今回は、リンジンを運営する株式会社タウンキッチンを卒業し、全国で活躍するスタッフのその後をご紹介します。“アイデアを育てる地域のプラットフォーム”を目指すタウンキッチンには、地域で活動する人たちを応援しながら、「いつか自分もしたいことをカタチにしたい」と願う社員が多くいます。インタビューの1人目は、武蔵野美術大学から新卒入社し、現在は故郷の北海道で暮らす辻彩香さん。地域おこし協力隊を経て、今年2023年9月に任期を終え、2度目の独り立ちを果たしたところです。北海道で何をして、これからどんな仕事をつくろうとしているのでしょう?
武蔵野美術大学から新卒として入社し、タウンキッチンで過ごした日々は約4年間。シェアキッチン、シェアオフィスの管理運営業務や、在職中に取得した宅建士の資格を活かしてはじめた不動産賃貸事業、デザインなど、さまざまな業務に関わっていた辻彩香さん。タウンキッチンを就職先に選ぶことになる道のりのはじまりは、高校時代にありました。
「絵を描くことが好きで、自然な流れで、将来はデザイナーになりたいと思っていました。ただ、実家がある札幌周辺にデザインを学べる場所はあまり見つけられなくて。だったら東京に出て、いろんな感性や作品、考え方に触れたいと思いました。だから、『高校を卒業したら上京するんだ』って決めていたんです」
計画通り上京した辻さんは、“日本初のデザインの学校”とされる専門学校桑沢デザイン研究所で、スペースデザインを専攻し、建築・インテリア・家具のデザインを手がけるための勉強をはじめます。そして、インテリアデザイナーである内田繁氏のゼミに所属。
「東京は刺激に満ちていましたね。すぐそばで面白いイベントがたくさんあって、いつでも足を伸ばすことができる。専門学校が渋谷にあったので、テレビで見ていた街がすぐ近くで、『わあ〜っ!』と感動しました」
しかし、デザインを学べば学ぶほど、次第に、ものをつくることにはあまり意味を感じられなくなってきたと辻さんは言います。
「はじめは、“卒業するときには絶対デザインをやりたい”みたいな心意気を持って入学したんです。でも、“デザインってものをつくるだけじゃないよね”、とだんだん思いはじめました。ちょうどその頃、東日本大震災が発生し、建物があっという間に津波に飲まれて崩れていくのを目の当たりにしたことも大きかったです。建物を一生懸命つくっても、こんなに簡単に壊されて流されてしまうんだなと虚無感に襲われて。単にものをつくることにはあまり意味を感じられなくなって、もっと街全体のデザインをしてみたいなと、自分の気持ちが固まりました」
そして、まちづくりとデザインについてさらに学びを深めたいと考えた辻さんは、桑沢デザイン研究所を卒業後、武蔵野美術大学芸術文化学科の3年次に編入します。
「当時は、サードプレイスや居場所づくりへの関心が強くて、アートももちろん好きだったので、大学時代を通してそれらをつなげる活動をしていました。コミュニティデザインを軸とした事業を行なっている企業でインターンしたり、大学内の美術館を活用したアートプロジェクトに参画したり。どこか社会での実践先がないかと探していたところでタウンキッチンを見つけ、インターンに応募したんです」
幼い頃から、いつかは独立して仕事をしていきたいという願望があった辻さんにとって、タウンキッチンの存在はプレステップとしても魅力的でした。
「地域で起業したり、仲間を集めて活動を立ち上げる方たちの支援が主な仕事だったので、先輩たちの姿をそばで見て、自分が独立するときに参考になる学びや刺激をたくさんもらうことができました」
インターンを経て、大学卒業後にそのまま入社。多岐にわたる業務の中でも、シェアオフィスやシェアキッチンの利用者さんとのコミュニケーションや関係づくりが楽しかったと辻さんは振り返ります。
「街って面白いなと思いました。自分が想像していたよりもたくさん、熱く、壮大な思いを持ってる方たちがいる。彼らの情熱にふれながら、関わっていけることが面白かったです。仕事をしている人が誰でもそういう思いを持っているかというと、正直そうではないですよね。タウンキッチンを離れてみて、当たり前じゃないことに気付かされました。すごく濃く、特別な環境だったと思います」
その後、東京での生活に一区切りをつけ、そろそろ北海道に戻ってチャレンジをしてみたくなった辻さんは、2019年12月にタウンキッチンを卒業。それから、3年以上が過ぎました。卒業後は一体どのような日々を過ごしていたのでしょうか。
