎

1996年生まれ。東京都練馬区出身。専修大学商学部マーケティング学科を卒業。2019年9月から地元のブルーベリー農園でアルバイトを始める。その後営農で独立を目指し、東京農業アカデミーに入学。2022年3月同アカデミーを卒業。同年4月に武蔵村山市で新規就農し、「若松屋 武蔵村山農場」を開業した。主な事業は野菜の生産販売・卸売、収穫体験などのイベント運営、援農ボランティアの受け入れ、アパレル商品・グッズの販売など。スポーツとHIPHOPが好き。

https://wakamatsuya.base.ec/

赤塚さんのストーリー

2019年 大学卒業後、一般企業で働くビジョンが見えず小休止。ブルーベリー農園でアルバイトを始める
2020年 東京農業アカデミーに入学
2022年 武蔵村山市で新規就農し、「若松屋 武蔵村山農業」開業
2023年 武蔵村山市農産物品評会で小松菜が銀賞を受賞

INFO

ワークゼミ & コンテスト in 武蔵村山 NEW WORKING

「NEW WORKING」は、武蔵村山市の魅力創出を目指すワークゼミ&コンテスト。「まちにあったらいいな」というアイデアを募り、地域に根差した新しい事業へと成長を後押しします。あなたの小さなアイデアを、まちで大きく育てましょう。

対象

武蔵村山市内で事業アイデアをお持ちの方
・創業前および創業して間もない方(概ね5年以内)
・新規事業の立ち上げを計画している方
・申請時点で15歳以上の方
※団体、個人、法人は問いません
※居住地、本店所在地は問いません
※業種業態は問いません(ただし、公序良俗に反せず、社会通念上適切と認められるものに限ります)

奨励金

グランプリ 1名 30万円
準グランプリ 2名 10万円

スケジュール

エントリー
10月7日(月) 23時59分締切
「まちにあったらいいな」と思うお店やサービスなど、自由な発想で事業アイデアを募集します。

ワークゼミ
10月12日(土)14:00-17:30 @緑が丘ふれあいセンター
エントリーいただいた方を対象にワークゼミを開催。アドバイスを受けながらアイデアをブラッシュアップします。

1次審査書類の提出
11月11日(月)12:00締切
各自が事業アイデアを書類にまとめて提出。いよいよファイナリストを選出します。

最終審査会&グランプリ発表
12月15日(日)14:00-18:00 @TOKYO創業ステーションTAMA イベントスペース
選ばれたファイナリストが、プレゼンテーションを行い、グランプリ・準グランプリを決定します。

主催

武蔵村山市

運営

株式会社タウンキッチン

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