国分寺市最古の洋風の別荘建築である沖本邸を生かして、2020年10月にカフェおきもとがオープンしました。このお店を切り盛りしているのは、ずっと専業主婦だったという久保愛美さんです。なぜ、沖本家の親族でもない久保さんがこの歴史ある建物を受け継ぎ、カフェを営むようになったのでしょうか。
国立駅の南口を出て、国分寺崖線の坂道を登った高台の住宅街に、突如現れる竹藪。その奥にひっそりと佇む、カフェおきもと。入り口から、竹林や雑木林に覆われた小道を歩くと、茶色の洋館、さらに奥には日本家屋が見え、まるで避暑地の別荘にたどり着いたかような別世界が広がります。
カフェのオーナーである久保さんは、もともと専業主婦。一体どんな経緯で、この古い建物を受け継ぎ、カフェを開くことになったのでしょう。「これまでにいろいろなことがありすぎて、話は尽きません」と、久保さんは語ります。
最初のきっかけは、18年前に沖本家のお隣に家族で引っ越してきたこと。沖本邸には当時80歳ぐらいの姉妹が住んでいて、姉の京子さんは医師、妹の智子さんはピアノ講師をしていたそうです。姉妹は身寄りがなく、土地をめぐるトラブルがあったことも背景に、誰に対しても不信感を抱いていたようですが、久保さんのご主人が京子さんと同じく医師だったことから、頼られるように。京子さんに仕事を紹介したり、トラブルの相談を受けたりする中で、親交が深まっていったと言います。
そして、沖本家と久保家に大きな変化をもたらす出来事が起こります。京子さんが心不全になり、救急車で運ばれて入院したのです。余命を悟り、家の行く末を心配した京子さんは、「跡取りもいないし、残される妹も心配だから、自分の死後は久保家の長女を養子にしてこの家を相続してほしい」と、久保さん一家に相談。予想外のことに戸惑いながらも、家族で慎重に考えた結果、沖本邸を受け継ぐことを決意したと言います。
土地を売るという選択肢もある中、なぜ沖本姉妹は血縁関係もない久保家にお願いしてまで、この家を残そうとしたのでしょうか。
「お父さんが海軍だったので転勤ばかりで、この洋館を持ち家にできたのがすごく嬉しかったと言っていました。この辺りは昔は何もなくて、国立駅の東側からも丘の上にあるこの家が見えたようで、国立のシンボルみたいな自慢のお家だったのでしょう。お父さんが維持費が大変だからと家を売ろうとした時も、親族に土地の一部がほしいと言われた時も、姉妹は拒み、自分たちではたらいてずっとこの家を守ってきたんです」
だからこそ、久保さん自身も、この家を売る気はなかったとか。
「京子おばあちゃんは亡くなる直前に“この家は売ってもいいし好きにしていい”と言いましたが、家に対する姉妹の想いを知ってましたし、売ろうとは思えなくて。最初に見た時は庭も荒れてジャングルみたいだし家も古くて汚くて、“ほしい人がいるなら片隅ぐらい売ってもいいんじゃない?”なんて思ってましたけど(笑)」
2016年に京子さんが亡くなった後は、智子さんのためにこの家を老人ホームに建て替えようかと検討したものの、採算が合わずに断念。残された家をどうしようかと悩んでいた矢先、地元に古い建築物があると情報を聞きつけた国分寺市役所の文化財課の方が調査に訪れました。そして専門家が調査を進める中で、沖本邸の歴史が明らかに。国分寺市最古の洋風の別荘建築で、専門家からも「文化財として価値が高い」とお墨付きをいただいたそうです。
「おばあちゃんからはあまり話を聞いていなかったので、調査して初めてこの家の歴史や建築としての価値がわかり、すごくロマンを感じたんです。維持費やメンテナンスが大変でも、どうしてもこの家を残したいと思いましたね。洋館を設計したのは、川崎忍さんという優れた建築家であることも初めて知りました。川崎さんの親族の方も調査が縁でここに訪れ、今でも交流が続いています。建物の歴史が人をつなげてくれた感覚がありますね」
そして東京都の文化財課の方からは、「ただ残しておいても家は傷んでしまうので、何かに利用した方がいいですよ」とアドバイスが。その時にふと、以前に智子さんと妄想していたカフェのことが頭に思い浮かんだそうです。