「実家のある札幌に帰りました。ちょっとゆっくりしたいなと思って。その頃、東京で過ごすことに少し疲れてしまった部分もあって。3ヶ月くらいは実家で暮らして、映画を見たり、音楽を聴いたり、ゆっくり思考をめぐらせたりと、実家暮らしを満喫していました。元気が出てきたところで、次は札幌で仕事を探そうかなと思い、就職活動をスタート。ところがその矢先にコロナ禍がやってきて、求人も少なくなるし、ピンとくる仕事が見つからず…。最終的にふと目に留まったのが、上士幌町の地域おこし協力隊だったんです」
上士幌町は北海道十勝の北部にある小さな街。辻さんが過ごしてきた札幌からは車で3時間ほどかかる距離。同じ北海道といえ、この時まで存在を知らなかったそうです。
辻さんが応募した職種は、開設を直近に控えたシェアオフィス「かみしほろシェアOFFICE」の管理運営スタッフ。上士幌町は、町外に拠点を持ちながら、町を訪れ、町や住民と交流を持つ“関係人口”を増やすことを目指しています。その一環として、“都会と田舎をシェアする新しい働き方”をコンセプトに掲げ、約2年の準備を経てオープンする施設でした。
「シェアオフィス専任というポジションだから、“やってみたい”と応募しました。この仕事なら、これまでの自分が活かせそうだったし、田舎のスローライフへの憧れもあったので」
シェアオフィスのオープンの翌月、2020年8月に晴れて協力隊に着任。札幌から上士幌町へと引っ越します。施設の管理運営を行いながら、さまざまなプロジェクトにも携わりました。例えば、シェアオフィスの長期契約をしてもらえるよう、首都圏に本社がある企業の誘致にも取り組んだそう。
「上士幌町は全国各地にある大手シェアオフィス『WeWork』に自治体として入居していて、わたしも定期的に通いました。入居している首都圏の企業の方とだんだん仲良くなり、『上士幌に来ませんか?』と声をかけたり。私が関わっていた間だけでも、東京に拠点を置く多くの企業との関わりが増えました。現在も町とWeWorkが連携して、ワーケーションのマッチングを続けています」
北海道らしい広大な畑に囲まれた上士幌町の生産者・事業者と、副業や兼業をしたい都会のビジネスパーソンをマッチングする「かみしほろ縁ハンスPROJECT」では、コーディネーターを担当。豆生産者と、北海道と横浜で二拠点居住するクリエイティブディレクターの協働によって、パッケージリニューアルなどが実現されました。さらに、無印良品の家が設計し、雑誌『暮しの手帖』前編集長などとして知られる松浦弥太郎氏がコンセプト制作などを行ったワーケーションのための宿泊施設「にっぽうの家 上士幌」でも、辻さんは企画を担当。
コロナ禍の特例延長制度により協力隊の任命期間が伸び、2023年9月に任期満了となるまで、プロジェクトごとに見えてくる課題と日々向き合いながら、シェアオフィスの管理運営を大きく超えて奮闘を続けました。
「東京で仕事をしていた終盤の時期は、もうなんとなくやり尽くしたかな?と思っていたんです。だけど、上士幌町に移ってからそれは違ったなと思いました」
そう感じるに至った背景には、関係人口を増やすことをミッションとした地域おこし協力隊の期間、常に、人との関わりをどうつくるか、を意識していたことがあります。
「上士幌町の面積は、東京23区より広いんです。だけど、人口は5000人しかいないんですよね。牛は約45000頭もいて、人間の方が少ない(笑) 家も、市街地を離れて農村地域に行くと、お隣さんは目視できないくらい離れた場所にある。だからこそお互いの顔を覚えるし、顔のわかる範囲で行動するから、どこでもつながりができるんです。私の車のナンバーで行動先もわかっていると言ってもいいくらい。いつどこに行っても見守ってもらえているおかげで、助け合える関係性が生まれているなあと感じます」
ついこの最近も、石油ストーブがなくて困っているとつぶやいた辻さんのもとに、「これ使って!」とストーブを持ってきてくれる人がいたそう。
「人がつながるって、こういうことなんだなと実感しています。東京にいるときも関係づくりをしていたつもりだったけど、私自身もどこか社交辞令で上辺だけの関係にしてしまっていたこともあったなと、今更ながら気づきました。だからこそ、東京での暮らしに“疲れた”という感覚になってしまったのかもしれません」
上士幌町で暮らして、「人として当然のことのことをする。仕事としての関係だけではなくて、その人のことをよく見つめる」ということを常に心がけるようになった辻さんは言います。
「東京は人がたくさんいるので、“お互いがいなくても生きていける”という感覚が前提としてあるような気がしてたんです。必然がないから、越えたい距離を越えられないというもどかしさも。でも、人口や街の規模が違ったとしても、人との関わり方って自分次第ですよね。上士幌で暮らして、自分の中にあった前提を見直せるようになりました。東京時代にも、今のように人と向き合えていたら、また違った関係のつくり方ができていた人もいたなと思います」
現在の辻さんは、地域おこし協力隊時代の業務の一部を個人事業主として引き続き受託しながら、法人化に向けて準備中。上士幌町役場をはじめ、町内の企業や個人と、主にデザインの領域で一緒に仕事をしているそう。
「上士幌町との関係性づくりや個人的な用事で、私も数ヶ月に一度東京に来る生活が続いています。北海道に暮らして、たまに東京にも来る。北海道に戻った当初は、『東京はもうたくさんだ!』と思っていたんですが(笑)今の距離感が私にはちょうどよくて、気持ちのバランスがうまく取れていてすごく健やかです」
町の新しいプロジェクトにも関わっています。アーティストインレジデンス事業「かみしほろAIR」の立ち上げに参画し、アーティストが町内に一定期間滞在し、非日常を体験しながら作品制作やリサーチ活動を行うサポートを行っています。デザインやアートへの関心が起点となってこれまで歩んできた辻さんにとって、とりわけ思い入れが強いプロジェクトです。
そして、さらに夢は膨らみます。町内にある商店街の一角で、オーナーさんのご厚意で空き物件をとても安く借りられることができたのだとか。
「北海道内が全体的にアートスペースが少ないんですが、上士幌町内も今はひとつもないんです。私がずっと願っていたのは、故郷の北海道に、もっと日常的にアートに触れられる機会がほしかったということ。今でも変わらない思いです。だからこそ、自分発で、アートに触れられる機会を提供する場所作りをしたいなと思っています。私が高校生の時には、デザインを学ぶなら東京だったけど、北海道がもっとクリエイティブな街になるといいなと思う。そのために私は、関係者を増やしてどんどん活動を広げていきたいです」
目下、事務所兼ギャラリーを準備中の辻さん。行政や企業との仕事を受けやすい体制をつくるための法人化と並行して、2024年春にはオープン予定だと言います。
タウンキッチンを飛び出して、地域をクリエイティブにする人がまた一人、またひとりと誕生しています。多摩地域に限らず、日本全国のあらゆる地域が豊かな色合いにグラデーションされていく様子を楽しみに、これからも彼らの新しい一歩を見つめていきたいなと思います。(永見)
北海道札幌市出身。専門学校 桑沢デザイン研究所/武蔵野美術大学卒。2015年、新卒でタウンキッチンに入社し、シェアオフィスやシェアキッチンなどの管理運営や新規事業の立ち上げに携わる。その後、地域おこし協力隊として北海道上士幌町にJターン移住。シェアオフィスの管理運営や無印良品の家が設計したワーケーション施設の開設、アーティストインレジデンス事業の立ち上げなど、町の関係人口の創出・拡大に関する企画運営を担当。現在は商店街内に事務所兼ギャラリーの開設準備中。
株式会社タウンキッチンでは、新しい施設の開発やプロジェクトが進む中、新しいスタッフを募集しています。これまでの経験を地域活性に活かしたい方、未経験から創業者のサポートに挑戦したい方、ぜひご応募お待ちしています!
・不動産窓口対応、内覧などのスキルを活かしたい方
・自分の暮らす地域を面白く変えていきたい方
・建築、まちづくりの経験を活かしたい方
・不動産事業に関する業務全般
まち歩きツアー、物件提案、内覧対応、物件情報管理 など
・タウンキッチンのビジョンや事業に共感いただける方
・自分の暮らす地域を面白く変えていきたい方
・企画開発を通じて、まちづくりに携わりたい方
・新規施設の企画開発
・設計、デザイン
・事業申請、報告
・市場や競合のリサーチ
・コンサルティング など
そのほかの職種も多数募集を行っています。詳細はコーポレートサイトをご覧ください。
都心の企業を離れて、家族や暮らしのそばで仕事をする。転職して、そんな郊外型ワークスタイルを実践する3人が集まり、働き方の変化やキャリアの築き方をテーマに座談会を行いました。
https://rinzine.com/article/zadankai-7424/