「おばあちゃんと冗談で、“ここでカフェをしよう。お店の名前は竹林邸なんてどう?”なんて言ってたのを思い出して(笑)。あと、この広い庭を生かしたいという気持ちもありました。私はもともとバーネットの小説“秘密の花園”が大好きで、自分にとってここはまさに秘密の花園だったんです。周りに閉ざされた荒れ放題の庭を、手入れして蘇らせていく。カフェにすれば庭いじりもできますから」
こうして、久保さんはカフェを開くことを決意。店舗運営や料理などのノウハウを学ぶために料理学校に通い、オープンに向けて一つひとつ準備を進めていきました。
準備の中でも、約90年前に建てられた家をカフェに改修するのは相当大変だったのではないでしょうか。改修費用は沖本姉妹と久保さんの貯蓄から捻出し、専門家に相談しながら、「最低限でできることをした」と言います。
例えば、新しく厨房をつくり、雨漏りする屋根の張り替えはしたものの、壁の塗り替えは外側の見える部分だけ。暖炉や煙突、テーブルや椅子なども、沖本邸にあったものをそのまま使用。ジャングルのように荒れた庭は、竹林や雑木林を生かしながら、近所の植木屋さんたちと一緒に整備していったそうです。
「汚く見えるから壁も全部替えたほうがいいと言う方もいましたが、ここに来る人は新しくてきれいな沖本邸ではなくて、歴史が染み込んだ沖本邸を見たいだろうと、家も家具もあるものをなるべく生かしました。オープン後に来られたお客様には、“何も手を加えてないから味わいがあってすごくいいですね”と言われます」
こうした味わいがあるのも、沖本姉妹がそのまま残してくれたからだとか。
「暮らしやすいように、“サッシの窓にしたら?”“バリアフリーにしたら?”と私が提案しても、おばあちゃんたちは頑固に新しいものに変えようとはしませんでした。壊れた窓ガラスも直さず、湯沸かし器もつけなかったぐらい(笑)。蓄音機やラジオ、お父さんが海軍で使っていた大きなアタッシュケースもそのままあります。だから、歴史や生活がありのまま残っているんですね」
そして2020年10月に、約2年間の準備期間を経て、カフェおきもとがオープン。初日から想定以上のお客様が殺到し、お店に入るまで3時間待ちになったとか。今もカフェの予約は絶えず、家族連れから高齢者の方まで、リピーターのお客様も多数。現在は施設にいる智子さんも、自分の家が本当にカフェになったことをすごく喜んでいて、“私も行くね”とよく電話をくれるそうです。
また、カフェおきもとにはいろいろな人が自ら手伝いに訪れ、草むしりや寄せ植え、料理の仕込み、メニュー表作りなどをしてくれています。久保さんのパート時代の仲間や料理学校の友達、幼馴染、近所の方々、娘さんの友達やその家族、植木屋さん、造形作家さん…。自然と人が人を呼び、横のつながりができていったそうです。応援してくれる人がたくさんいる。それは久保さんにとっても、大きな支えになっていると言います。
沖本邸を受け継ぎ、カフェの開業から約10ヶ月が経った今、久保さんはどう感じているのでしょうか。
「おばあちゃんたちの想いや建物の歴史の奥深さに突き動かされ、“自分が守らないと”という使命感でここまで来ました。今、自由にアイデアを出しながらカフェをするのはすごく楽しいですし、近所の方も“地元にこんな場所ができて嬉しい”と仰っていただき、すごくやりがいを感じています。ゆくゆくは、カフェが休みの日に、高齢者の方が集まれる場所として沖本邸を解放できればといいなと考えています。デイサービスに行くのは嫌だという方も、ここに来ればくつろいで楽しめるような場所をつくりたいですね」
沖本姉妹の住まいへの愛情と、久保さんの優しさと熱意から誕生した、カフェおきもと。受け継がれた沖本邸の物語は、これからも続いていきます。
カフェおきもとのオーナー。横浜出身。結婚・出産を経て、国分寺市に在住。たまたま隣に住んでいた沖本姉妹と親交を深める中で、沖本邸を継承。レコールバンタンキャリアカレッジのカフェコースに通ってノウハウを学び、2020年10月に「カフェおきもと」オープンした。カフェの店主として、メニュー作りや料理、経理、マネジメントなど幅広く手がける。
https://cafeokimoto.wixsite.com/index
https://www.instagram.com/cafe_okimoto/